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竹取物语日文版

2012-04-10 15页 doc 79KB 91阅读

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竹取物语日文版 未名天日语学校 www.pkusky.com 《竹取物语》以精细的语言技巧和华美的词藻将真实性与传奇性现实与理想、美与丑、幻灭与永生对立而又和谐地结合在一个整体中。 每个日本人在童蒙初启时都已熟知了[辉夜姬的故事]因而在日本人的人生初年便接受了这部作品不同凡响的卓异气息。在人生以后的旅程中再对这个故事加以回忆时,都会被那极为空灵美丽的梦境和纯净的感情所震荡。 1 生い立ち 今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつ...
竹取物语日文版
未名天日语学校 www.pkusky.com 《竹取物语》以精细的语言技巧和华美的词藻将真实性与传奇性现实与理想、美与丑、幻灭与永生对立而又和谐地结合在一个整体中。 每个日本人在童蒙初启时都已熟知了[辉夜姬的]因而在日本人的人生初年便接受了这部作品不同凡响的卓异气息。在人生以后的旅程中再对这个故事加以回忆时,都会被那极为空灵美丽的梦境和纯净的感情所震荡。 1 生い立ち 今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、万の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひける。その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて见るに、筒の中ひかりたり。それを见れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに见る、竹の中におはするにて知りぬ、子になり给ふべき人なンめり。」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。妻の妪にあづけて养はす。美しきこと限なし。いと幼ければ笼に入れて养ふ。竹取の翁この子を见つけて後に、竹をとるに、节をへだてゝよ毎に、金ある竹を见つくること重りぬ。かくて翁やう\/丰になりゆく。この儿养ふほどに、すく\/と大になりまさる。三月ばかりになる程に、よきほどなる人になりぬれば、髪上などさだして、髪上せさせ裳着もぎす。帐ちやうの内よりも出さず、いつきかしづき养ふほどに、この儿のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き处なく光满ちたり。翁心地あしく苦しき时も、この子を见れば苦しき事も止みぬ。腹だたしきことも慰みけり。翁竹をとること久しくなりぬ。势猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸斋部秋田を呼びてつけさす。秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日うちあげ游ぶ。万の游をぞしける。男女をとこをうなきらはず呼び集へて、いとかしこくあそぶ。 2 求婚と难题 世界の男をのこ、贵なるも贱しきも、「いかでこのかぐや姫を得てしがな、见てしがな。」と、音に闻きめでて惑ふ。その傍あたりの垣にも家のとにも居をる人だに、容易たはやすく见るまじきものを、夜は安きいもねず、闇の夜に出でても穴を抉くじり、こゝかしこより覗き垣间见惑ひあへり。さる时よりなんよばひとはいひける。人の物ともせぬ处に惑ひありけども、何の効しるしあるべくも见えず。家の人どもに物をだに言はんとていひかくれども、ことゝもせず。傍を离れぬ公达、夜を明し日を暮す人多かり。愚なる人は、「益やうなき歩行ありきはよしなかりけり。」とて、来ずなりにけり。その中に犹いひけるは、色好といはるゝかぎり五人、思ひ止む时なく夜昼来けり。その名一人は石作皇子、一人は车持くらもち皇子、一人は右大臣阿倍御主人みうし、一人は大纳言大伴御行、一人は中纳言石上いそかみ麿吕、たゞこの人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しもかたちよしと闻きては、见まほしうする人々なりければ、かぐや姫を见まほしうして、物も食はず思ひつゝ、かの家に行きてたたずみありきけれども、かひあるべくもあらず。文をきてやれども、返事もせず、わび歌など书きて遣れども、かへしもせず。「かひなし。」と思へども、十一月しもつき十二月のふりこほり、六月の照りはたゝくにもさはらず来けり。この人々、或时は竹取を呼びいでて、「娘を我にたべ。」と伏し拜み、手を摩りの给へど、「己おのがなさぬ子なれば、心にも从はずなんある。」といひて、月日を过す。かゝればこの人々、家に归りて物を思ひ、祈祷いのりをし、愿をたて、思やめんとすれども止むべくもあらず。「さりとも遂に男合せざらんやは。」と思ひて、頼をかけたり。强あながちに志を见えありく。これを见つけて、翁かぐや姫にいふやう、「我子の佛变化の人と申しながら、こゝら大さまで养ひ奉る志疎おろかならず。翁の申さんこと闻き给ひてんや。」といへば、かぐや姫、「何事をか宣はん事を承らざらん。变化の者にて侍りけん身とも知らず、亲とこそ思ひ奉れ。」といへば、翁「嬉しくも宣ふものかな。」といふ。「翁年七十なゝそぢに馀りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす。女は男に合ふことをす。その後なん门も广くなり侍る。いかでかさる事なくてはおはしまさん。」かぐや姫のいはく、「なでふさることかしはべらん。」といへば、「变化の人といふとも、女の身もち给へり。翁のあらん限は、かうてもいますかりなんかし。この人々の年月を经て、かうのみいましつつ、宣ふことを思ひ定めて、一人々々にあひ奉り给ひね。」といへば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容を、深き心も知らで、『あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきを。』と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひ难しとなん思ふ。」といふ。翁いはく、「思の如くものたまふかな。そも\/いかやうなる志あらん人にかあはんと思す。かばかり志疎ならぬ人々にこそあンめれ。」かぐや姫のいはく、「何ばかりの深きをか见んといはん。いさゝかのことなり。人の志ひとしかンなり。いかでか中に劣胜おとりまさりは知らん。「五人の中にゆかしき物见せ给へらんに、「御志胜りたり。」とて仕うまつらん。』と、そのおはすらん人々に申まをし给へ。」といふ。「よきことなり。」とうけつ。日暮るゝほど、例の集りぬ。人々或は笛を吹き、或は歌をうたひ、或は唱歌をし、或はうそを吹き、扇をならしなどするに、翁出でていはく、「辱くもきたなげなる所に、年月を经て物し给ふこと、极まりたるかしこまりを申す。 『翁の命今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君达きみたちにも、よく思ひ定めて仕うまつれ。』と申せば、『深き御心をしらでは』となん申す。さ申すも理なり。『いづれ劣胜おはしまさねば、ゆかしきもの见せ给へらんに、御おん志のほどは见ゆべし。仕うまつらんことは、それになむ定むべき。』といふ。これ善きことなり。人の恨もあるまじ。」といへば、五人の人々も「よきことなり。」といへば、翁入りていふ。かぐや姫、石作皇子には、「天竺に佛の御み石の钵といふものあり。それをとりて给へ。」といふ。车持皇子には、「东ひんがしの海に蓬莱といふ山あンなり。それに白银を根とし、黄金を茎とし、白玉を实としてたてる木あり。それ一枝折りて给はらん。」といふ。今一人には、「唐土にある、火鼠の裘かはごろもを给へ。」大伴大纳言には、「龙たつの首に五色に光る玉あり。それをとりて给へ。」石上中纳言には、「燕つばくらめのもたる子安贝一つとりて给へ。」といふ。翁「难きことゞもにこそあンなれ。この国にある物にもあらず。かく难き事をばいかに申さん。」といふ。かぐや姫、「何か难からん。」といへば、翁、「とまれかくまれ申さん。」とて、出でて「かくなん、闻ゆるやうに见せ给へ。」といへば、皇子达上达部闻きて、「おいらかに、『あたりよりだになありきそ。』とやは宣はぬ。」といひて、うんじて皆归りぬ。 3 仏の御石の钵 「犹この女见では、世にあるまじき心ちのしければ、天竺にあるものも持てこぬものかは。」と、思ひめぐらして、石作皇子は心のしたくみある人にて、「天竺に二つとなき钵を、百千万里の程行きたりともいかでか取るべき。」と思ひて、かぐや姫の许には、「今日なん天竺へ石の钵とりにまかる。」と闻かせて、三年ばかり经て、大和国十市郡とをちのこほりにある山寺に、宾头卢びんづるの前なる钵のひた黑に煤つきたるをとりて、锦の袋に入れて、作花の枝につけて、かぐや姫の家にもて来て见せければ、かぐや姫あやしがりて见るに、钵の中に文あり。ひろげて见れば、 海山のみちにこゝろをつくしはてみいしの钵のなみだながれき かぐや姫、「光やある。」と见るに、萤ばかりのひかりだになし。 おく露のひかりをだにもやどさまし小仓山にてなにもとめけむとてかへしいだすを、钵を门に弃てゝ、この歌のかへしをす。 しら山にあへば光のうするかとはちを弃てゝもたのまるゝかな とよみて入れたり。かぐや姫返しもせずなりぬ。耳にも闻き入れざりければ、いひ烦ひて归りぬ。かれ钵を弃てゝまたいひけるよりぞ、面なき事をばはぢをすつとはいひける。 4 蓬莱の玉の枝 车持皇子は心たばかりある人にて、公には、「筑紫の国に汤あみに罢らん。」とて、暇申して、かぐや姫の家には、「玉の枝とりになんまかる。」といはせて下り给ふに、仕うまつるべき人々、皆难波まで御おくりしけり。皇子「いと忍びて。」と宣はせて、人も数多率ておはしまさず、近う仕うまつる限して出で给ひぬ。御おくりの人々、见奉り送りて归りぬ。「おはしましぬ。」と人には见え给ひて、三日许ありて漕ぎ归り给ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その时一の工匠たくみなりける内匠うちたくみ六人を召しとりて、容易たはやすく人よりくまじき家を作りて、构を三重にしこめて、工匠等を入れ给ひつゝ、皇子も同じ所に笼り给ひて、しらせ给ひつるかぎり十六そをかみにくどをあけて、玉の枝をつくり给ふ。かぐや姫のたまふやうに、违はずつくり出でつ。いとかしこくたばかりて、难波に密みそかにもて出でぬ。「船に乘りて归り来にけり。」と、殿に告げやりて、いといたく苦しげなるさまして居给へり。迎に人多く参りたり。玉の枝をば长柜に入れて、物覆ひてもちて参る。いつか闻きけん、「车持皇子は、优昙华の花持ちて上り给へり。」とのゝしりけり。これをかぐや姫闻きて、「我はこの皇子にまけぬべし。」と、胸つぶれて思ひけり。かゝるほどに门もんを叩きて、「车持皇子おはしたり。」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり。」といへば、逢ひ奉る。皇子のたまはく、「『命を舍てゝかの玉の枝持てきたり。』とて、かぐや姫に见せ奉り给へ。」といへば、翁もちて入りたり。この玉の枝に文をぞつけたりける。 いたづらに身はなしつとも玉の枝を手をらでさらに归らざらまし これをもあはれと见て居をるに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し给ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき处なく、あやまたずもておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我御家へも寄り给はずしておはしましたり。はやこの皇子にあひ仕うまつり给へ。」といふに、物もいはず頬杖つらづゑをつきて、いみじく叹かしげに思ひたり。この皇子「今さら何かといふべからず。」といふまゝに、縁にはひのぼり给ひぬ。翁ことわりに思ふ。「この国に见えぬ玉の枝なり。この度はいかでかいなびまをさん。人ざまもよき人におはす。」などいひ居たり。かぐや姫のいふやう、「亲ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さんことのいとほしさに、得难きものを、かくあさましくもてくること」をねたく思ひ、翁は闺の内しつらひなどす。翁皇子に申すやう、「いかなる所にかこの木はさぶらひけん。怪しく丽しくめでたきものにも。」と申す。皇子答こたへての给はく、「前一昨年さをとゝしの二月きさらぎの十日顷に、难波より船に乘りて、海中にいでて、行かん方も知らず觉えしかど、『思ふこと成らでは、世の中に生きて何かせん。』と思ひしかば、たゞ空しき风に任せてありく。『命死なばいかゞはせん。生きてあらん限はかくありきて、蓬莱といふらん山に逢ふや。』と、浪にたゞよひ漕ぎありきて、我国の内を离れてありき廻りしに、或时は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或时は风につけて知らぬ国にふき寄せられて、鬼のやうなるものいで来て杀さんとしき。或时には来し方行末も知らず、海にまぎれんとしき。或时にはかて尽きて、草の根を食物としき。或时はいはん方なくむくつけなるもの来て、食ひかゝらんとしき。或时には海の贝をとりて、命をつぐ。旅の空に助くべき人もなき所に、いろ\/の病をして、行方すらも觉えず、船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日いほかといふ辰の时许に、海の中に遥に山见ゆ。舟のうちをなんせめて见る。海の上に漂へる山いと大きにてあり。其山の样高くうるはし。『是や我觅むる山ならん。』と思へど、さすがに畏おそろしく觉えて、山の围めぐりを指し廻らして、二三日ふつかみか许见ありくに、天人あまびとの粧したる女、山の中より出で来て、银の金鋺をもて水を汲みありく。これを见て船よりおりて、『この山の名を何とか申す。』と问ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり。』と答ふ。是を闻くに嬉しき事限なし。この女に、『かく宣ふは谁ぞ。』と问ふ。『我名はほうかんるり。』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を见るに、更に登るべきやうなし。その山のそばつらを廻れば、世の中になき花の木どもたてり。金银瑠璃色の水流れいでたり。それにはいろ\/の玉の桥わたせり。そのあたり照り辉く木どもたてり。その中にこのとりて持てまうできたりしは、いとわろかりしかども、『のたまひしに违はましかば。』とて、この花を折りてまうできたるなり。山は限なくおもしろし。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乘りて追风ふきて、四百馀日になんまうで来にし。大愿だいぐわんの力にや、难波より昨日なん都にまうで来つる。さらに潮にぬれたる衣ころもをだに脱ぎかへなでなん、まうで来つる。」との给へば、翁闻きて、うち叹きてよめる、 呉竹のよゝのたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ见し これを皇子闻きて、「こゝらの日顷思ひわび侍りつる心は、今日なんおちゐぬる。」との给ひて、かへし、 わが袂けふかわければわびしさのちくさのかずも忘られぬべし との给ふ。かゝるほどに、男をとこども六人连ねて庭にいできたり。一人の男、文挟ふばさみに文をはさみてまをす。「作物所つくもどころの寮つかさのたくみ汉部あやべ内麿まをさく、『玉の木を作りて仕うまつりしこと、心を碎きて、千馀日に力を尽したること少からず。しかるに禄いまだ赐はらず。これを赐はり分ちて、けごに赐はせん。』」といひてさゝげたり。竹取の翁、「この工匠等が申すことは何事ぞ。」とかたぶきをり。皇子は我にもあらぬけしきにて、肝消えぬべき心ちして居给へり。これをかぐや姫闻きて、「この奉る文をとれ。」といひて见れば、文に申しけるやう、「皇子の君千馀日贱しき工匠等と诸共に、同じ所に隐れ居给ひて、かしこき玉の枝を作らせ给ひて、『官つかさも赐はらん。』と仰せ给ひき。これをこの顷案ずるに、『御つかひとおはしますべき、かぐや姫の要じ给ふべきなりけり。』と承りて、この宫より赐はらんと申して给はるべきなり。」といふを闻きて、かぐや姫、暮るゝまゝに思ひわびつる心地ゑみ荣えて、翁を呼びとりていふやう、「诚に蓬莱の木かとこそ思ひつれ、かくあさましき虚事にてありければ、はや疾くかへし给へ。」といへば、翁こたふ、「さだかに造らせたるものと闻きつれば、かへさんこといと易し。」とうなづきをり。 かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌のかへし、 まことかと闻きて见つればことの叶を饰れる玉の枝にぞありける といひて、玉の枝もかへしつ。竹取の翁さばかり语らひつるが、さすがに觉えて眠ねぶりをり。皇子はたつもはした居るもはしたにて居给へり。日の暮れぬればすべ出で给ひぬ。かのうれへせし工匠等をば、かぐや姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり。」といひて、禄いと多くとらせ给ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつるやうにもあるかな。」といひて、かへる道にて、车持皇子血の流るゝまでちようぜさせ给ふ。禄得しかひもなく皆とり舍てさせ给ひてければ、逃げうせにけり。かくてこの皇子、「一生の耻これに过ぐるはあらじ。女をえずなりぬるのみにあらず、天の下の人の见思はんことの耻かしき事。」との给ひて、たゞ一所深き山へ入り给ひぬ。宫司候ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、御薨みまかりもやしたまひけん、え见つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隐し给はんとて、年顷见え给はざりけるなりけり。是をなんたまさかるとはいひ始めける。 5 火鼠の裘   右大臣阿倍御主人は财たから丰に家广き人にぞおはしける。その年わたりける唐土船の王卿わうけいといふものゝ许に、文を书きて、「火鼠の裘といふなるもの买ひておこせよ。」とて、仕うまつる人の中に心たしかなるを选びて、小野房守といふ人をつけてつかはす。もていたりて、かの浦に居をる王卿に金をとらす。王卿文をひろげて见て、返事かく。「火鼠の裘我国になきものなり。おとには闻けどもいまだ见ぬものなり。世にあるものならば、この国にももてまうで来なまし。いと难きあきなひなり。しかれどももし天竺にたまさかにもて渡りなば、もし长者のあたりにとぶらひ求めんに、なきものならば、使に添へて金返し奉らん。」といへり。かの唐土船来けり。小野房守まうで来てまうのぼるといふことを闻きて、あゆみとうする马をもちて走らせ迎へさせ给ふ时に、马に乘りて、筑紫よりたゞ七日なぬかに上りまうできたり。文を见るにいはく、「火鼠の裘辛うじて、人を出して求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は容易たやすくなきものなりけり。昔かしこき天竺のひじり、この国にもて渡りて侍りける、西の山寺にありと闻き及びて、公に申して、辛うじて买ひとりて奉る。价の金少しと、国司使に申しゝかば、王卿が物加へて买ひたり。今金五十两たまはるべし。船の归らんにつけてたび送れ。もし金赐はぬものならば、裘の质かへしたべ。」といへることを见て、「何おほす。今金少しのことにこそあンなれ。必ず送るべき物にこそあンなれ。嬉しくしておこせたるかな。」とて、唐土の方に向ひて伏し拜み给ふ。この裘入れたる箱を见れば、种々のうるはしき瑠璃をいろへて作れり。裘を见れば绀青こんじやうの色なり。毛の末には金の光辉きたり。げに寳と见え、うるはしきこと比ぶべきものなし。火に烧けぬことよりも、清けうらなることならびなし。「むべかぐや姫のこのもしがり给ふにこそありけれ。」との给ひて、「あなかしこ。」とて、箱に入れ给ひて、物の枝につけて、御身の假粧けさういといたくして、やがてとまりなんものぞとおぼして、歌よみ加へて持ちていましたり。その歌は、 かぎりなきおもひに烧けぬかはごろも袂かわきて今日こそはきめ 家の门かどにもて至りて立てり。竹取いで来てとり入れて、かぐや姫に见す。かぐや姫かの裘を见ていはく、「うるはしき皮なンめり。わきてまことの皮ならんとも知らず。」竹取答へていはく、「とまれかくまれまづ请じ入れ奉らん。世の中に见えぬ裘のさまなれば、是をまことゝ思ひ给ひね。人ないたくわびさせ给ひそ。」といひて、呼びすゑたてまつれり。かく呼びすゑて、「この度は必ずあはん。」と、妪の心にも思ひをり。この翁は、かぐや姫のやもめなるを叹かしければ、「よき人にあはせん。」と思ひはかれども、切に「否。」といふことなれば、えしひぬはことわりなり。かぐや姫翁にいはく、「この裘は火に烧かんに、烧けずはこそ实ならめと思ひて、人のいふことにもまけめ。『世になきものなれば、それを实と疑なく思はん。』との给ひて、なほこれを烧きて见ん。」といふ。翁「それさもいはれたり。」といひて、大臣おとゞに「かくなん申す。」といふ。大臣答へていはく、「この皮は唐土にもなかりけるを、辛うじて求め寻ね得たるなり。何なにの疑かあらん。さは申すとも、はや烧きて见给へ。」といへば、火の中にうちくべて烧かせ给ふに、めら\/と烧けぬ。「さればこそ异物の皮なりけり。」といふ。大臣これを见给ひて、御颜は草の叶の色して居给へり。かぐや姫は「あなうれし。」と喜びて居たり。かのよみ给へる歌のかへし、箱に入れてかへす。 なごりなくもゆと知りせばかは衣おもひの外におきて见ましをとぞありける。されば归りいましにけり。世の人々、「安倍大臣は火鼠の裘をもていまして、かぐや姫にすみ给ふとな。こゝにやいます。」など问ふ。或人のいはく、「裘は火にくべて烧きたりしかば、めら\/と烧けにしかば、かぐや姫逢ひ给はず。」といひければ、これを闻きてぞ、とげなきものをばあへなしとはいひける。 6 龙の首の玉 大伴御行の大纳言は、我家にありとある人を召し集めての给はく、「龙たつの首に五色の光ある玉あンなり。それをとり奉りたらん人には、愿はんことをかなへん。」との给ふ。男をのこども仰の事を承りて申さく、「仰のことはいとも尊たふとし。たゞしこの玉容易たはやすくえとらじを、况や龙の首の玉はいかゞとらん。」と申しあへり。大纳言のたまふ、「君の使といはんものは、『命を舍てゝも己おのが君の仰事をばかなへん。』とこそ思ふべけれ。この国になき天竺唐土の物にもあらず、この国の海山より龙はおりのぼるものなり。いかに思ひてか汝等难きものと申すべき。」男ども申すやう、「さらばいかゞはせん。难きものなりとも、仰事に从ひてもとめにまからん。」と申す。大纳言见笑ひて、「汝等君の使と名を流しつ。君の仰事をばいかゞは背くべき。」との给ひて、龙の首の玉とりにとて出したて给ふ。この人々の道の粮・食物に、殿のうちの绢・绵・钱などあるかぎりとり出でそへて遣はす。この人々ども、归るまでいもひをして「我は居らん。この玉とり得では家に归りくな。」との给はせけり。「おの\/仰承りて罢りいでぬ。龙の首の玉とり得ずは归りくな。」との给へば、いづちも\/足のむきたらんかたへいなんとす。かゝるすき事をし给ふことゝそしりあへり。赐はせたる物はおの\/分けつゝとり、或あるは己が家にこもりゐ、或はおのがゆかまほしき所へいぬ。「亲・君と申すとも、かくつきなきことを仰せ给ふこと。」と、ことゆかぬものゆゑ、大纳言を谤りあひたり。「かぐや姫すゑんには、例のやうには见にくし。」との给ひて、丽しき屋をつくり给ひて、漆を涂り、莳绘をし、いろへしたまひて、屋の上には糸を染めていろ\/に葺かせて、内々のしつらひには、いふべくもあらぬ绫织物に绘を书きて、间ごとにはりたり。もとの妻どもは去りて、「かぐや姫を必ずあはん。」とまうけして、独明し暮したまふ。遣しゝ人は夜昼待ち给ふに、年越ゆるまで音もせず、心もとながりて、いと忍びて、たゞ舍人二人召继としてやつれ给ひて、难波の边ほとりにおはしまして、问ひ给ふことは、「大伴大纳言の人や、船に乘りて龙杀して、そが首の玉とれるとや闻く。」と问はするに、船人答へていはく、「怪しきことかな。」と笑ひて、「さるわざする船もなし。」と答ふるに、「をぢなきことする船人にもあるかな。え知らでかくいふ。」とおぼして、「我弓の力は、龙あらばふと射杀して首の玉はとりてん。迟く来るやつばらを待たじ。」との给ひて、船に乘りて、海ごとにありき给ふに、いと远くて、筑紫の方の海に漕ぎいで给ひぬ。いかゞしけん、はやき风吹きて、世界くらがりて、船を吹きもてありく。いづれの方とも知らず、船を海中にまかり入りぬべくふき廻して、浪は船にうちかけつゝまき入れ、神は落ちかゝるやうに闪きかゝるに、大纳言は惑ひて、「まだかゝるわびしきめハ见ず。いかならんとするぞ。」との给ふ。楫取答へてまをす、「こゝら船に乘りてまかりありくに、まだかくわびしきめを见ず。御み船海の底に入らずは神落ちかゝりぬべし。もしさいはひに神の助けあらば、南海にふかれおはしぬべし。うたてある主しうの御み许に仕へ奉まつりて、すゞろなる死しにをすべかンめるかな。」とて、楫取なく。大纳言これを闻きての给はく、「船に乘りては楫取の申すことをこそ高き山ともたのめ。などかくたのもしげなきことを申すぞ。」と、あをへどをつきての给ふ。楫取答へてまをす、「神ならねば何业をか仕つかうまつらん。风吹き浪はげしけれども、神さへいたゞきに落ちかゝるやうなるは、龙を杀さんと求め给ひさぶらへばかくあンなり。はやても龙の吹かするなり。はや神に祈り给へ。」といへば、「よきことなり。」とて、「楫取の御おん神闻しめせ。をぢなく心幼く龙を杀さんと思ひけり。今より後は毛一筋をだに动し奉らじ。」と、祝词よごとをはなちて、立居なく\/呼ばひ给ふこと、千度ちたびばかり申し给ふけにやあらん、やう\/神なりやみぬ。少しあかりて、风はなほはやく吹く。 楫取のいはく、「これは龙のしわざにこそありけれ。この吹く风はよき方の风なり。あしき方の风にはあらず。よき方に赴きて吹くなり。」といへども、大纳言は是を闻き入れ给はず。三四日みかよかありて吹き返しよせたり。滨を见れば、播磨の明石の滨なりけり。大纳言「南海の滨に吹き寄せられたるにやあらん。」と思ひて、息つき伏し给へり。船にある男ども国に告げたれば、国の司まうで访ふにも、えおきあがり给はで、船底にふし给へり。 松原に御み筵敷きておろし奉る。その时にぞ「南海にあらざりけり。」と思ひて、辛うじて起き上り给へるを见れば、风いとおもき人にて、腹いとふくれ、こなたかなたの目には、李を二つつけたるやうなり。これを见奉りてぞ、国の司もほゝゑみたる。国に仰せ给ひて、腰舆たごし作らせたまひて、によぶ\/になはれて家に入り给ひぬるを、いかで闻きけん、遣しゝ男ども参りて申すやう、「龙の首の玉をえとらざりしかばなん、殿へもえ参らざりし。『玉のとり难かりしことを知り给へればなん、勘当あらじ。』とて参りつる。」と申す。大纳言起き出でての给はく、「汝等よくもて来ずなりぬ。龙は鸣神の类にてこそありけれ。それが玉をとらんとて、そこらの人々の害せられなんとしけり。まして龙を捕へたらましかば、またこともなく我は害せられなまし。よく捕へずなりにけり。かぐや姫てふ大盗人のやつが、人を杀さんとするなりけり。家のあたりだに今は通らじ。男どもゝなありきそ。」とて、家に少し残りたりけるものどもは、龙の玉とらぬものどもにたびつ。これを闻きて、离れ给ひしもとのうへは、腹をきりて笑ひ给ふ。糸をふかせてつくりし屋は、鸢乌の巣に皆咋くひもていにけり。世界の人のいひけるは、「大伴の大纳言は、龙の玉やとりておはしたる。」「いなさもあらず。御眼おんまなこ二つに李のやうなる玉をぞ添へていましたる。」といひければ、「あなたへがた。」といひけるよりぞ、世にあはぬ事をば、あなたへがたとはいひ始めける。 7 燕の子安贝 中纳言石上麻吕は、家につかはるゝ男どもの许に、「燕つばくらめの巣くひたらば告げよ。」との给ふを、うけたまはりて、「何の料にかあらん。」と申す。答へての给ふやう、「燕のもたる子安贝とらん料なり。」との给ふ。男ども答へて申す、「燕を数多杀して见るにだにも、腹になきものなり。たゞし子产む时なんいかでかいだすらん、はら\/と人だに见れば失せぬ。」と申す。又人のまをすやう、「大炊寮おほゐづかさの饭炊ぐ屋の栋のつくの穴毎に燕は巣くひ侍り。それにまめならん男どもをゐてまかりて、あぐらをゆひて上げて窥はせんに、そこらの燕子うまざらんやは。さてこそとらしめ给はめ。」と申す。中纳言喜び给ひて、「をかしき事にもあるかな。もともえ知らざりけり。兴あること申したり。」との给ひて、まめなる男ども二十人ばかり遣して、あなゝひに上げすゑられたり。殿より使ひまなく给はせて、「子安贝とりたるか。」と问はせ给ふ。「燕も人の数多のぼり居たるにおぢて、巣にのぼりこず。」かゝるよしの御返事を申しければ、闻き给ひて、「いかゞすべき。」と思しめし烦ふに、かの寮の官人くわんじんくらつ麿と申す翁申すやう、「子安贝とらんと思しめさば、たばかり申さん。」とて、御前に参りたれば、中纳言额を合せてむかひ给へり。くらつ麿が申すやう、「この燕の子安贝は、恶しくたばかりてとらせ给ふなり。さてはえとらせ给はじ。あなゝひにおどろ\/しく、二十人の人ののぼりて侍れば、あれて寄りまうで来ずなん。せさせ给ふべきやうは、このあななひを毁ちて、人皆退きて、まめならん人一人を荒笼あらこに载せすゑて、纲をかまへて、鸟の子产まん间に纲を钓りあげさせて、ふと子安贝をとらせ给はんなんよかるべき。」と申す。中纳言の给ふやう、「いとよきことなり。」とて、あなゝひを毁ちて、人皆归りまうできぬ。中纳言くらつ麿にの给はく、「燕はいかなる时にか子を产むと知りて、人をばあぐべき。」とのたまふ。くらつ麿申すやう、「燕は子うまんとする时は、尾をさゝげて七度廻りてなん产み落すめる。さて七度廻らんをりひき上げて、そのをり子安贝はとらせ给へ。」と申す。中纳言喜び给ひて、万の人にも知らせ给はで、みそかに寮にいまして、男どもの中に交りて、夜を昼になしてとらしめ给ふ。くらつ麿かく申すを、いといたく喜び给ひての给ふ、「こゝに使はるゝ人にもなきに、愿をかなふることの嬉しさ。」と宣ひて、御衣おんぞぬぎてかづけ给ひつ。更に「夜さりこの寮にまうでこ。」とのたまひて遣しつ。日暮れぬれば、かの寮におはして见给ふに、诚に燕巣作れり。くらつ麿申すやうに、尾をさゝげて廻るに、荒笼に人を载せて钓りあげさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物もなし。」と申すに、中纳言「恶しく探ればなきなり。」と腹だちて、「谁ばかりおぼえんに。」とて、「我のぼりて探らん。」とのたまひて、笼にのりてつられ登りて窥ひ给へるに、燕尾をさゝげていたく廻るに合せて、手を捧げて探り给ふに、手にひらめるものさはる时に、「われ物握りたり。今はおろしてよ。翁しえたり。」との给ひて、集りて「疾くおろさん。」とて、纲をひきすぐして、纲绝ゆる、即やしまの鼎の上にのけざまに落ち给へり。人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目はしらめにてふし给へり。人々御み口に水を掬ひ入れ奉る。辛うじて息いで给へるに、また鼎の上より、手とり足とりしてさげおろし奉る。辛うじて「御み心地はいかゞおぼさるゝ。」と问へば、息の下にて、「ものは少し觉ゆれど腰なん动かれぬ。されど子安贝をふと握りもたれば嬉しく觉ゆるなり。まづ脂烛さしてこ。この贝颜かひがほみん。」と、御ぐしもたげて御手をひろげ给へるに、燕のまりおける古粪を握り给へるなりけり。それを见给ひて、「あなかひなのわざや。」との给ひけるよりぞ、思ふに违ふことをば、かひなしとはいひける。「かひにもあらず。」と见给ひけるに、御こゝちも违ひて、唐柜の盖に入れられ给ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中纳言はいはけたるわざして、病むことを人に闻かせじとし给ひけれど、それを病にていと弱くなり给ひにけり。贝をえとらずなりにけるよりも、人の闻き笑はんことを、日にそへて思ひ给ひければ、たゞに病み死ぬるよりも、人ぎき耻はづかしく觉え给ふなりけり。これをかぐや姫闻きてとぶらひにやる歌、  年を经て浪立ちよらぬすみのえのまつかひなしと闻くはまことか とあるをよみて闻かす。いと弱き心地に头もたげて、人に纸もたせて、苦しき心地に辛うじてかき给ふ。 かひはかくありけるものをわびはてゝ死ぬる命をすくひやはせぬと书きはてゝ绝え入り给ひぬ。これを闻きて、かぐや姫少し哀あはれとおぼしけり。それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける。 8 帝の悬想 さてかぐや姫かたち世に似ずめでたきことを、帝闻しめして、内侍中臣のふさ子にの给ふ、「多くの人の身を徒になしてあはざンなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞ。」と、「罢りて见て参れ。」との给ふ。ふさ子承りてまかれり。竹取の家に畏まりて请じ入れてあへり。妪に内侍のたまふ、「仰ごとに、かぐや姫の容いうにおはすとなり。能く见て参るべきよしの给はせつるになん参りつる。」といへば、「さらばかくと申し侍らん。」といひて入りぬ。かぐや姫に、「はやかの御使に对面し给へ。」といへば、かぐや姫、「よき容にもあらず。いかでか见まみゆべき。」といへば、「うたてもの给ふかな。帝の御み使をばいかでか疎にせん。」といへば、かぐや姫答ふるやう、「帝の召しての给はんことかしこしとも思はず。」といひて、更に见ゆべくもあらず。うめる子のやうにはあれど、いと心耻しげに疎おろそかなるやうにいひければ、心のまゝにもえ责めず。妪、内侍の许にかへり出でて、「口をしくこの幼き者はこはく侍るものにて、对面すまじき。」と申す。内侍、「『必ず见奉りて参れ。』と、仰事ありつるものを、见奉らではいかでか归り参らん。国王の仰事を、まさに世に住み给はん人の承り给はではありなんや。いはれぬことなし给ひそ。」と、词はづかしくいひければ、これを闻きて、ましてかぐや姫きくべくもあらず。「国王の仰事を背かばはや杀し给ひてよかし。」といふ。この内侍归り参りて、このよしを奏す。帝闻しめして、「多くの人を杀してける心ぞかし。」との给ひて、止みにけれど、犹思しおはしまして、「この女をうなのたばかりにやまけん。」と思しめして、竹取の翁を召して仰せたまふ、「汝が持て侍るかぐや姫を奉れ。颜容よしと闻しめして、御使をたびしかど、かひなく见えずなりにけり。かくたい\〃/しくやはならはすべき。」と仰せらる。翁畏まりて御返事申すやう、「この女の童は、绝えて宫仕つかう奉まつるべくもあらず侍るを、もてわづらひ侍り。さりとも罢りて仰せ给はん。」と奏す。是を闻し召して仰せ给ふやう、「などか翁の手におほしたてたらんものを、心に任せざらん。この女めもし奉りたるものならば、翁に冠かうぶりをなどかたばせざらん。」翁喜びて家に归りて、かぐや姫にかたらふやう、「かくなん帝の仰せ给へる。なほやは仕う奉り给はぬ。」といへば、かぐや姫答へて曰く、「もはらさやうの宫仕つかう奉まつらじと思ふを、强ひて仕う奉らせ给はゞ消え失せなん。御み司冠つかう奉りて死ぬばかりなり。」翁いらふるやう、「なしたまひそ。官つかさ冠も、我子を见奉らでは何にかはせん。さはありともなどか宫仕をし给はざらん。死に给ふやうやはあるべき。」といふ。「『なほそらごとか。』と、仕う奉らせて死なずやあると见给へ。数多の人の志疎おろかならざりしを、空しくなしてしこそあれ、昨日今日帝のの给はんことにつかん、人ぎきやさし。」といへば、翁答へて曰く、「天の下の事はとありともかゝりとも、御おん命の危きこそ大なるさはりなれ。犹仕う奉るまじきことを参りて申さん。」とて、参りて申すやう、「仰の事のかしこさに、かの童を参らせんとて仕う奉れば、『宫仕に出したてなば死ぬべし。』とまをす。造麿が手にうませたる子にてもあらず、昔山にて见つけたる。かゝれば心ばせも世の人に似ずぞ侍る。」と奏せさす。 帝おほせ给はく、「造麿が家は山本近かンなり。御み狩の行幸みゆきし给はんやうにて见てんや。」とのたまはす。造麿が申すやう、「いとよきことなり。何か心もなくて侍らんに、ふと行幸して御览ぜられなん。」と奏すれば、帝俄に日を定めて、御狩にいで给ひて、かぐや姫の家に入り给ひて见给ふに、光满ちてけうらにて居たる人あり。 「これならん。」とおぼして、近くよらせ给ふに、逃げて入る、袖を捕へ给へば、おもてをふたぎて候へど、初よく御览じつれば、类なくおぼえさせ给ひて、「许さじとす。」とて率ておはしまさんとするに、かぐや姫答へて奏す、「おのが身はこの国に生れて侍らばこそ仕へ给はめ、いとゐておはし难くや侍らん。」と奏す。帝「などかさあらん。犹率ておはしまさん。」とて、御おん舆を寄せたまふに、このかぐや姫きと影になりぬ。「はかなく、口をし。」とおぼして、「げにたゞ人にはあらざりけり。」とおぼして、「さらば御供には率ていかじ。もとの御かたちとなり给ひね。それを见てだに归りなん。」と仰せらるれば、かぐや姫もとのかたちになりぬ。帝なほめでたく思し召さるゝことせきとめがたし。かく见せつる造麿を悦びたまふ。さて仕うまつる百官の人々に、あるじいかめしう仕う奉る。帝かぐや姫を留めて归り给はんことを、饱かず口をしくおぼしけれど、たましひを留めたる心地してなん归らせ给ひける。御おん舆に奉りて後に、かぐや姫に、 かへるさのみゆき物うくおもほえてそむきてとまるかぐや姫ゆゑ 御返事を、 葎はふ下にもとしは经ぬる身のなにかはたまのうてなをもみむ これを帝御览じて、いとゞ归り给はんそらもなくおぼさる。御心は更に立ち归るべくもおぼされざりけれど、さりとて夜を明し给ふべきにもあらねば、归らせ给ひぬ。常に仕う奉る人を见给ふに、かぐや姫の傍かたはらに寄るべくだにあらざりけり。「こと人よりはけうらなり。」とおぼしける人の、かれに思しあはすれば人にもあらず。かぐや姫のみ御心にかゝりて、たゞ一人过したまふ。よしなくて御方々にもわたり给はず、かぐや姫の御おん许にぞ御文を书きて通はさせ给ふ。御返事さすがに憎からず闻えかはし给ひて、おもしろき木草につけても、御歌を咏みてつかはす。 9 かぐや姫の升天 かやうにて、御心を互に慰め给ふほどに、三年ばかりありて、春の初より、かぐや姫月のおもしろう出でたるを见て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の颜见るは忌むこと。」ゝ制しけれども、ともすればひとまには月を见ていみじく泣き给ふ。七月ふみづきのもちの月にいで居て、切に物思へるけしきなり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫例も月をあはれがり给ひけれども、この顷となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し叹くことあるべし。よく\/见奉らせ给へ。」といふを闻きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を见给ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を见れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか叹き侍るべき。」といふ。かぐや姫のある所に至りて见れば、なほ物思へるけしきなり。これを见て、「あが佛何事を思ひ给ふぞ。思すらんこと何事ぞ。」といへば、「思ふこともなし。物なん心细く觉ゆる。」といへば、翁、「月な见给ひそ。これを见给へば物思すけしきはあるぞ。」といへば、「いかでか月を见ずにはあらん。」とて、なほ月出づれば、いで居つゝ叹き思へり。夕暗ゆふやみには物思はぬ气色なり。月の程になりぬれば、犹时々はうち叹きなきなどす。是をつかふものども、「犹物思すことあるべし。」とさゝやけど、亲を始めて何事とも知らず。八月はつき十五日もちばかりの月にいで居て、かぐや姫いといたく泣き给ふ。人めも今はつゝみ给はず泣き给ふ。これを见て、亲どもゝ「何事ぞ。」と问ひさわぐ。かぐや姫なく\/いふ、「さき\/も申さんと思ひしかども、『かならず心惑はし给はんものぞ。』と思ひて、今まで过し侍りつるなり。『さのみやは。』とてうち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの国の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで来りける。今は归るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの国より迎に人々まうでこんず。さらずまかりぬべければ、思し叹かんが悲しきことを、この春より思ひ叹き侍るなり。」といひて、いみじく泣く。翁「こはなでふことをの给ふぞ。竹の中より见つけきこえたりしかど、菜种の大おほきさおはせしを、我丈たち并ぶまで养ひ奉りたる我子を、何人か迎へ闻えん。まさに许さんや。」といひて、「我こそ死なめ。」とて、泣きのゝしることいと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて父母ちゝはゝあり。片时の间まとてかの国よりまうでこしかども、かくこの国には数多の年を经ぬるになんありける。かの国の父母の事もおぼえず。こゝにはかく久しく游び闻えてならひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみなんある。されど己が心ならず罢りなんとする。」といひて、诸共にいみじう泣く。つかはるゝ人々も年顷ならひて、立ち别れなんことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを见ならひて、恋しからんことの堪へがたく、汤水も飮まれず、同じ心に叹しがりけり。この事を帝きこしめして、竹取が家に御使つかはさせ给ふ。 御使に竹取いで逢ひて、泣くこと限なし。この事を叹くに、髪も白く腰も屈り目もたゞれにけり。翁今年は五十许なりけれども、「物思には片时になん老おいになりにける。」と见ゆ。御使仰事とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、诚にか。」と仰せ给ふ。竹取なく\/申す、「このもちになん、月の都よりかぐや姫の迎にまうでくなる。たふとく问はせ给ふ。このもちには人々たまはりて、月の都の人まうで来ば捕へさせん。」と申す。御使かへり参りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを闻し召しての给ふ、「一目见给ひし御心にだに忘れ给はぬに、明暮见驯れたるかぐや姫をやりてはいかゞ思ふべき。」かの十五日もちのひ司々に仰せて、勅使には少将高野たかの大国といふ人をさして、六衞のつかさ合せて、二千人の人を竹取が家につかはす。家に罢りて筑地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓矢を带して居り。母屋の内には女どもを番にすゑて守らす。妪涂笼の内にかぐや姫を抱きて居り。翁も涂笼の戸をさして戸口に居り。翁のいはく、「かばかり守る所に、天あめの人にもまけんや。」といひて、屋の上に居をる人々に曰く、「つゆも物空にかけらばふと射杀し给へ。」守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、蝙蝠かはほり一つだにあらば、まづ射杀して外にさらさんと思ひ侍る。」といふ。翁これを闻きて、たのもしがり居り。これを闻きてかぐや姫は、「锁し笼めて守り战ふべきしたくみをしたりとも、あの国の人をえ战はぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの国の人こば皆あきなんとす。相战はんとすとも、かの国の人来なば、猛き心つかふ人よもあらじ。」翁のいふやう、「御おん迎へにこん人をば、长き爪して眼をつかみつぶさん。さが髪をとりてかなぐり落さん。さが尻をかき出でて、こゝらのおほやけ人に见せて耻见せん。」と腹だちをり。かぐや姫いはく、「声高になの给ひそ。屋の上に居る人どもの闻くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを、思ひも知らで罢りなんずることの口をしう侍りけり。『长き契のなかりければ、程なく罢りぬべきなンめり。』と思ふが悲しく侍るなり。亲たちのかへりみをいさゝかだに仕う奉らで、罢らん道も安くもあるまじきに、月顷もいで居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に许されぬによりてなんかく思ひ叹き侍る。御心をのみ惑はして去りなんことの、悲しく堪へがたく侍るなり。かの都の人はいとけうらにて、老いもせずなん。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからんずるもいみじくも侍らず。老い衰へ给へるさまを见奉らざらんこそ恋しからめ。」といひて泣く。翁、「胸痛きことなしたまひそ。丽しき姿したる使にもさはらじ。」とねたみをり。かゝる程に宵うちすぎて、子の时ばかりに、家のあたり昼のあかさにも过ぎて光りたり。望月のあかさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ见ゆるほどなり。大空より、人云に乘りておりきて、地つちより五尺ばかりあがりたる程に立ち连ねたり。これを见て、内外うちとなる人の心ども、物におそはるゝやうにて、相战はん心もなかりけり。辛うじて思ひ起して、弓矢をとりたてんとすれども、手に力もなくなりて、痿なえ屈かゞまりたる中うちに、心さかしき者、ねんじて射んとすれども、外ざまへいきければ、あれも战はで、心地たゞしれにしれて守りあへり。立てる人どもは、装束さうぞくの清らなること物にも似ず。飞车とぶくるま一つ具したり。罗盖さしたり。その中に王とおぼしき人、「家に造麿まうでこ。」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心ちしてうつぶしに伏せり。いはく、「汝をさなき人、聊なる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助にとて片时の程とて降しゝを、そこらの年顷そこらの金赐ひて、身をかへたるが如くなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり给へりければ、かく贱しきおのれが许にしばしおはしつるなり。罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き叹く、あたはぬことなり。はや返し奉れ。」といふ。翁答へて申す、「かぐや姫を养ひ奉ること二十年あまりになりぬ。片时との给ふに怪しくなり侍りぬ。また他处ことどころにかぐや姫と申す人ぞおはしますらん。」といふ。「こゝにおはするかぐや姫は、重き病をし给へばえ出でおはしますまじ。」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飞车をよせて、「いざかぐや姫、秽き所にいかでか久しくおはせん。」といふ。立て笼めたる所の戸即たゞあきにあきぬ。格子どもゝ人はなくして开きぬ。妪抱きて居たるかぐや姫外とにいでぬ。えとゞむまじければ、たゞさし仰ぎて泣きをり。 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫いふ、「こゝにも心にもあらでかくまかるに、升らんをだに见送り给へ。」といへども、「何しに悲しきに见送り奉らん。我をばいかにせよとて、弃てゝは升り给ふぞ。具して率ておはせね。」と、泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を书きおきてまからん。 恋しからんをり\/、とり出でて见给へ。」とて、うち泣きて书くことばは、「この国に生れぬるとならば、叹かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで过ぎ别れぬること、返す 9 かぐや姫の升天 かやうにて、御心を互に慰め给ふほどに、三年ばかりありて、春の初より、かぐや姫月のおもしろう出でたるを见て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の颜见るは忌むこと。」ゝ制しけれども、ともすればひとまには月を见ていみじく泣き给ふ。七月ふみづきのもちの月にいで居て、切に物思へるけしきなり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫例も月をあはれがり给ひけれども、この顷となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し叹くことあるべし。よく\/见奉らせ给へ。」といふを闻きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を见给ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を见れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか叹き侍るべき。」といふ。かぐや姫のある所に至りて见れば、なほ物思へるけしきなり。これを见て、「あが佛何事を思ひ给ふぞ。思すらんこと何事ぞ。」といへば、「思ふこともなし。物なん心细く觉ゆる。」といへば、翁、「月な见给ひそ。これを见给へば物思すけしきはあるぞ。」といへば、「いかでか月を见ずにはあらん。」とて、なほ月出づれば、いで居つゝ叹き思へり。夕暗ゆふやみには物思はぬ气色なり。月の程になりぬれば、犹时々はうち叹きなきなどす。是をつかふものども、「犹物思すことあるべし。」とさゝやけど、亲を始めて何事とも知らず。八月はつき十五日もちばかりの月にいで居て、かぐや姫いといたく泣き给ふ。人めも今はつゝみ给はず泣き给ふ。これを见て、亲どもゝ「何事ぞ。」と问ひさわぐ。かぐや姫なく\/いふ、「さき\/も申さんと思ひしかども、『かならず心惑はし给はんものぞ。』と思ひて、今まで过し侍りつるなり。『さのみやは。』とてうち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの国の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで来りける。今は归るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの国より迎に人々まうでこんず。さらずまかりぬべければ、思し叹かんが悲しきことを、この春より思ひ叹き侍るなり。」といひて、いみじく泣く。翁「こはなでふことをの给ふぞ。竹の中より见つけきこえたりしかど、菜种の大おほきさおはせしを、我丈たち并ぶまで养ひ奉りたる我子を、何人か迎へ闻えん。まさに许さんや。」といひて、「我こそ死なめ。」とて、泣きのゝしることいと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて父母ちゝはゝあり。片时の间まとてかの国よりまうでこしかども、かくこの国には数多の年を经ぬるになんありける。かの国の父母の事もおぼえず。こゝにはかく久しく游び闻えてならひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみなんある。されど己が心ならず罢りなんとする。」といひて、诸共にいみじう泣く。つかはるゝ人々も年顷ならひて、立ち别れなんことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを见ならひて、恋しからんことの堪へがたく、汤水も飮まれず、同じ心に叹しがりけり。この事を帝きこしめして、竹取が家に御使つかはさせ给ふ。 御使に竹取いで逢ひて、泣くこと限なし。この事を叹くに、髪も白く腰も屈り目もたゞれにけり。翁今年は五十许なりけれども、「物思には片时になん老おいになりにける。」と见ゆ。御使仰事とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、诚にか。」と仰せ给ふ。竹取なく\/申す、「このもちになん、月の都よりかぐや姫の迎にまうでくなる。たふとく问はせ给ふ。このもちには人々たまはりて、月の都の人まうで来ば捕へさせん。」と申す。御使かへり参りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを闻し召しての给ふ、「一目见给ひし御心にだに
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