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日本と中国の食文化対比 日语专业毕业论文

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日本と中国の食文化対比 日语专业毕业论文日本と中国の食文化対比 日语专业毕业论文 日本と中国の食文化対比 はじめに 食事とは、食品を食べることで、「メシ」とも呼ばれる。人間が生命を維持し活動や成長をするためには、栄養素を摂取する必要がある。そのための手段が食事である。味を楽しむためにも行われる。食事の時刻、回数、調理法、内容には文化や宗教、栄養学、好みが反映される。これは食生活と呼ばれる。 食生活の基礎は、海を含める大地から恵まれる食材である。そして、その食べ物としての利用の方法や技術、さらにその習慣や風俗を体系となって、それは地域によって大いに異なる。 ...
日本と中国の食文化対比   日语专业毕业论文
日本と中国の食文化対比 日语专业毕业论文 日本と中国の食文化対比 はじめに 食事とは、食品を食べることで、「メシ」とも呼ばれる。人間が生命を維持し活動や成長をするためには、栄養素を摂取する必要がある。そのための手段が食事である。味を楽しむためにも行われる。食事の時刻、回数、調理法、内容には文化や宗教、栄養学、好みが反映される。これは食生活と呼ばれる。 食生活の基礎は、海を含める大地から恵まれる食材である。そして、その食べ物としての利用の方法や技術、さらにその習慣や風俗を体系となって、それは地域によって大いに異なる。 日本と中国は一衣帯水の隣国であるから、昔からずっと交流を続いている。特に文化の分野で、中日両国の間の交流と影響は深かった。古くから人間は生きていくために、飲食と深い関係を結んだ。時代の変化につれて、だんだん民族の風習と変わった。地域と生活習慣の違いによって、飲食の特徴やタブー、礼儀作法なども違っている。昔から、中日両国は飲食分野で交流と影響は始まった。稲作文化を日本に伝えたのを始め、その影響も深くなった。しかし、違ったところも多くある。飲食から民族の思想を窺える。次には、中日両国の飲食における異同を対比することを通じて、その民族思想の異同と根源を探求したい。 本論 一、日本と中国の飲食特徴の対比 ,、中日両国における食材の対比 ,), 日本料理の食材 現在、私達は日本的な食事を「和食」とよんでいる。和食のイメージというのは、米•魚•野菜が基本である。日本人は米を富に象徴している。これは米を盛っている藁袋から見える。 日本では米が世に出た後から、その主食は他の食物に代わっていない。これは米がおいしく、保存しやすく、良質な澱粉を含んで、カロリーが高いなどの長所があるから。日本人は米が好きという飲食習慣があるから、食事をするとき、どんな豊かな料理があっても、米は欠けられないものである。人生礼儀の中に、特に人生の要となるとき、米は欠けない。新生命が誕生するとき、結婚を決定するとき、亡くなるとき、神に米を供える。日本人はこれを人生三度と言われ、必ず神様に米を供える。 日本で、食材の種類はそんなに多くない。和食とは何かと問われば、おそらく外国人の答えはすき焼き、てんぷら、寿司である。日本人からも同様の答えが返ってくるに違いない。何よりも日本における食文化の特質とは、米を中心に魚介や野菜を基本とした食事パターンである。他とは異なり豚などの肉類を排除してきたところに最大の特色がある。しかし社会的現象としては、江戸幕府が成立した1600年以降に、肉食禁忌は最高潮に達するが、肉に代わって油分の少ない魚がより好まれた。動物性タンパクの供給上の問題もあり、一般的に揚げ物を除いて、油脂類は遠ざけられるようになった。それで、日本料理の食材は魚と野菜を主体とした。 日本人は生物が好き。これは日本の風習にふさわしい習慣である。日本は海に囲まれて、魚介類が豊富である。加工しないで、或いはできるだけ少なく加工するのは、食材の新鮮度をよく保持できる上に、ビタミンを損なうことも少ない。その海産物の自身は塩分を含めて味わいがあり、また塩が消毒の効果があるから、生で食べてもよろしい。この他に、日本の水質がいい、温度の変化も小さい、寒い地域も多くないから、生物や冷たい物を食べることにかなっている。このため、調理の方法も中国より少ない。 日本人の味わいが甘い傾向がある。これは日本の気候風土が育てられた風習である。例えば、牛肉を作るときにも、少量な砂糖を入れる。 ,), 中華料理の食材 中国でも米を重要な主食であると認める。これは古代の神話や民話などから分かる。中国は面積が大きく、民族も多いから、五穀についての見方も違った。しかし、全部稲がある。中国にも風習が多く、米で吉報を知らせる習慣がある。例えば、子供を産むとき、親友に米を送る。この吉報をもらった親友も米を送り返し、その故に「米礼を送る」と呼んだ。結婚するときも、五穀でお嫁に投げる風習がある。人が亡くなったとき、日本と同じに米を供える。これからも、米の地位の重要さが分かる。 中国で、食材の範囲が広い、種類も多い。豪華な豚の丸焼きから、ラーメン、ワンタンに至るまで中華料理なのだから、その範囲は実に広い。熊の掌から燕の巣、あるいは犬の肉など、日本人常識では食べるではないと思われている物も、中華料理の材料になっている。特に広東料理は原材料の種類が豊富で新奇を好むので変化に富む。蛇、ハクビシン、猫、犬、サル、ネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎鳳大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣油牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。 中国人は漢方医学の影響えお受け、加工した食べ物が好き。漢方医学で熱い料理が臓器に有利で、生或いは冷たい物を食べると内臓を寒気を受けさせ、病気になりやすいと認めた。このため、調理方法も日本より多い。例えば、済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、四川料理の調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じ、広東料理の調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、湖南料理の調理法は塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じるなど。 日本と違って、中国人の味わいが塩辛い傾向がる。塩辛い味わいが大陸性気候の中国にかなう。中華料理を総じて見れば、料理から部分の軽食めで、その味わいが塩辛い。もちろん、南方地域に甘い物が多い、料理を作るときも、砂糖や蜂蜜をいれるが、料理の主な味わいは塩辛い。 ,), まとめ 米は中日両国の食文化に重要な地位を占めている。両国の人たちは皆米を理想的な主食と認める。米も重要な地位がある。 食材の方面から見れば、中国の種類がより多い。日本は海に囲まれるから、魚介類がもっと多い。飲食の基本も魚と野菜である。肉類を食べることは少ない。中国は面積が広いため、地域により食材も違うから、総じて見れば、食材の種類がおおい。 食材が違うから、その調理方法も違う。日本人は生物や冷たい物が食べ好きで、中国人は加工した物がすきである。この調理方法の違いのため、中華料理の調理方法も日本料理よりもっと多い。この他に、日本料理の味わいが甘い傾向で、中華料理の味わいが塩辛い傾向である。 ,、中日両国における料理の種類の対比 ,), 日本料理の種類 日本料理は作法から見ると、本膳料理、懐石料理、精進料理、本膳料理を簡素化した会席料理に分けられる。 本膳料理は古くから冠婚葬祭に使われてきた本格的な日本料理である。一人分の料理が膳に載って一度に出される形式で、一汁三菜、二汁五菜、三汁九菜などがある。仕来たりや作法が非常にやかましいから、次第に消えてきた。現在庶民は本膳料理に接する機会はほとんどない。本膳料理は公家の大饗料理を受け継ぎつつも、寺家の精進料理の技術などを 取り入れて、室町期に完成した本格的な料理様式である。調理法にも煮たり、蒸したり、焼いたり、さまざまな技法が駆使されたほか、蝦夷地との交易により昆布も大量に使用されている。まさに技術的にも味覚的にも、日本料理は、この時期にほぼ完成したと言える。 懐石料理は茶会の席で出される料理である。一汁三菜の簡素な手料理で、量も多くない。戦国期から近世初頭にかけて成立する懐石料理は、本膳料理と精進料理の双方の利点を取り入れた新たな料理様式で、日本料理の極致とも言える。宣教師ロドリゲスは、懐石料理について、「装飾用の料理や冷たい料理を捨て去り、代わりに暖かく十分に調理した料理を適当なところで出す」、と『日本教会史』に記している。まさに懐石料理は、日本料理の頂点を極めたものと言える。 [?] 精進料理は肉、魚など動物性の材料を使わないで、野菜を中心にした食材で料理される。中世には、さまざまな料理様式が成立を見て、いわゆる日本料理が確立するが、新たな料理法導入の始まりとなるのは精進料理である。精進料理は中国で発達を見たもので、言うまでもなく仏教の精進にちなみ、殺生戒をもっとも重要な戒律と見なす立場から、魚肉類を一切省いた料理を指した。精進料理は本膳料理にも影響を与えたが、禅院で行われていた茶礼と深く関係し、特に懐石料理の成立に大きな貢献を果たすことになる。 会席料理は本膳料理が簡略化され、古くから俳人が俳句を披露しあい、風情ある酒席で出される料理である。いま、ハレの日の宴会、招待宴、結婚披露宴などの席で出される料理はほとんど会席料理である。会席料理は一品ずつ出される。 ,), 中華料理の種類 中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。 宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京、天津、東北各地に対して大きな影響を与えた。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られる。 秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり、現在では世界中に四川料理レストランを見出すことができる。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。 前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理の長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在、ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。 福建料理は福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州、アモイなどの地方料理を代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。 江蘇料理は南北朝時代に発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である。 浙江料理は杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理を代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。 湖南料理は湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部の山間地帯の料理を代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子、燻製肉を多用する点にある。 味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。 安徽料理は長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理を代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。 ,), まとめ 和食の分類はだいたい作法を基準としたものである。 これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方の歴史と切り離して語ることはできない。またその地方の地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理の擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面の江南美人、山東、安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理は風流典雅な貴公子、四川、湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである。 もっと簡単に分けたら、中華料理には大別にして南北二系統がある。さらに細かく考えてば山東料理、広東料理などの区別がある。北方料理には揚げ物、炒め物のような味わいの物が多い。南方料理には蒸した物や煮た物が多く、北方料理に比べれば味わいが淡い。しかし、総体的に言えば、日本料理より味わいが濃い。中華料理には、日本の刺身や大根おろしのように、生で食べる物は前菜のほかに、ほとんどない。中国の水質或いはその他の関係で、必ず煮る、焼く、揚げるなど、火を使って調理する。 二、日本と中国の礼儀作法の対比 ,、日本と中国の礼儀作法の対比 ,), 日本の礼儀作法 典型的な日本料理は和食であるから、和室に食事をする場合も多い。 和室では、ほとんどの場合は正座である。女性は座った時に足先が隠れるフレアースカートがギャザースカートにする。アクセサリーは美しい陶器や漆器を傷つけないようなものをつける。重いブレスレットは食前にはずしておく。 和室の上座は床の間の前、掛け軸が掛けられているところ、宴席の真正面の席、入り口から遠いところ、壁側、庭や窓が見えるところなどである。 和室では、注意すべきことはいくつかある。たとえば、靴を脱いでから座敷側におしりを向けないようにする。靴をそろえる時少し斜めに膝をついて、脱いだ靴を端に寄せる。畳のへりや敷居を踏まない。座布団から下りて、挨拶をする。座布団は絶対に踏まないで、手をついてにじりよるようにして座る。正座する時、両足の親指を重ねて座るのが、しびれない正座のコツである。歩く時、音を立てないで、なるべく足の裏を見せないようにする。 日本料理には独特な素材や盛り付け、包丁の入れ方、色合いなどある。その美しさや季節感を味わい、和食器の色や形、模様などの芸術性までも鑑賞するものです。とくに会食の席では、庭の美しさや、部屋のしつらい、床の間の飾りなどの背景と料理をともに楽しむものである。 食べるときに、和食器の取り扱いに注意しなければならない。和食は最初から大方の料理がテーブルの上に並べられる。お箸、お椀、小鉢、平らなお皿など、器の種類は全部違う。和食器を取り扱う時は注意し、楽しみながら料理をたべる。 (,)器を取り上げたり、受け渡したりするとき、両手を使う。 (,)手渡された器はいったん食卓に置き、あらためて両手で持ち上げて食べる。 (,)ご飯を食べたら、一度ご飯茶碗を食卓に戻し、おかずを取って小鉢に入れて、小鉢は手に取って食べる。 もちろん、食べる時にもタブーがある。次のことは禁止するものである。 背中を丸めて、食器にかがみこんで、犬のようにガツガツと食べること。くちゃくちゃと音を立てて食べること。ご飯を食べながら他の人をじろじろと見ること。茶碗の中のご飯を押し付けて、口に入れること。両肘か片肘を食卓についたまま食べること。片手を下ろしたり、ポケットに入れたまま食べること。片手を椅子の背に回したり足を投げ出したりすること。ほおぼって話すこと。大きなものを口に入れて、顔のがほおばること。殻、骨などをまとめないで食卓に置くこと。お茶で口をすすぐこと。食事中の新聞、タバコ。食事中にトイレに立つこと。爪楊枝を使うとき、口元を隠さないこと。おしぼりで顔や首まわりを拭くこと。 ,),中国の礼儀作法 中国で宴会のとき、席の順は重要なものである。座るちき、空き席を見たら座ることはいけない、主人やホステスの段取りに従う。お年寄りや女性などに優先させる上に、彼らに座ることを手伝うべきである。一般的に、中国の宴会には円卓を使う。主人の隣の席は上客や大切な客に残る。座るとき、椅子を少し後退させ、左側に入り、あしが後ろの椅子を触るとき座っていい。 自分の鍵やライター、タバコなどの手荷物をテーブルの上に置くことはいけない。食卓は食事をする場所であるから、自分のものを置いて他人を邪魔するのは失礼なことである。 座るとき、体をまっすぐして、両足を並んでいる。もちろん軍人のように要求しないが、テーブルまで腰を曲げることはいけない。食事をするとき、肘をテーブルにつくことはいけない。 日本の和食に使う懐紙と違い、中国の宴会ではナプキンを使う。ナプキンは口を拭くほかに、骨や果物のさねを吐くときも使える。ナプキンを汚れることができるが、汗や鼻水などを拭くことはいけない。 中華料理を正式に食べるときは、まず前菜から始める。。前菜のあとはスープである。次は魚料理、鶏肉、豚肉、牛肉などの肉料理や卵料理、野菜料理などが出る。そして、終わり近くに点心がでる。 料理は上客がお先に取るのが原則である。料理を取るとき、たくさんにしないで、食べたあとで再び取るほうがいい。 中国では食事をするとき、客に勧める習慣がある。中国人は熱情であるから、主人はよく客に料理の特色を紹介し、客に勧める。 この他に、食べるときのタブーはほとんど日本と同じである。例えば、背中を丸めて、食器にかがみこんで、犬のようにガツガツと食べること。くちゃくちゃと音を立てて食べること。ご飯を食べながら他の人をじろじろと見ることなど。 ,), まとめ 中日両国は食事をするときも、いろいろな礼儀がある。日本は主に和室で食事をし、食器や環境が中国と違うから、その礼儀も違う。例えば、主人と客の席、座る姿、料理の順序、懐紙やナプキンの使い方など。それにしても、だいたいはお互いに尊敬するためである。 ,、箸の使い方 ,), 日本での箸の使い方 日本料理では「箸に始まり、箸に終わる」と言われている。箸を正しく使うことは日本料理の基本である。ですから箸の使い方に注意するものである。 一番格上は白木の箸である。白木の箸がお客さんだけのために作った箸ということで、一番格上になる。柳の箸も白木の箸である。次の地位にあるのが割り箸である。塗り箸はい くら高価な物でも、何度も使えるということで、白木の箸のほうが格上になる。 一本の箸の上のほうは親指の付け根で、箸先は7センチぐらい残し、中指と薬指の爪の上のほうで固定させる。もう一本の箸の箸先の7センチのところは中指と人差し指の指先のところに置き、上のほうは人差し指のほうに置く。使うとき、固定させている箸は動かず、鉛筆を持つように持っている箸は数字「,」を書くように固定させている箸に近づける。 箸の取り方と置き方も方法がある。まず両手で器を持ち上げて左手に持つ。右手で箸をとる。左手の小指と薬指の間に箸の先を挟んでおく。右手で下から持ち替える。置くときは逆の順にする。 箸使いも次のようなタブーがある。 「刺し箸」 煮物などを取るときに箸を突き刺して取って食べてはいけない。「煮えているか」という意味に取られ、作った人に失礼である。 「千切り箸」 箸の一本ずつ左右の手で持って料理を千切ろうとしてはいけない。 「移り箸」 ご飯を食べずに、おかずからおかずへと箸をすすめて、おかずばかり続けて食べてはいけない。お料理はそれぞれの味をじっくり味わうもので、味が混ざらないように、おかずとおかずの間には必ずお酒を飲むか、ご飯を食べるものである。 「迷い箸」 箸をきょろきょろさせて、お皿からお皿へ移して、どれを食べようか迷ってはいけない。決断力のない人と認められる。 「涙箸」 箸先から汁や醤油などをたらしながら食べ物を取ったり、食べたりするとき、食膳を汚す上に、だらしなく見える。 「寄せ箸」 左手に食器を持ったまま、右手の箸で器を自分のほうに引き寄せたり、向こう側に押したりしてはいけない。こうするとテーブルも器も傷つく。テーブルの上の器の移動は、必ず手で持ち上げて移動させる。 「探り箸」 器の中か奥の好きな物、食べたい物を箸で探って取って食べてはいけない。まるでゴミあさりのようである。箸先が汚れてしまうし、わがままな人に見える。作った人に対しても失礼になる。 「拾い箸」 二人で箸から箸へおかずを移してはいけない。弔事のお骨拾いを連想させ、嫌われる。 「立て箸」 箸を休めるとき、ご飯に刺してはいけない。枕めし(死後すぐに枕元に供える飯)を連想させる。 「銜え箸」 何も挟んでいない箸を口に持ってきて舐めたり銜えたりしてはいけない。 「振り箸」 ご飯粒が箸につかないように箸をご飯につけたあと、その箸を振ってはいけない。 「叩き箸」 箸で器をたたいてはいけない。昔ハレの日、神様とともに食事をいただくため、食事の前に器を箸で叩い、神様にその場に降りていただいた。そこで普段の食事には、器を叩かない。 「竹木箸」 そろっていない箸で食べてはいけない。お骨拾いのとき、竹と木それぞれ一本ずつの箸を使うので、不幸を連想させる。 「擦り箸」 割り箸を割るとササクレが気になってそれを擦ってはいけない。 「逆さ箸」 大盛りの料理を取るときに、箸を逆さにして料理を取ってはいけない。手で持っていた部分なので、清潔ではない。 「楊枝箸」 楊枝代わりに箸を使ってはいけない。 「握り箸」 箸をそろえて握って 「上げ箸」 箸はより上にあげてはいけない。 「渡し箸」 食事の途中、箸を使わないとき、箸置きに置く。お茶碗やお皿の上に渡して 置いて、汚れている箸先を他人に向けてはいけない。 「すかし箸」 お魚の上身を食べたあと、骨の間から下の身をせせり出すようなことはしていけない。 「そら箸」 食べようと器の中のものに箸をつけただけで止めてはいけない。料理の中にいやなものがあるように見えるからである。 「かき箸」 器を直接口元にあてて箸で料理をかき込んではいけない。(納豆などは別として) ,), 中国での箸の使い方 日本の箸の形には両口箸(両端が細くなっている)と片口箸がある。両口箸はハレの日(神様を迎えて食事をする日)に使う箸で、一端は人間の口、一端は神の口のためのものだそうである。片口箸は日常に使う箸である。ふだんは神様とともに食事はしないので、片口(人間の口)だけでよいのである。 中国では、このような風習がないから、箸も日本より細くない。箸先もそんなに鋭くない、これは自分がおそろかにすると他人を傷することを防ぐためである。中国の箸は長くて、先端がぶつ切りで、男もの女ものの区別はなく、画一的である。 いまは、割り箸も使用する場合が多くなる。割り箸を使うときも、使い方がある。割り箸を袋から取り出す。箸を割るときには、箸をテーブルの下、膝元に持ってきて、箸先を開くように割ったほうがいい。箸先を1.5センチ多く3センチ使う。箸の汚れを見れば、その人の育ちが分かると言われているからである。できるだけ箸先を汚さないようにするためには、一度にたくさんの量を口に持っていかないようにする。 食事のとき、箸を取るや置く場合に、軽くするほうがいい。箸でお椀を叩くことはいけない。これは中国で、箸でお椀やお皿を叩くことは乞食の行為であると認めるから。使用しないとき、乱れておくことはいけない、自分のお皿或いはコップの右に置く。料理を取るときも、すばしっこくて食べ物と接触する時間が長くないようにする。 箸使いのタブーはだいたい日本と同じである。もちろん、この中に「竹木箸」などタブーがない、中国でそのような風習がないから。 次の表で表す。 タブー 国家 同異 日 本 中 国 相違 移り箸、拾い箸、竹木箸、渡し箸 同じ 刺し箸、千切り箸、迷い箸、涙箸、寄せ箸、探り箸、立て箸、銜え箸、振り箸、叩き箸、逆さ箸、楊枝箸、握り箸、上げ箸、すかし箸、そら箸、かき箸 こうから見れば、中日両国の箸使いタブーはほとんど同じである。ないのは全部習慣のせいである。これは中日両国の風習の違いのためである。 ,), まとめ 箸は中日両国の食文化で欠けない食器である。長い時代から、箸の使い方も一定の原則がある。もちろん、違うところがあるが、大同小異である。箸使いのタブーは縁が悪いや失礼、衛生的でないなど、いろいろな原因で形成されるものである。なんと言っても、これは食事を楽しむためである。 三、日本と中国の節日飲食の対比 ,、 行事と食文化 ,(, 日本の行事 行事の日には「ごちそう」を食べる。お盆、正月、祭り、結婚式など、ハレの行事である から、食事も日常とは別の献立になるのである。節句とは、季節の節目の行事日のことである。節日ともいう。そもそも節句の概念は古代に中国から暦法とともにもたらされたものである。五節句は、正月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)である。日本では、それぞれ「七草の節句」、「雛の節句」、「五月の節句」、「夏の節句」、「菊の節句」ともいわれる。ちなみに、これらは、奇数とその重なりを尊ぶ唐代中国の観念をそのまま移したものである。 現在に広く伝わる節句行事とすれば、上巳の節句の雛飾りと端午の節句の鯉のぼりである。上巳の節句の一つの原型は流し雛である。雛に罪穢れを託して、彼方の世界に祓ってもらうもである。灯籠流し(精霊流し)にも相通じる意味がある。時代とともに変化はしているが、例えば端午の節句の菖蒲湯や七夕の笹流しなどもその意を伝えるといってよいであろう。上巳の節句の食べ物の代表は餅である。餅は、他の行事にも用いられている。それは、餅そのものが霊力を宿したごちそうとされたからである。したがって、白い餅であるか草餅であるか、丸餅であるか菱餅であるかを厳密に問うことに、さほどおおきな意味はない。本来は、贈られたものを神棚や雛壇に供え、それを人々が相伴して祝うものである。 なかでも、草餅に注目しなくてはならない。草餅は、ヨモギを入れて作るものである。ヨモギはこの時期に芽ばえ、生命力を象徴する植物である。同時に、その葉液の苦味が邪気を祓うとも信じられていた。それを混ぜてつくれば、さらに霊力がつくとしたのも当然のことである。 その他に、上巳の節句に欠かせないのが桃の花と白酒である。中国では、桃は邪気悪霊を祓う神聖な木とされ、上巳の祝いには、桃の花を浮かべた酒を飲む風習があった。いわゆる「桃酒」である。それが、日本にも伝えられた。しかし、江戸のはじめごろになると、飾り雛の広まりにつれて、桃酒が白酒に代わっていった。このほか、端午の「菖蒲酒」や重陽の「菊酒」などはよく知られるところである。いずれも、、その時期ごとに生命力や抗菌力を象徴する薬草を入れた薬酒であった。 ,(, 中国の行事 ハレの日に食べる物は、一般的に幾世代の知恵と創造で固定されたものである。この風習は神仏や祖先を祭ることに関係がある。先に述べたのように、中国の節句は日本のように正月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)などがある。 中国では、一番重要な節句は正月である。中国の正月は旧暦の一月一日である。つまり、春節である。中国では「一年の計画の鍵は春にある」という言葉があるから、春節を迎えることを非常に重視する。中国は面積がひろくて五十六の民族があるから、東南西北の祝い方がそれぞれである。北方には餃子を食べることを重視している。これは古代の貨幣「交子」と音が近く、形が「元宝」と似ているから、大金をもうけることを祈る意味を象徴している。これに対して、南方はおいしい料理を重視する。その中に、必ず「魚料理」がある。「余」の音と近いから、年々余裕があることを祈る。 中国の節句料理はいつも数字と関わっている。例えば、「七宝羹」、「八仙皿」、「九層膏」、「十大碗」などがある。この数字は縁起や福禄壽などを表しているから。「七宝羹」は古代の漢民族が食べたものである。正月7日になると、七種類の野菜と米と混ぜて粥を作って、邪気を祓って百病を防ぐことができる。日本の七草粥と似ている。「八仙皿」は漢民族の壽宴にあるものである。「八」は縁起がいい数字であるから、人が歩いている道が広くなることを暗示する。また中国の八仙の中に、壽星がいるから、お年寄りに長寿を祈る場合に適合する。 数字のほかに、形も重要な表す手段である。中国語の「圆」は「縁」と同音であるから、円形は縁起がいいことを表す形であると認められた。饅頭や餅(日本の餅と違う)、菓子などを円形に作って食べる、或いは祖先に供える。日本でも円形の食品を食べたことがある。日本では、祖先の霊魂はぼんやりしている円形であるという話があるから。そのため、祖先を尊ぶ日本人は食べ物を円形に作る。 中国では、一番集中的に表すのは正月である。正月に作った饅頭は円形の上に、「笑う」を加える。饅頭の上に、十字を切って、蒸したあと、上部はほころぶから、「笑口饅頭」と呼んでいた。 中国人の家で食事をするとき、客がいれば、主人と客の量で準備しないで、どんなところでも「余る」ことをある。これは中国の伝統的な文化や理念と関係がある。中国で「余」は縁起がいい文字であるから、縁起のために食事をするとき、必ず「余る」。「余」は「富裕」の「裕」と音が近いから、豊かで余ることを暗示する。中華料理の量が多くて、全部食べられない。これも民間の風習である。また、「余」は「魚」と同音であるから、宴会で必ず魚料理を作る。この思想意識のため、中国人の飲食量を多くさせて、これは胃腸に負担をかける。これに対して、日本はこのような観念がないから、普通のときに料理の量が適当でいい。この作法は健康に有利する。 ,(, まとめ ハレの行事であるから、食事も日常とは別の献立になるのである。日本では、食べ物の代表は餅である。餅そのものが霊力を宿したごちそうとされたからである。この他に、酒も欠けないものである。種類が多いが、その時期ごとに生命力や抗菌力を象徴する薬草を入れた薬酒であった。 中国の節句は日本のように正月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)などがある。その中に、一番重要なのは正月である。中国は面積がひろくて五十六の民族があるから、東南西北の祝い方がそれぞれである。また、数字や形、発音なども重要な表現形式である。 ,、供え物と行事の意義 ,(, 日本における供え物と行事の意義 先に述べたとおりに、季節ごとに地方ごとに行事日のごちそうはさまざまある。しかし、日本人という総体でみたとき、白米だけを原料とした飯や粥、酒、餅などが最上位にあるのである。例えば、神社祭式の祝詞文のなかにも、「大広間に御飯、御酒、御餅をはじめて種種のたなつものを供えまつりて御祭仕えたてまつる」と伝わる。 飯、酒、餅という三種の熟饌が、旧来の神饌の定型であった。それが、かつては最上のごちそうであった。少なくとも、第二次大戦前後のころまでは、そうであった。それは米が経済的な価値基準となっていた時代であるといってもいい。つまり、神饌の飯、酒、餅は、いずれも米だけを原料としてつくられていることに注目しなくてはならないのである。日本人にとって、長い間、米そのものがハレの食材であった。一方の概念として、日本人の主食は米の飯であるとされてきた。しかし、それは一部の都市住民に限ったことであり、農山村で米飯が日常化して広まったのは、第二次大戦中の配給米によってなのである。 かつては、米は「霊力」とされた。ゆえに、各地の農山村で、死期におよんだ病人の耳元で米粒を入れた竹筒をふって励むという「いまわの米粒」の話が今も伝わるのである。いうなれば、憧れの米である。その米をふんだんに使って、しかも調理の手間をかけて作った飯と酒と餅———それは間違いなく最上のごちそうであった。それで、それを神に供えたのである。 神々といったとき、日本人の意識の中では、祖霊が同体化されているはずである。「神様仏様ご先祖様」というように、日本における祖霊信仰はまことに根強いものがある。祖霊は、いつも天上界にあって神仏をつなぎ、子孫の暮らしぶりを見守っていると信じている。そして、盂蘭盆会やお正月に代表されるように、祭りや行事のたびに神仏とともに村里に下り、家を訪れてもてなしを受けるわけである。つまり、そこで祖霊と子孫が交流する。同時に、祖霊を仲介して神仏と人々が交流する。それが、日本人における祭りや行事の原型である。 さらにいうと、そこに神仏や祖霊と人間が「相嘗める」宴が発達する。それが祭りの後の直会である。また家庭内の行事であっても、まず神棚や仏壇にごちそうを供えてから家族で食べる。これも、相嘗めの一つの形態である。すると、そこに供されるものは当然ながら先祖がもっともごちそうとしたということになる。その土地を開拓して住み着いた先祖の労を記念すべき、最上のごちそうを用意して供える。その後、神人が共食する。正月の餅や彼岸のぼた餅などに代表される行事のごちそうには、神人が共食しながら、祖霊と子孫が相嘗めて、特にその意が強く潜在しているのである。 ,(, 中国における供え物と行事の意義 中国では、神仏や先祖を祭ることはもう次第に消えた。しかし、伝統的な節句は主にこのような祭りから発展されたものである。例えば、清明である。清明は中国の三大鬼祭りの一つである。「鬼祭り」は亡くなった人たちを追悼する日で、天神や地神を祭ることと対しての祭りである。 清明の参加者は国の全部の人である。祭りの作法は地域によって違うが、主に二つの部分に分かれる。一つは墓参りで、もう一つは紙のお金を燃やして食べ物を供えることである。供え物も地域によって違うが、現地の季節に合っておいしい物である。 清明の祭る場所は普通に墓地である。これは死者ともっとも近いところであるから、親しい感じを生じやすく、生きている人は死者に思いを寄せやすい。 中国では、何を供え物とするのは大丈夫であるが、死者に対する尊敬と思いを表現できればいい。この尊敬と思いを表すために、必ずおいしい物を供えるはずである。 清明のほかに、また中秋や重陽、端午などがある。このような節句で食べたものはもう固定したが、全部祭りから発展された節句である。祭りの形式や意味はもうなくなったが、いい希望を注ぐものである。これもこのような節句が中国で受け継げる原因である。 ,(, まとめ 日本では、神饌の飯、酒、餅は、いずれも米だけを原料としてつくられていることに注目しなくてはならないのである。日本人にとって、長い間、米そのものがハレの食材であった。かつては、米は「霊力」とされた。神々といったとき、日本人の意識の中では、祖霊が同体化されているはずである。祖霊は、いつも天上界にあって神仏をつなぎ、子孫の暮らしぶりを見守っていると信じている。そこに神仏や祖霊と人間が「相嘗める」宴が発達する。 中国では、神仏や先祖を祭ることはもう次第に消えた。しかし、伝統的な節句は主にこのような祭りから発展されたものである。中国では、何を供え物とするのは大丈夫であるが、死者に対する尊敬と思いを表現できればいい。この尊敬と思いを表すために、必ずおいしい物を供えるはずである。 四、中日飲食の異同を成った原因 ,、地理条件の差異 ,(, 日本の地理条件と飲食 日本はアジア大陸の東側に位置し、南北に長い弓形の島国である。国土はおおむね北は北 緯45度31分から、南は北緯20度付近まで、東は東経149度付近から、西は東経123度までの範囲に位置し、面積は約37万7819平方キロメートルである。面積は中国の約25分の1である。 日本国土の地形をみると、61,が山地で、高く険しい山や火山が多いのが特徴である。日本は島国である同時に山国でもある。その他、低地は13.8,、丘陵は11.7,、台地は11,、内水域などは2.4,である。国土の利用状況は、森林が66.6,で、農用地は13.8,である。その他、宅地、道路、河川などがある。また、日本国土のうち、民有地の使用状況は、山林は47.9,、畑は15.7,、宅地は8.9,などである。日本は平野が狭くて少なく、川が短く、川幅が狭く、流れが急である。 こうから見て、日本の耕地は少なくて、獣の種類も少ない。この上に、動物の体形も大きくない。 日本列島は、南北約3000キロメートルに及んでいるため、亜熱帯から亜寒帯にわたり、複雑な地形や海流の影響で、気候は地域差が著しいのが特徴である。しかし、大部分の地域は温帯にあり、海洋性の温暖な気候で、春夏秋冬の四季の区別がはっきりしている。夏は南東から、冬は北西から、規則正しく季節風の影響を受ける。冬は寒気団のシベリア気団が南下し、夏は熱帯気団の小笠原気団が北上する。さらに、起伏に富んだ山脈が日本列島を縦断しているため、太平洋側と日本側の気候には大きな差がある。太平洋側では、夏は南東の季節風が吹いて蒸し暑く、冬は湿気の少ない空っっ風が吹き、乾燥した晴天が続く。日本海側では、夏は雨が少なく、冬はアジア大陸方面からの北西の季節風が吹き、気温が低く、降雪が多い。この気候のせいで、日本は植物に富んでいる。野菜の種類も比較的に多い。これで、日本料理の和食には、肉より野菜のほうが多い。 日本の海岸線は出入りが多く、複雑である。まわりには、オホーツク海、日本海、太平洋、東海が広がっている。陸地に近いところは海底が平らで、深さが200メートルぐらいまでの大陸棚が広く分布している。太平洋岸では、暖流の黒潮(日本海流)が北上し、寒流の親潮(千島海流)が南下する。この二つの海流は、夏は三陸海岸で、冬は銚子沖付近で出合い、それらの海域には多くの種類の魚類が集まるよい漁場となっている。日本海沿岸では、暖流の対馬海流が北上する。海流は豊富な栄養分を持ってくるため、天然な漁場になった。それで、日本は古くから漁業資源が豊かである。日本料理も魚が豊富である。 このように、和食の「米,魚,野菜」の形式になった。 日本料理の味は甘い傾向がある。これは日本風土にふさわしい体験である。日本の気候は温和で、まわりが海に囲まれ、降水量も大きくて、空気が潤いから、夏のほかに、汗をかく場合が少ない。そのため、甘い味が日本人に適合する。 ,(, 中国の地理条件と飲食 中国は気候や風土の違いから大きく華北?華南?華東?華西に分けられる。華南人と華北人の気質の違いは古来からよく対比されてきており、日本人が関東人と関西人をよく対比するのと相似的である。華南と華北を区切るラインはほぼ秦嶺(チンリン)山脈から淮河(ホワイ川)に一致し、これは年間降水量1000mmのラインでもある(秦嶺?淮河線)。ここより南側の華南では湿潤で温暖湿潤気候 にあたり、アジア的稲作農業が行われる。長江をはじめとして河川?湖沼に富み、水上交易も古くから盛んであった。 これに対して華北は比較的乾燥して温暖冬季少雨気候や冷帯冬季少雨気候にあたり、畑作農業が中心となる。華北平原と呼ばれる平野地帯が広がり、陸上交通が発達した。華北の中心的都市は中華人民共和国の首都でもある北京である。こうした南北の風土の違いは「南船北馬」などの慣用表現にも反映されている。 また華北では異民族王朝として侵入したモンゴル人?満州人などとの混血が、華南ではも ともと中原以南に住んでいた越人や閩人といった異民族との混血?吸収があり、それぞれの言語や風貌に大きな違いを生じさせている。 こうから見れば、中国は面積が広くて、南北の気温の差異が大きくて、海もあれば川もある、平野もあれば丘陵もある、高原もあれば森林もある。このようにすれば、違っている種類の動植物や魚介類がある。また中国の歴史が長いから、長い間の実際的な生活から経験をまとめ、食べ物の味や栄養価値、医療価値を積み重ねて記録した。このようにしたら、次第に自らの認識となってきた。 この他に、中国は民族が多いから、民族ごとに独特の風習や民俗がある。長い間に、民族の間でお互いに融合してきたあと、いまの風習や食文化がなってきた。 中華料理の味は塩辛い傾向がある。これは中国の大陸気候で決めたものである。気候が乾燥で、降水量も少ないから、体における水分が蒸発しやすく、塩分が大量に供給する必要がある。そのため、中華料理の大部分が塩辛い味である。これは生理的な要求である。 ,(, まとめ 南北に細長くて海に囲まれ、山々が軒を連ねる日本列島では、古くから地域条件に応じて、さまざまな食文化が営まれてきた。長い間、焼畑などによる栽培や狩猟、漁撈および山野河海からの動植物の採取物を食生活の基本に据えてきた地域も少なくない。海に恵まれて、魚介類が豊かである。気候と地形のせいで、野菜の種類も豊富であるから、和食の主な食材となったものである。潤い海洋性気候で日本人の味わいを造った。 これに対して、中国は国土の面積が広くて、比較的乾燥して温暖冬季少雨気候や冷帯冬季少雨気候にあたり、南北の差異も大きくて、動植物の種類が豊富であるから、食材の種類もさまざまである。また、乾燥な大陸性気候のせいで、人たちにとって大量な塩分が必要となるから、料理の味も塩辛い傾向である。 ,、思想の差異 ,(, 日本の思想 和食という概念も、日本文化という存在も、実に歴史的に造られたものに過ぎない。和食が大きな発展を遂げた近世には、南蛮料理や中国料理が実際の料理に取り入れられており、当時の料理本には、予想以上に、胡椒やシナモン、クローブ、八角などが登場する。実に、中国との交流が多い。 延暦十三年(七九四)、桓武天皇が平安京に遷都した時代は、天皇はじめ公家たちの間で、奈良時代以来、中国ブームがつづいていた。ことに桓武天皇の子、嵯峨天皇の中国への憧れは強く、みずから漢詩を作り、いわゆる勅撰漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』の編纂を命じるなど、中国文化を模倣した。文化はもちろん生活風俗まで、日本人は中国に憧れたから、食文化でも、日本にない中国風を取り入れた。たとえば、中国の模倣として導入された風俗の一つに喫茶があった。唐の時代に至って中国全土に喫茶の習慣が広がっていった。茶の百科全書ともいえる陸羽の『茶経』が完成し、茶は中国文化の一角に認められたので、日本からの留学生も、みな喫茶を体験したに違いない。 もう一つの例を挙げれば牛乳がある。奈良時代から貴族の間では牛乳が飲まれ、牛乳を煮詰めた蘇が食べられた。これも中国ブームが去るとすたれ、文明開化まで日本人は牛乳を飲まなかった。嗜好や体質に合わない茶や牛乳を摂取したように、それほど当時の中国への憧れは強烈だった。 [?] こうして日本人が海外から入って来たものを、日本的に作り上げ、すばらしい料理体系を築き上げたことに疑いはなく、その意味で和食は間違いなく日本文化の結晶といえよう。しかし、その背景には、さまざまな国々の料理や文化との交流があったことに注目すべきである。食は紛れもなく文化であるが、文化というものが一つの国で完結することなどあ りえない。たとえば海外の事例では、フランス料理も、もともとはイタリア料理に源流がある。また最近ではヌーベルキュイジューヌに、日本の懐石料理が影響を与えたことが指摘されており [?]、現在の食文化は、大きく国の枠を飛び越えている。 いずれにせよ、食文化は国際的な交流の結果、必要に応じて、選択され創造されて来たものばかりだといえよう。そして実は、ここに日本文化というものを考える重要な視点がある。日本文化というと、伝統という言葉にとらわれ、閉鎖的で排他的なイメージをもちがちである。しかし、実際的にはそうではない。日本は異文化を受容できて、自分の特色を加えて自分のものを作れる国である。このため、いまの日本料理が形成できる。 ,(, 中国の思想 先に述べたのように、中国は多民族が融合してなった国である。華北では異民族王朝として侵入したモンゴル人?満州人などとの混血が、華南ではもともと中原以南に住んでいた越人や閩人といった異民族との混血?吸収があり、それぞれの言語や風貌に大きな違いを生じさせている。 日本と比べて、はじめに飲食を重視したのは統治階級であった。彼らは金を持って、地位があって、山海の珍味を得やすかったから、彼らに飲食を重んじて、酒色にふける生活を過ごしたことを促した。「酒池肉林」は後世の人たちが殷紂王の贅沢な生活を形容する言葉である。 酒色におぼれて、湯水のように金を使った統治階級は、このような世界を離れないために、さまざまな方法を考えて、寿命を延長するつもりで、政治に動乱をもたれたが、もう一つの方面で見れば、客観的に中国の飲食を発展させたといってもいい。 中日両国が比べれば、中国のほうがもっと飲食を重視する。『周礼•春官•大宗伯』に、「以飲食之礼、親宗族兄弟」(飲食の礼によって宗族の兄弟に親しむ)という記録があった。これを影響されて、客が来て、あるいは親友を訪ねるとき、中国人はいつも一緒に食事することを礼遇と親密な交流方式と認める。これによって、飲食の重要性が分かる。飲食は中国人の人間関係を深める手段である。長い間に、人々が会ったときに、「もう食べたか」と挨拶した。これは他人を関心するほかに、食べることは人にとって重要であることを表明した。だから、『礼記•礼運』に「夫礼之初、始于飲食」(礼儀の初めは飲食から始める)という説がある。 中国の歴史から見れば、皇帝や貴族は美味を求めるために、国を滅ぼした例が少なくない。これは日本と違う。中国の古代では皇帝を補佐する役人は宰相と呼んでいる。「宰」は殺生、肉を切ると意味して、また主宰などの意味を派生する。「相」は補佐の意味である。封建社会の中国で、宰相は総務を管理する人であって、重要な地位を持っている人である。最初、重要な任務の一つは食品を公平で合理的に帝王の下部に配給することである。日本では、このような歴史がない。違った歴史は違った飲食観を生じるのは当然のことである。 五代以前、旅をする人は料理を作る具を持つ風習があった。自活して、好きな料理を作るためである。中国の古典にも、帝王や貴族の飲食についての記録がある。王宮の享楽生活は腹立たしいが、中国の料理も発展させた。燕の巣や熊の掌、フカヒレなど高級な料理は、王宮から民間に伝わるものである。これも中国飲食の一つの特徴である。 なんといっても、中国では食べることを重視して、美味を食べるのは福で、享楽であると認める。このため、食事に時間をかかて研究する。 ,(, まとめ 和食が大きな発展を遂げた近世には、南蛮料理や中国料理が実際の料理に取り入れられている。長い間、日本人が海外から入って来たものを、日本的に作り上げ、すばらしい料理体系を築き上げたことに疑いはなく、その意味で和食は間違いなく日本文化の結晶といえ よう。しかし、その背景には、さまざまな国々の料理や文化との交流があったことに注目すべきである。食文化は国際的な交流の結果、必要に応じて、選択され創造されて来たものばかりだといえよう。日本は異文化を受容できて、自分の特色を加えて自分のものを作れる国である。このため、いまの日本料理が形成できる。 中国は多民族が融合してなった国である。日本と比べて、はじめに飲食を重視したのは統治階級であった。彼らは金を持って、地位があって、山海の珍味を得やすかったから、彼らに飲食を重んじて、酒色にふける生活を過ごしたことを促した。しかし、もう一つの方面で見れば、客観的に中国の飲食を発展させたといってもいい。中国では食べることを重視して、美味を食べるのは福で、享楽であると認める。このため、食事に時間をかかて研究する。 おわりに 人間が生きていくために、毎日の食事を取ることが欠けない条件である。生きるための食材は、自然から供給されるものである。人間はその食べ物を得るため、多くの努力と時間がかかった。人々はどのように食べ物を手に入れるのか、それをどのように調理するのか、さらにどのように食べるのか、このすべての行為は食文化の範囲に含められる。 食材は自然からもらったものである以上、土地によって違っている。食文化のあり方にも違っている。 ところが、一つの国の飲食文化は単に地理条件、国民の味に関わるほかに、またこの国の文化特徴、国民性格を反映している。日本と中国は隣国として、ずっと昔から交流している。しかし、違った飲食文化が成った。これは民族が自らの発展につれて独自の習慣を成ったものである。それもこの民族の性格を反映できる。 参考文献 日本語文献: 1、日本料理の歴史,熊倉功夫,吉川弘文館,2007年12月1日 2、日本の風土と食,田村真八郎、石毛直道,ドメス出版社,1984年10月31 日 3、日本の食文化,原田信男,放送大学教育振興会,2004年3月20日 4、日本人の食生活,NHK世論調査部,日本放送出版社,昭和58年3月20日 5、日本の食事文化,石毛直道、熊倉功夫,農山漁村文化協会,1999年1月5 日 6、調理の文化,杉田浩一、石毛直道,ドメス出版社,1985年10月31日 7、異文化との接触と受容,芳賀登、石川寛子,雄山閣出版株式会社,1997年10月5日 8、肉食文化と魚食文化,長崎福三,農山漁村文化協会,1994年12月31日 9、日本,大森和夫、大森弘子、曲維,大連出版社,1997年12月 10、日本文化論教程,五十嵐昌行,山東大学出版社,2000年8月 11、日本史史料集,東京書籍,1997年2月1日 中国語文献: 1、中日习俗文化比较,秦明吾,中国建材工业出版社,2004年8月 2、民间饮食习俗,宣炳善,中国社会出版社,2006年9月 3、民间图腾禁忌,任骋,中国社会出版社,2006年9月 4、日本日常风俗之谜,樋口清之著,范闽仙、邱岭译,上海译文出版社,1997年4月 5、和日本人交往的礼仪,崔玉华,旅游教育出版社,2006年11月 6、宴之道,冯玉珠,中央编译出版社,2006年3月 7、现代日本概况,李中林,北京航空航天大学出版社,2000年9月 8、传统与现代—-日本社会文化研究,王秀文,世界知识出版社,2002年6月 9、中国传统文化指要,曾德昌,巴蜀书社,2001年7月 10、饮食,朱鹰,中国社会出版社,2005年6月 11、饮食之道:中国饮食文化的理路思考,高成鸢,山东画报出版社,2008年3月 12、饮食文化,黄天云,云南教育出版社,2006年7月 13、食俗大观,知识出版社,1992年12月
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