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啊Q正传日文版本

2011-02-09 34页 pdf 528KB 35阅读

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啊Q正传日文版本 阿Q正伝 第一章 序 わたしは阿 Qあキューの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれ ども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分 る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰 某たれそれは 誰某に靠よって伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Q を伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやにな る。 それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下...
啊Q正传日文版本
阿Q正伝 第一章 序 わたしは阿 Qあキューの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれ ども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分 る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰 某たれそれは 誰某に靠よって伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Q を伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやにな る。 それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、 いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の被 仰おっしゃるには「名前が 正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、 自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼蝿うるさいほどたくさんあるが、惜し いかな皆合わない。 列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列す べきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝と すれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝とした らどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付せんぷして本伝を立てたことがまだ 一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは 博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではな い。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうか しらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、 阿Qは別に大 伝たいでんというものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、 わたしの文章の 著 想ちゃくそうからいうと文体が下卑ていて「車を引いて漿のりを売る人達」が使 う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に入いらな い小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を 取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文字もんじの上から見るとは なはだ紛らしいが、もうどうでもいい。 第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」 とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は 趙ちょうと名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。 それは趙太爺だんなの息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の 黄 酒うわんちゅを飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、とい うのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく穿 鑿せんさくすると、彼は秀才よりも目 上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところ が二日目には村役人が阿Qを喚よびに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔 じゅう真赤まっかにして怒鳴った。 「阿Q! キサマは何とぬかした。お前が乃公おれの御本家か。たわけめ」 阿Qは黙っていた。 趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「出鱈目でたらめもいい加減にし ろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」 阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃり と一つ呉くれた。 「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」 阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と 一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出し て村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分 で擲なぐられるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし 本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。 それからというものは彼の名 氏みょうじを持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、 突きとめることが出来なかった。 第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間 は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないの で、どうして「これを竹 帛ちくはくに著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言え ば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしは つくづく考えてみると、阿 Quei は、阿桂あくいあるいは阿貴あくいかもしれない。もし彼に月 亭げってい という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いな い。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無 い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめ てしまうのはあんまり乱暴だ。 もしまた彼に一人の兄弟があって阿富あふと名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違 いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する文字もんじは皆変 槓へんてこな意味が含まれいっそう嵌はまりが悪い。以前わたしは趙太爺 の 倅せがれの茂才もさい先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかっ た。しかし結論から言えば、 陳 獨 秀ちんどくしゅうが雑誌「新青年」を発行して羅馬ローマ字を提唱し たので国粋が亡ほろびて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷 生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより外ほかはなかった。そうして一個月たっ てようやく返辞へんじが来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いと いう事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの 上は調べようがない。そこで、注 音 字 母ちゅうおんじぼでは一般に解るまいと思って 拠 所よんどころなく 洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と書しょし、更に省略して阿Qとした。これは 近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らない ものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう? 第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる郡望まつりの旧 例に拠より、郡 名 百 家 姓ぐんめいひゃっかせいに書いてある注解通りにすればいい。「 隴 西 天 水ろうせいてんすいの人 也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがっ て原籍も決定することが出来ない。彼は未荘みそうに住んだことが多いがときどき他処たしょへ住 むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に乖そむく。 わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であっ た。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。そ の他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つ の希望は「歴史癖と考証好ずき」で有名な胡適之こてきし先生の門人等らが、ひょっとすると将来幾 多の新端 緒たんしょを尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅している かもしれない。 第二章 優勝記略 阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もま たあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもち ゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話 などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠みはって 「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っ ていやがるんだえ」というくらいが 勢 一 杯せいいっぱいだ。 阿Qは家が無い。未荘の 土 穀 祠おいなりさまの中に住んでいて一定の職業もないが、人に 頼まれると日 傭 取ひようとりになって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗つけと言われれば 米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊り して、済んでしまえばすぐに出て行ゆく。だから人は忙せわしない時には阿Qを想い出すが、 それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも 糸瓜へちまもないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こん なことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」 と言った。この時、阿Qは臂ひじを丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている) 無 性ぶしょう臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気 にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。 阿Qはまた大層己惚うぬぼれが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいこ とには二人の「文 童ぶんどう」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文 童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢 太 爺せんだんなが居民の尊敬を 受けているのは、お金がある事の外ほかに、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの 精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって 倅せがれがあればもっと偉くなっ ているぞ! 城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらま た城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三 尺じゃく幅三寸の木の板で作った腰掛は、未 荘では「 長 登チャンテン」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「 条 登デョーテン」とい うと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈たらの煮浸にびたしは未荘では 五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、 おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき 田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。 阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」の だから、ほとんど一いっぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は 体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来た ものかずいぶん幾 個 所いくこしょも瘡かさだらけの禿はげがあった。これは彼の持物であるが、彼のお もわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「癩らい」という言葉を嫌って一切 「頼らい」に近い音おんまでも嫌った。あとではそれを推おしひろめて「 亮りょう」もいけない。「光こう 」もいけない。その後また「燈とう」も「 燭しょく」も皆いけなくなった。そういう言葉をち ょっとでも洩もらそうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅ うの禿を真赤まっかにして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は 擲なぐりつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼 はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。 ところがこの怒目どもく主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼 を嬲なぶり物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて 「おや、明るくなって来たよ」 阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で 「と思ったら、空気ランプがここにある」 アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして 「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」 この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの斑まだら 禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、 もうその先きは言わない。 閑 人ひまじん達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂にに打ち合いになる。阿Q は形式上負かされて黄いろい辮子べんつを引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを 頂 戴ちょうだい し、閑人はようやく胸をすかして勝ち慢ほこって立去る。 阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中うちで思った。「[#「「」は底本では欠落]乃 公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し 勝ち慢ほこって立去る。 阿Qは最初この事を心の中うちで思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だ から阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。 そこで今度彼の黄いろい辮子を引 掴ひっつかむ機会が来るとその人はまず彼に言った。 「阿Q、これでも子供が親爺おやじを打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自 分で言え、人が畜生を打つと」。 阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。 「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」 だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこ かの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち慢ほこって立去る。 彼はそう思った。今度こそ阿Qは凹垂へこたれたと。 ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち慢ほこって立去る。阿Qは悟っ た。乃公は 自みずから軽んじ自ら賤いやしむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解ら ない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。 状 元じょうげんもまた第一人じゃない か。「人を何だと思っていやがるんだえ」 阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になっ て酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩 をして、また勝ち慢ほこって愉快になって、土 穀 祠おいなりさまに帰り、頭を横にするが早いか、ぐ うぐう睡ねむってしまうのである。 もしお金があれば彼は博奕ばくちを打ちに行ゆく。一かたまりの人が地面にしゃがんでい る。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。 「青 竜 四 百ちんろんすーぱ!」 「よし……あける……ぞ」 堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱うたい始める。 「 天 門てんもん 当あたり―― 隅 返すみがえし、人と、 中 張なかばり張手はりて無し――阿Qの 銭ぜにはお取上 げ――」 「 中 張 百 文なかばりひゃくもん――よし百五十文もん張ったぞ」 阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行 ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外そとへ出て、後ろの方に立って人の事で心 配しているうちに、博奕ばくちはずんずん進行してお終しまいになる。それから彼は未練らしく 土 穀 祠おいなりさまに帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。 けれど「塞 翁さいおうが馬を無くしても、災難と極きまったものではない」。阿Qは不幸にし て一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。 それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさん の博奕場ばくちばが舞台の左側に出た。囃はやしの声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼 はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小 銀貨は 大 洋だーやん になり、 大 洋だーやん は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「 天 門 両 塊てんもんりゃんかい」と叫んだ。 誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、 バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には 博奕場も無ければ人も無かった。身中みうちにかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食くい、幾つ も蹶飛けとばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して 土 穀 祠おいなりさまに入った。 気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいて いこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。 まっ白なピカピカした銀貨! しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗とら れたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えば いいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれ ど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の 面おもてを力任せに引ッぱた いた。すると顔がカッとして火照ほてり出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著つい て来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあ った。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか 火照ほてるには違いないが――心は十分満足して勝ち慢ほこって横になった。 彼は睡ってしまった。 第三章 続優勝記略 それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ち ょうちゃくを受けてからのことだ。 彼は二百文の酒手さかてを村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あ とで思いついた。 「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」 そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉 しくなった。彼が急に起き上って「若寡婦ごけの墓参り」という歌を唱うたいながら酒屋へ行っ た。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。 変 槓へんてこなこったがそれからというものは、果してみんなが殊ことの外ほか彼を尊敬するように なった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のこと であるが、本当の 処ところはそうでなかった。未荘の仕来しきたりでは、阿七あしちが阿八はちを打つよう な事があっても、あるいは李四りしが 張 三ちょうさんを打っても、そんなことは元より問題になら ない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初め て彼等の口に端はに掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそ のお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけ は? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは 殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆 棒べらぼうな話だが、よく考えてみると、阿 Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を 尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左さのような 意味があるかもしれない。 聖 廟せいびょうの中のお供物のように、阿Qは豬 羊ちょようと同様の畜生 であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。 阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張いばっていた。 ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに 王 ※ワンウー[#「髟/胡」、133-4]がもろ肌ぬいで 虱しらみを取っているのを見た。たちまち感 じて彼も身体がむず痒がゆくなった。この王※ひげ[#「髟/胡」、133-5]は禿 瘡はげがさでもある上 に、※[#「髟/胡」、133-6]をじじむさく伸ばしていた。阿Qは 禿 瘡はげがさの一点は度外 に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの 考かんがえでは、外ほかに格別 変ったところもないが、その顋あごに絡まる※ひげ[#「髟/胡」、133-7]は実にすこぶる珍 妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側そばへ行って並んで坐った。これ がもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王※[#「髟/胡」、133-9] の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉っ たのだ。 阿Qは破れ 袷あわせを脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだ がやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉とらまえた。彼は王※[# 「髟/胡」、133-12]を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛ほうり込んでピチピチ パチパチと噛み潰した。 阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王※[#「髟/胡」、133-14]なんて取るに 足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃし ねえ。こりゃどうも 大おおいに面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫ひねり出そうと 思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉とらまえたのは中くらいの奴で、彼は 恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王※[#「髟/ 胡」、134-4]の 響ひびきには及ばなかった。 彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。 「この毛虫め」 「やい、瘡かさッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王※[#「髟/胡」、134-7]は眼を 挙げてさげすみながら言った。 阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気こうまんちきになっているが、いつも やり合う人達の面を見ると、やはり心が怯おくれてしまう。ところが今度に限って非常な 勢いきおいだ。何だ、こんな※ひげ[#「髟/胡」、134-9]だらけの代物が生意気言いやがるとば かりで 「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。 「この野郎、骨が痒くなったな」王※[#「髟/胡」、134-12]も立ち上がって著物を著 た。 相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛かかって来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉くれた。 その拳骨がまだ向うの身体からだに届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮か した。じつけられた辮子は 墻まがきの方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せ が始まるのだ。 「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。 王※ひげ[#「髟/胡」、135-3]は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁に ぶっつけて力任せに突 放つっぱなすと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで※[# 「髟/胡」、135-4]は 大おおいに満足して立去った。 阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王※ひげ[#「髟/胡」、 135-5]は顋あごに絡まる※[#「髟/胡」、135-5]の欠点で前から阿Qに侮られていたが、 阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところ が現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登 用とうよう試験をやめて 秀才も挙 人きょじんも不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下 すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。 阿Qは 拠 所よんどころなく 彳たたずんだ。 遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、 すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇やそ学校に通学していたが、なぜかしらん また日本へ行った。半年あとで彼が家うちに帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の 辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も 愁 歎 場しゅうたんばを見せた。彼の 祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は 到 処いたるところで説明した。 「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪きり取られたんです。本来あれがあればこそ 大 官たいかんになれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかり です」 さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽毛唐けとう」「外国人の犬」と思い込み、彼を見る たんびに肚はらの中で 罵ののしり悪にくんだ。 阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬まがい物と来てはそれこそ人間の 資格がない。彼の祖母が四度よど目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。 その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿はげ、驢ろ……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口 へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の 憤いきどおりでもあるし、復讎の観念もあ ったかた、思わず知らず出てしまった。 ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせ ると葬式の泣き杖づえだ――大 跨おおまたに歩いて来た。この一刹那せつなに阿Qは打たれるような気 がして、筋骨を引締ひきしめ肩を 聳そびやかして待っていると果して ピシャリ。 確かに自分の頭に違いない。 「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側そばに遊んでいる一人の子供を指さした。 ピシャリ、ピシャリ。 阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、 ピシャリの 響ひびきのあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽に なった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶ らぶら歩いて酒屋の門 口かどぐちまで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。 折 柄おりから向うから来たのは、 靜 修 庵せいしゅうあんの若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見 るときっと悪態を吐つくのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと 共に 敵 愾 心てきがいしんを喚 起よびおこした。 「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独 りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。 「ペッ、プッ」 若い尼は皆 目かいもく眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸 ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。 「から坊主! 早く帰れ。和尚が待っているぞ」 「お前は何だって手出しをするの」 尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。 酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ 出した。 「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の頬ほっぺたを摘つまんだ。 酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために 力任せに一捻りして彼女を突放した。 彼はこの一戦で王※[#「髟/胡」、138-9]のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、 きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリの あの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。 「阿Qの罰ばち当りめ。お前の世継ぎは断たえてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。 「ハハハ」阿Qは十分得意になった。 「ハハハ」酒屋の中の人も九分くぶ通り得意になって笑った。 第四章 恋愛の悲 こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかし と願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだっ たら、彼はかえって勝利の無 聊ぶりょうを感じる。また勝利者というものは、一切を征服した あとで死ぬものは死に、降くだるものは降って、「 臣 誠 惶 誠 恐 死 罪 死 罪しんせいこうせいきょうしざいしざい」という ような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上に いる自分だけが別物になって、 凄すさまじく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところ が我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那しなの精神文明 が全球第一である一つの証拠かもしれない。 見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。 しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふら りふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと 土 穀 祠おいなりさまに入った。常例に拠るとそこ ですぐ横になって 鼾いびきをかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。 彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂 漲あぶらぎって変な感じがした。若い尼の顔の 上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面つらの皮に こすられてすべっこくなったのかもしれない。 「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣よつぎは断たえてしまうぞ」 阿Qの耳 朶みみたぶの中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。 「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断たえ孫が断たえてしまったら、死んだあとで 一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」 一体「不孝には三つの種類があって 後嗣あとつ ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「 若 敖 之 鬼 餒 而むえんぼとけのひぼし」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれも これも聖賢の 教おしえに合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になって から「心の駒を引き締めることが出来なかった」 「女、女……」と彼は想った。 「……和尚(陽器ようき)は動く。女、女!……女!」と彼は想った。 われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ない が、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」 を思わずにはいられなかった。 たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代 物しろものだと知ればいい。 支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されて しまう。 商しょうは妲己だっき[#「妲己」は底本では「姐己」]のために騒動がもちあがった。 周しゅうは 褒ほうじのために破壊された? 秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は 破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董 卓とうたくは貂 蝉てんぜんのために確実 に殺された。 阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて 教おしえを受けたか知らない が、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気せいきがあった。たと えば尼、偽毛唐の類るい。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れ ば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲 しめる 考かんがえで、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒さま し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。 ところが彼は三十になって竟ついに若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふ らの精神は 礼 教れいきょう上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪にくむ べきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼 の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前ぜん、舞台の下 の人混ひとごみの中で一度ある女の股 倉またくらに足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、 ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかっ た。これを見てもいかに異端の悪にくむべきかを知るべし。 彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみてい たが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも 注意して聴いていたが、彼女は決して艶つやッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の 悪にくむべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著きていた。そう思いながら阿Qは 「女、女!……」と想った。 その日阿Qは趙太爺の家うちで一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸っ た。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。 定 例じょうれいに拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くも また二三の例外があった。 その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、 燈あかりを点じて文章を読むことを許された。そ の二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依っ て、阿Qが米搗きに 著 手ちゃくしゅする前に台所で煙草を吸っていたのだ。 呉媽ウーマは、趙家の中うちでたった一人の女 僕じょぼくであった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もま た腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。 「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小 妾ちいさいのを一人買お うと思っているんです」 「女……呉媽……このチビごけ」と阿Qは思った。 「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」 「女……」と阿Qは想った。 阿Qは煙管きせるを置いて立上った。 「内うちの若奥さんは……」と呉媽はまだ喋舌しゃべっていた。 「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」 阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。 一刹那せつな、極めて森 閑しんかんとしていた。 呉媽はしばらく神威しんいに打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。 「あれーッ」 彼女は大声上げて外へ馳かけ出し、馳かけ出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に 変って来た。 阿Qは壁に対むかって跪坐きざし、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無 性ぶしょうら しく腰を上げ、いささか沫あわを食ったような体ていでドギマギしながら、帯の間に煙管を挿 し込み、これから米搗きに行ゆこうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと 一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレ をもって行手を塞いだ。 「キサマは謀叛むほんを起したな。これ、こん畜生………」 竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところは ちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る 時また一つ背中の上をどやされた。 「忘 八 蛋ワンパダン」 後ろの方で秀才が官話かんわを用いて罵る声が聞えた。 阿Qは米搗場に駈かけ込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「 忘 八 蛋ワンパダン」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者は かつて使ったことがなく、 専もっぱらお役所のお歴 々れきれきが用ゆるもので印象が殊の外深く、 彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてし まえば事件が落著して何の障さわりがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、し ばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物きものをぬいだ。 著物きものを脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが 好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳かけ出して行った。だんだん側そばへ行ってみると、 趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢 集あつまっている人の顔の見分けも出来た。 まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も 見えた。他に隣の 鄒 七 嫂すうしちそうや本当の本家の 趙 白 眼ちょうはくがん、 趙 司 晨ちょうししんなどもいた。 若奥さんは下部屋しもべやからちょうど呉媽を引張り出して来たところで 「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」 鄒七嫂も側そばから口を出し 「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけま せん」といった。 呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。 阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪 戯いたづらをするかしらんて?」 彼は立聴きしようと思って趙司晨の側そばまでゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って 彼を目蒐めがけて跳び出して来た。 阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、 急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成 行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間まに彼はもう 土 穀 祠おいなりさまの宮の中にいた。 阿Qは坐っていると肌が粟立あわだって来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると 残りの寒さが身に沁しみ、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣うわぎがつく づく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうち に村役人が入って来た。 「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯 したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」 こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役 人の酒手を倍増しにして四百文出すのが 当 前あたりまえだということになった。阿Qは今持合 せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。 一、 明 日みょうにち 紅 蝋 燭べにろうそく一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪す る事。 二、趙家では道士を喚んで首縊くくりの幽霊を祓う事( 首 縊 幽 霊くびくくりゆうれいは最も獰猛なる 悪鬼あくきで、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。 三、阿Qは今後決して趙家の 閾しきいを越えぬ事。 四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。 五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。 阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなく なった棉わた入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をした あとは、確かに幾 文いくもんか残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけの ものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。 一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが 仏 参ぶつさんの日まで蔵しまっておいた。 そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ 赤 坊あかんぼうのおしめになって、その 切屑は呉媽の鞋 底くつぞこに使われた。 第五章 生計問題 阿Qはお礼を済ましてもとのお廟みやに帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の 中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつ まり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛 けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の 墻まがきを照しているのだ。彼は起き上り ながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。 彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはない が、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪が った。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで 人のあとに跟ついて潜り込み、その上十一になる女の児こを喚び入れた。阿Qは不思議でたま らない。「こいつ等らはどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫ばいため」 阿Qはこらえ切れなくなってお馴染なじみの家うちに行って探りを入れた。――ただし趙家の 閾しきいだけは跨またぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと 男が出て来て、蒼蝿うるさそうな顔 付かおつきを見せ、まるで乞食こじきを追 払おっぱらうような体裁で 「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。 阿Qはいよいよ不思議に感じた。 この辺の家うちは前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあき っと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小D O Nしょうドンを よんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると 王※[#「髟/胡」、149-6]よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯 碗を取ってしまったんだから、阿Qの 怒いかり尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしな がら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻うなった。 「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」 幾日かのあとで、彼は遂に錢府せんふの照壁(衝 立ついたての壁)の前で小Dにめぐり逢った。「 讎かたき の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行ゆくと小Dも立止った。 「畜生!」阿Qは眼に稜かどを立て口の端へ沫あわを吹き出した。 「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。 したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ 殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自 分の辮 根べんこんを守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で 自分の辮根を守った。 以前の阿Qの 勢いきおいを見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰 えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半 時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹 形にじがたを 映 出えいしゅつした。 「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。 「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽おだてるのかしら ん。 それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩 退しりぞき、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも 突立った。およそ半時間……未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。ある いは二十分かもしれない……彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れてい た。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を 引いてどちらも人ごみの中に入った。 「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。 「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。 この一 幕ひとまくの「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満 足したかしらん、誰たれも何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼 まれなかった。 ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって 寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗へって蒲団も帽子も 上衣うわぎもないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子ズボンは残っているが、こればかりは 脱ぐわけには行ゆかない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、 決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだ めっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。 彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅 頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の 求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなか った。 未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行ゆき尽してしまった。村端はずれは大抵水 田であ[#「水田であ」は底本では「水あ田で」]った。見渡す限りの新 稲しんいねの若葉の中 に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの 田家でんかの楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこん なまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に 靜 修 庵せいしゅうあんの垣根の外へ行っ た。 庵のまわりは水田であった。白 壁しらかべが新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に 菜畑があった。 阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上 って何首烏かしゅうの蔓つるを引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の 樹に攀よじ昇り、畑 中はたなかへ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老 酒ラオチュも饅頭も食 べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん 筍たけのこが生えて いたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜からしなは花が咲い て、青菜は伸び過ぎていた。 阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側そばまで来る と、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったの は、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッち ょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中 の事は「一歩 退しりぞいて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜 いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵しまい込んだが、その時もう婆ばばの尼は見つけて いた。 「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね……ま あ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ……」 「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。 「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。 「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前……」 阿Qは言いも完おわらぬうちに足をもちゃげて馳かけ出した。追っ馳けて来たのは、一つのす こぶる肥大の黒 狗くろいぬで、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょう は裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿ももに噛みつきそうに なったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。 阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣かきの外へころげ出した。 狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申まおした。 尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う 序ついでに小石を掻き集めた が、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛かじって、 この村もいよいよ駄目だ、城内に行ゆく方がいいと想った。 大根を三本食ってしまうと彼は已すでに城内行ゆきを決行した。 第六章 中興から末路へ 阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッ たまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内 から帰って来ると非常な元気で
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