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5cm

2010-11-04 10页 doc 51KB 51阅读

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5cm「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」の新海誠の最新作。DVDで鑑賞。 これまでの印象を裏切る、現代の男女の恋愛の話。ただ、第2話で少し宇宙も絡むけど。そうそう、第2話ということで、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3話構成になっているのですな。これ、見るまで知らなかった。 以下、ネタバレしまくり、というか、筋を追いながらツラツラと。 ■第一話「桜花抄」 舞台は東京。小学生の遠野貴樹と篠原明里は互いに思い合っている関係。 2人は互いに引越しの多い家庭事情で、貴樹が小学校に転入してきた1年後に明里も同じ小学校...
5cm
「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」の新海誠の最新作。DVDで鑑賞。 これまでの印象を裏切る、現代の男女の恋愛の話。ただ、第2話で少し宇宙も絡むけど。そうそう、第2話ということで、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3話構成になっているのですな。これ、見るまで知らなかった。 以下、ネタバレしまくり、というか、筋を追いながらツラツラと。 ■第一話「桜花抄」 舞台は東京。生の遠野貴樹と篠原明里は互いに思い合っている関係。 2人は互いに引越しの多い家庭事情で、貴樹が小学校に転入してきた1年後に明里も同じ小学校に転校した。身体の弱かった2人は図書室で本を借りるなどしている間に、次第にその距離を近づけていく。貴樹は次第に身体も強くなっていくのだが、それ以上に精神的な芯が強かった。クラスメイトにベタベタに相合傘を黒板に書かれるなどしても、2人の距離が離れることはなかった。 しかし、そのような、永遠に続くとも思われた日々を過ごしていた同じ中学に進むはずだったの2人だったが、明里が中学進学と同時に栃木に引っ越すことになってしまう。 演出面では、最初から物語のキーになるモチーフが現れる。冒頭の明里の、桜の花が落ちる速度が秒速5センチメートルであるという台詞と、一緒に歩いている2人が踏み切りのあちら側とこちら側に分かれるシーンだ。 そして、やはり秀逸なのは新海誠一流の風景描写。最早お家芸とも言える空の美しさは言うに及ばず、桜の描写なども実に美しい。 卒業後、別の中学に進むことになってしまった2人はしばらくの間何の交流もなかったのだが、半年振りに明里から貴樹に手紙が届く。序盤は明里が貴樹への手紙の文面を読み上げるシーンが2人の日常などを背景に続き、その手紙の中で貴樹が2学年から鹿児島に引っ越すことが明らかになる。その距離に対する不安や恐怖、そして悲しみが、震えるような声から滲み出る。そもそもが、半年振りに2人が繋がった、突然届いた最初の手紙の最後の文面からしてこうだ。 「ねえ、貴樹君、私のこと、覚えていますか?」 これはさらなるネタバレになってしまうので深く触れることは出来ないがそこら辺は後述するとして、この第一話のキーアイテムになる、互いに宛てた渡せなかった手紙があるのだが、実は小説版でその内容が書かれており、僕はそれを見てしまった。その内容を踏まえてしまった上での深読みになるのだが、もしかしたら明里は、貴樹のいない人生をどうにか生きていこうと覚悟を決めていたのかもしれない。しかし、その生活は想像以上に彼女の心を磨耗させてしまい、SOSの信号を打つように、明里は貴樹に対して手紙を書いて「しまった」のではないか――僕はそう思った。後に、貴樹のモノローグで、 「手紙から想像する明里は、なぜか、いつも1人だった」 というものがあるし、的外れの予想ではないと思うのだけれど。 そして、そうやって再び繋がってしまったというのに、貴樹は鹿児島に行ってしまうという。そりゃあ声の一つも震えようというものだ。 続いて、そうなってしまう前にせめて会おうと約束したのだろう。貴樹が電車で栃木へ向かう場面が描かれ、貴樹が眺めている車窓から見える風景から、2人がその絆を強固なものにしていった、小学校生活の回想シーンが挿入される。 「僕と明里は、精神的にどこかよく似ていたと思う」 という貴樹のモノローグは、実に簡潔に、深い理解を観るものに与えるとても優れた台詞だと思った。 場面は再び車中に戻る。その日は雪が降っていて、電車のダイヤは次第に遅れていき、貴樹の胸中に不安が広がっていく。個人的には、貴樹が電車のドアを自分で開け閉めするボタン(寒いので)の存在を知らなかったと思われるシーンが、自分の経験と被ってなかなか興味深かった。最後に触れることになると思うが、この映画は、自分の人生にクロスする部分が強く感傷を刺激する作品だと思うので、そういったクロスポイントが増えれば増えるほど、もしかしたら、この作品の登場人物の体験を、自分のことのように思ってしまうことになるのかもしれない。 ここで、先程触れた手紙が出てくることになる。貴樹は明里に栃木に引っ越さなければならないことを告げられた時に、自分以上に辛かったであろう彼女に優しい言葉をかけられなかった自分を恥じていた。彼はそんな自分の、明里に伝えたかった溢れる思いの多くを手紙にしたためていたのだ。しかし、最後の乗換駅である小山に予定よりも30分以上遅く到着することになってしまった貴樹は、次の電車がホームに来るまで30分近く待たなければならなくなり、暖をとろうと自動販売機の前に立つ。そして、財布を取り出そうとしたであろう、コートのポケットから右手を引き上げたその時、ポケットからその手紙がこぼれ落ち、風に吹かれて遠くへ飛んでいってしまったのだ。貴樹は思わず涙ぐんでしまう。 それからさらに線路の上で2時間立ち往生するなどして、電車がようやく目的の岩舟駅に着いたのは23時のことだった。約束の時間は19時で、貴樹は立ち往生する車内で、思わず明里に対して「家に帰っていてくれ」と祈ったほどだったが、しかし明里は、約束の待合室に待っていた。貴樹のコートの裾を掴む明里の手に、2人の涙がこぼれ落ちた。 この辺りは、まさに携帯電話がなかった頃にしか描けない情景だ。小学校6年の貴樹の部屋にスーパーファミコンが転がっているので、彼らは僕とほぼ同年代かもしれない。 駅の待合室を出た2人は、桜の木の下でキスをする。序盤のスパイスが効いている良いシーンだ。そして、その後に続く貴樹のモノローグは、青臭くも、僕たちはなぜあの頃――所謂青春の時代に、異性を好きになると、他の何もかもがどうでもよくなってしまったりしたのだろうか? という、愚かしくも、人間の根底に通ずる面もある一つの問いに対するアンサーとして、実に優秀なものだと思う。押し寄せる感動の後に、生きることに対する根源的な不安(だからこそ、誰かを求めずにいられない、という思いも含有されているのだろう)や悲しみが湧き上がり、しかしそれは次第に納まっていき、最後には明里の唇の柔らかさだけが残る――という描写は、セックスの全能感などにも通じていながら、同時にまた、1つの残酷な現実をも示唆しているように思える。これは後述。 それから2人は、畑の脇にあった納屋の中で一晩を明かす。正直このシーンは、冬なめんなよ! と思ったのだが(笑)、まあ、凍死してもしょうがないのでそれはよしとしよう。明里の家に泊まるという選択肢はなかったという根拠が明示されれば納まりが良かったんじゃなかろうか、とも思うけど、しかしそれが描かれていたならいたで、野暮に思えたかもしれないし。 そして2人は別れる。電車のドアが閉まる前に明里がかけた、 「貴樹君は、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」 という言葉、これは解釈が難しい。これも併せて後述。そして、貴樹がキスの前と後では世界が変わってしまって、手紙をなくしたことを明里に告げなかったというモノローグに被せて、明里が鞄から貴樹に宛てた手紙を取り出すシーンが描かれる。しかし、貴樹の渡せなかった手紙に対する思いに比べ、明里の情は複雑で悲しげなものだった。 ここで、勝手な深読みタイム。性的な衝動に流され、そうするべきものではない問題までうやむやになってしまうということは多々ある。険悪だったのに、セックスしたらちょっと仲直りしてしまうとか。しかし、それは繋がりあうって素晴らしいよねー、で済む話ではなく、数々の問題点も孕んでいるわけだ。完全にifの話だが、貴樹はもしかしたら、唇の柔らかさだけを残してはいけなかったのかもしれない。そこで湧き上がった、明里への愛、そして、それ故に姿を現した不安や悲しみを、もっと強く抱えていなければいけなかったのかもしれない。その思いを強く告げていれば、もっと別の未来があったのかもしれないのに、キスの全能感の前に貴樹は「伝わった」気になってしまっていたのかも――そんな考えが浮かんだ。 そして、それを本能的に察したからこそ、明里は手紙を渡すことが出来なかったのでは――と考えると、途端に「きっとこの先も大丈夫」という言葉が、残酷なものに思えてくるのだから恐ろしい。この先大丈夫でなければ、2人で共にいる未来を探ることもあったのかもしれないのだから。 しかし、本当に批評性も何もない深読みでしかないとは思うのだが、感想というものは主観でしか語りようがないので、以下この深読みをベースにして、二話以降にも触れていきたい。小説を読めばはっきりするのかもしれないのだけれど、僕は手紙の文面を読んだだけなので、そこら辺は分からないのです。 ■第二話「コスモナウト」 ちょっと長くなりすぎだし、第一話の最後の深読みを書くために、細かい情景描写もしておいた方がいいかな、という思いもあったので、二話以降は簡潔に行ければと。多分無理ですが(苦笑)。 舞台は鹿児島に移り、貴樹を強く思っている、同級生の澄田花苗の視点で物語は推移する。ちなみに時代描写として、リンドバーグの歌が流れたりする。そして、高校三年生になった貴樹は、携帯電話でメールを打っている。正直リンドバーグと携帯を同じ時代に押し込めるのは無茶がないか、と思ったりも(笑)。まあ、これについては1つの仮説があるのだが、それは後述。後述ばっかりでごめんなさい。そしてこの第二話では、冒頭でも少し触れたが、新海誠といえば――といった感じの宇宙に関する描写も描かれる。種子島宇宙センターで行われるシャトル打ち上げが、重要なシーンとして登場するのだ。 ただし、冒頭は謎のシーンから始まる。草が強い風になびいている丘の上を、貴樹と明里と思しき女性が歩いている。2人は立ち止まり、女性は地面に座る。2人の目の前には、地球のような星が見え、さらに太陽のような恒星が雲の隙間から顔を出し、その光は貴樹の顔を照らす。というか、その時まで2人は完全にシルエットになっているのだが、その光が少しずつ貴樹を照らしていくのだけれど、女性の顔にその光が当たる前に場面は転換する。 花苗は中学で自分のクラスに転校してきた貴樹に一目で惹かれ(曰く、「遠野君は、他の男の子たちとは、どこか、少し違っていた」)、猛勉強して同じ高校に入り、すでに進路を考える時期になっている(要するに出会って4年目になるわけだ)が、未だに貴樹を見るだけで緊張してしまうようなピュアな思いを抱えている。どれくらいピュアかといえば、部活(中学ではサッカーだったのが、弓道になっていた)を終える貴樹をこっそり待ち構えて、偶然を装って一緒に帰るくらいピュアなのである!! しかし、花苗は貴樹にどうしても届かない部分があることを、この二話のラストで自覚するに至るのだが、この時点でも本能的に察知しているのか、精神的なもやもやを抱えている。進路調査票をクラスでただ1人提出しておらず、好きなサーフィンでもスランプに陥り、波の上に立てずにいた。 宇宙の要素もまぶしつつ、貴樹と花苗の日常を描きながら物語は進行する。花苗の恋は、見ていて辛くなるようなピュアネスに貫かれている。それは結末を知っている今だから、というわけではなく、見ているその時点で、この恋は成就しないであろうことを観るものが察してしまうからだろう。そして再び謎のシーンが。海辺に佇む貴樹と謎の女性。そして、今度は陽が当たっているものの、またも女性の顔ははっきりと見えない。僕は正直、このシーンが理解できなかった。女性が明里であることは間違いないだろうし、冒頭のあの地球みたいな星だとかはなんなのか、と思っていた。しかし、その次のシーンで、一応その謎が解ける。 貴樹は灯りを消した自室でメールを打っている。その携帯電話がアップになり、 「出す宛てのないメールを打つ癖がついたのは、いつからだろう」 というモノローグが被せられる。序盤から、貴樹がメールを打っているシーンが散見され、花苗が自分へのメールだったらいいのに、などと想像するモノローグもあったりするのだが、それは送られないメールだったのだ。とは言っても、最初は全く分からず、見返した際にその携帯電話のアップを一時停止で確認してようやく分かったことなのだけれど。 そのメールは、「今朝の夢」というタイトルで、画面に映っている文面はこうだ。 「異星の草原をいつもの少女と歩く。いつものように顔は見せない。空気にはどこか懐かし」 そこは地球ではなく、貴樹の夢の中であり、女性は――当然、彼女が明里であることを貴樹も望んではいるのだろうが――その正体が明らかになっていない存在だったのだ。そのメール作成画面で、宛先にカーソルを合わせた貴樹は、しばしの逡巡の後、結局そこに何を入力するでもなく、内容を保存せずに消してしまう。 そのような暗く重い場面の後に、その直前のシーンで、明日のことも分からないと言った時に、自分もそうだと答えた貴樹との会話に勇気を得た花苗が吹っ切れた様子でサーフィンに挑戦し、花苗と同じ学校で教職を勤める姉からの進路を決めたのかという問いに対し、分からないが、しかしひとつずつ出来ることからやると決めたと答え、見事波の上に立つことに成功する場面が描かれる。 明日のことも分からないという、当たり前の事実ではあっても、全てを見通しているかのような超越した存在であったように思えていた貴樹が自分と同じくそう思っていたことに花苗は勇気づけられる。しかし、貴樹にとってはその事実は重く苦しいものであるように思え、爽快なサーフィンのシーンに、残酷なコントラストを感じたりもする。 そして、花苗は波に乗れた今日言うしかない、と貴樹に告白することを決意し、いつものように放課後貴樹を待ち伏せして一緒に帰宅する。いつものコンビニに寄った際に、常に色々と悩んでから買う花苗が、貴樹がいつも買う種子島コーヒーを選んだ(サイズは小さい・笑)。 ちなみに、これは第三話のところで触れるが、この作品はある曲を出発点にして作られたもので、貴樹と明里の恋の行方を観てきた身としては、最後にその曲が流れるシーンで、いちいち歌詞と合致していることに驚かされるのだが、小学校時代のスーファミ、高校時代の携帯電話、社会人になった貴樹が描かれる第三話にてその曲がコンビニで流れているシーン(リリース自体は少し前なのだが、流れていることに違和感を感じる曲ではないし、実際に新海誠本人が、その曲の作者との対談にて、10年近く前にリリースされたその曲を、制作期間中にコンビニで何度か聴いたと証言している)の3つを貫く縦軸と、明らかにリンドバーグはずれているように思うのだが、それは、このコンビニのシーンにてバックにかかっている、「君のいちばんに…」という曲を使いたかったがためなのかもしれない。タイトルだけでも十分に花苗の気持ちを表している曲ではあるのだが、劇中で流れるこの曲の2番のサビと、それに続くブリッジの歌詞を知っている人なら、新海誠の手法に驚かざるを得ないだろう。 「もう少し もう少しだけ このままでここにいて 感じていたい 大丈夫 大丈夫だよ 自分に言いきかせながら 涙 あふれて とまらないのは べつに 君の せいじゃないよ」 憎いねこのう。しかし結局、花苗は貴樹に思いを告げることは出来ず、ついには「お願いだから、もう、私に、優しくしないで」と思いながら涙を流してしまう。と、そこで、涙を流す花苗を貴樹が呆然と見つめるその時、種子島宇宙センターからロケットが打ち上げられ、貴樹の背後の空を切り裂いて行く。第二話のハイライト。これぞ新海!! そして花苗は、その光景を眺めながら、自分は決して貴樹とは結ばれないのであろうと腑に落ちる。 「必死に、ただ闇雲に空に手を伸ばして、あんなに大きな塊を打ち上げて、気の遠くなるくらい向こうにある何かを見つめて――遠野君が他の人と違って見える理由が、少しだけ分かった気がした。 そして同時に、遠野君は私を見てなんていないんだということに、私ははっきり気づいた。 だからその日、私は遠野君に、何も言えなかった」 この花苗のモノローグは、新海誠がロケットというものを、単なるインパクトのあるモチーフとして使ったわけではないということを明示している(、気がする・苦笑)。東京の大学に進学する貴樹は、あのロケットなのだ。再び明里と出会えるように、どこまでも――例え行く先が暗闇に包まれた何もない宇宙であっても、果てを目指して飛び続ける人間なのだ。花苗はその果てでもなく、またそのような人間でもない。おそらく彼女は、同じ一つ所にただあり続けることに美しさを見出せる人間であり、貴樹が空、あるいは劇場中に何度も登場する空を翔る鳥(どうやら、これにも深い理由があり、それは小説版を読めば分かるらしい)であるなら、彼女は大地なのではないだろうか。 そして続く、 「遠野君は優しいけれど、とても優しいけれど、でも、遠野君はいつも、私のずっと向こう、ずっと遠くの何かを見ている」 というモノローグとともに、あの異星の光景が描かれる。そこは序盤のシーンの続きで、女性が立ち上がり、彼女の顔が光で照らされる。彼女は、やはり明里だった。 そして、これも何度か見返して気づいたことなのだけれど、序盤のシーンでは、座っている明里を見下ろす貴樹の表情は固いものであったのだが、この場面では、立ち上がって貴樹に微笑む明里に対して、貴樹も微笑みを返しているのだ。そして、先程のメールとサーフィンのシーンのようなコントラストがここでも描かれる。そのシーンが終わっても花苗のモノローグは続き、画面の中の彼女は、恋に破れ、布団を抱いて泣きながら横になっているのだ。たとえ夢の中ででも、種子島の空を切り裂き飛んでいったロケットに乗って、明里を見つけ、微笑みを浮かべた貴樹とは対照的に。 それと、余計なお世話ながら、ひとつだけ気になった点が。空の描写が素晴らしすぎるのもあるのだけれど、ちょっとサーフィンシーンの海の描写のレベルは微妙な気がして、ちょっとそこは個人的にマイナスポイントだった。 ■第三話「秒速5センチメートル」 舞台は再び東京に戻る。大学を卒業し、3年間の社会人生活に磨耗していた自分に気がついた貴樹は、会社を辞めてしまっていた。 (小学校時代と同じ街?)踏み切りを歩いていた貴樹は、明里に似た女性とすれ違う。はっとしながらも、踏み切りを渡り終えた時、貴樹はこう考える。 「今、振り返れば、きっとあの人も振り返ると、強く、感じた」 そして、貴樹が振り返ると同時に、電車が貴樹の視界を塞ぐ。そこで回想シーンに場面が転換。新宿の街を歩く貴樹の携帯が鳴るが、貴樹は携帯をとらない。そして、貴樹の携帯を鳴らしていると思しき女性の姿が映し出される。 さらに転換、駅のホームにて、明里が両親に見送られている。来月に結婚式を迎える明里は、車内で流れていく風景を眺めながら、昨晩見た夢を思い返していた。その夢とは、幼い自分と貴樹のものだった。それはきっと、昨日荷物を整理していて、あの出せなかった手紙を見つけたから。 貴樹の部屋。携帯電話が鳴った。それは3年間付き合った末に別れた女性からのメールだった(先程出てきた女性)。その文面は、 「あなたのことが今でも好きです。 でも、私たちはきっと1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」 というものだった。 ここで書かれていることはおそらく正解だろう。貴樹は花苗も見てはいなかったし、実際に付き合うという形になっても、その相手と1センチしか近づくことが出来なかったのだ。桜は、1秒に5センチの速さで落ちるというのに、3年で、たったの1センチ。それはなぜか? 当然、明里がいたからだろう。貴樹には、明里しかいなかったのだ。貴樹は会社を辞めた理由をこう振り返る。 「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からず、僕はただ働き続け、気づけば、日々弾力を失っていく心が、ひたすら辛かった。 そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが、きれいに失われていることに僕は気づき、もう限界だと知った時、会社を辞めた」 場面はコンビニに入る貴樹。店内には山崎まさよしの「One more time, One more chance」が流れている。そこで、貴樹と明里のモノローグが交互に重なり、あの雪の日に2人は思いを馳せる。貴樹も明里と同じ夜に、2人の夢を見ていたのだ。コンビニで貴樹が立ち読みしている雑誌には、あの日種子島から打ち上げられた宇宙探査衛星(多分同じもののはず)が、ついに太陽系外へ達したニュースが掲載されていた。 とそこで、突然「One more time, One more chance」のボリュームが上がり、映画のメインBGMになる。そこからの歌詞と断片的に挿入される映像群は圧巻。「言えなかった 好きという言葉を」のところで、種子島から去って行く貴樹の乗った飛行機を花苗が見上げる場面が被さるのはずるい。主役かと(苦笑)。なかでも、互いの手紙のやりとりが次第になくなっていく様子が胸に刺さった。これはよく分かる気がした。互いの思いが薄れたわけではなくても、次第に届かなくなる手紙。少なくとも貴樹は、手紙の行き来がなくなっても明里のことだけを見ていたことを、第二話を経て我々は知っているのだ。 ここで、第一話の最後に書いた深読みを畏れながら思い出していただきたい。もしも、明里の伝えた「きっとこの先も大丈夫」という言葉に、私がいなくても大丈夫だという思いが込められていたのであれば、あまりにも悲しすぎるではないか。ちっともそうではなかったのに。貴樹は夢の中で、もしかしたら、宇宙を駆けた果てであるのかもしれない世界で、明里を探していたほどであったのに。もちろん、そのような悲しい達観でなくても、人は時間とともに傷を忘れることが出来る生き物だし、明里が結婚を決意するような相手に出会い愛し合うに至ったことに納得することは出来る。というか、そうであって欲しい。「貴樹君はきっと私がいなくても大丈夫だから、私は私を必要としてくれるこの人と一緒に過ごそう」――そのような思いがベースでなければいいと心から思う。しかし、そう思うのだけれど、一度そのような深読みに至ってしまった以上、僕はそう思い込んでしまって、余計に悲しくなってしまうのだ。 しかし、ここで僕を救ってくれるのが花苗の存在だ。友人がこの映画について、 「鑑賞中から「これは男子向け映画」という印象もまたある。 女子は「男子の過去感傷」に好意的ではない。 第2話に登場する少女は「男がつくる理想憧憬少女」だった。 この少女に、女子は鼻白むのではないか。」 と、ミクシィにて書いていて、実際に、僕も最初は花苗の存在を描くことにそこまでの必然性があったのだろうか(鹿児島に行ってからも、貴樹が明里を思い続けていたことを描くだけなら、さや当てのように彼女を登場させることもないのではないだろうか)、と思っていた。しかしその友人は、 「「感傷喚起」がこれでもかと押し寄せてきて、頭の中がごっちゃりしている。 興奮としかいいようのないものがまだ持続している。 (ただ、それは「感動」とは別種のものである)」 「いい映画を『観た』というより、いい映画を『観てしまった』。 たぶん、あと数年は観返せない。 この「興奮」を受け止められなるにはまだ余裕がない」 とも書いていて、僕も違和感を感じはしたものの、その美しい風景描写と相まって、とても強い印象を受けはしたのだった。そしてその印象を引き摺るように見返し、気になるシーンのコマを止めることにより、新たな発見と深読みに出会い、さらに心が揺さぶられることになった。 そこで僕が(勝手にそう)感じた、貴樹と明里のすれ違い方の救いの無さに対する感傷を、最もファンタジーの中にいるように思えた花苗のストーリーが、程よく中和してくれるのだ。当たり前と言われればそれまでの話ではあるが、2人が互いに願いながらもずっと一緒にいることが出来なかったように、花苗も、貴樹と互いに好きあう関係にはなれなかったのだ。報われないことはあるという当たり前の、しかし、つい貴樹と明里に強くフォーカスして、必要以上にそれを悲劇的に受け止めてしまいそうな自分に、花苗は適度な現実的なブレーキをかけてくれた。 そしてその現実感が、さらに2人の思いの手触りを確かなものにしてくれた。 そしてラストシーン、電車が通り過ぎた時、明里はそこにいなかった。しかし貴樹は、一瞬驚いたような表情になるものの、ほんの僅かながら、笑みを浮かべ、踏み切りが上がると同時に、確かな足取りで歩き出したのだ。 もしかしたら、ようやくここで初めて、貴樹は明里に対して「きっと大丈夫」だと思うことが出来たのかもしれない。そうは言っても、一部で囁かれているように鬱エンドと捉えることも充分に可能だとは思うのだけれども、しかし、やはりこれはハッピーエンドなのだろう。きっとここから、2人はそれぞれの人生を、力強く歩み始めることが出来るに違いない――特に根拠もなく、直感的に僕はそう思ったのだった。 まあ、単純に、男はぐじぐじ引き摺りやすくって、女性はそこら辺強い、って思ったりもするんですけどね(苦笑)。 まあしかし、何とも妙な残り方をする作品であり、とにかく興味を持ったなら見ていただければ、とは思います。誰しもにオススメ、というわけではないのですが。 ただ、この映画は、第一話のところで書いたとおり、自分の記憶がベースとなって(別にそんな甘酸っぱいエピソードなんぞなくても)、強く感傷を刺激される作品であると思います。誰かを好きになり、その思いが届かなかったことがある人であれば、心のどこかしらを突っつかれる何かがあるのではないでしょうか。 まあ、そんなこんなでこんな長いの全部読んでくださった方がいたなら、ごめんなさい&ありがとうございます。ご覧のとおり、自分でも全く整理がついていないので(苦笑)、小説版読んでみようかな。小説版を読んだら、何だか自分の中で良い具合に納まりがつくのではないかなーと思います。
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