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我喜欢的季节日语作文

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我喜欢的季节日语作文我喜欢的季节日语作文 篇一:我喜欢的季节(日语小作文) 私の好きな季節 冬――私はこの季節が一番好きである。水泳をやっているのに、冬が夏より好きだというのは、自分でも変だと思う。でも、やはり夏は好きになれない。私の生まれたのが、十二月という冬の真最中だったからだろう。 もちろん、何もかも厚く燃え上がる夏も、緑が芽生え、小さな生命が次々と誕生する春も、それから何か物寂しい感じのする秋もそれぞれよいところはたくさんあるとは思うのだ。でも、やはり冬にはかなわない。なんといっても、厳しい寒さにじっと耐え、何にも言わず黙っている...
我喜欢的季节日语作文
我喜欢的季节日语作文 篇一:我喜欢的季节(日语小作文) 私の好きな季節 冬――私はこの季節が一番好きである。水泳をやっているのに、冬が夏より好きだというのは、自分でも変だと思う。でも、やはり夏は好きになれない。私の生まれたのが、十二月という冬の真最中だったからだろう。 もちろん、何もかも厚く燃え上がる夏も、緑が芽生え、小さな生命が次々と誕生する春も、それから何か物寂しい感じのする秋もそれぞれよいところはたくさんあるとは思うのだ。でも、やはり冬にはかなわない。なんといっても、厳しい寒さにじっと耐え、何にも言わず黙っている冬が、最もすばらしいと思うのだ。 そんな冬を尊敬するような、そんな気持ちもある。そして冬のような、そんな生き方をしたい――それが、わたしが冬を好きな理由でもあるのだ。 篇二:私の好きな季节 1 私の好きな季節 どの季節も美しいが、人にはそれぞれの好みがある。私の好きな季節は春だ。 子供の頃、日本の「北国の春」という歌を良く聞いた。白樺、青空、南風。この歌で描かれている春の景色は、中国の北国である、山東省出身の私にとって、慣れ親しんだ景色である。晴れた(の)日には、澄み渡る空を仰ぎ、心地良いそよ風に吹かれ、鳥の鳴き声を聞く。こんな日はとても幸せを感じる。雨の日でも、小さな傘をさし、傘に落ちてくる雨粒の音を聞き、風に揺れる花や草を見る。こんな雨の日も、とても素晴らしいと思う。 「自然の色は何色ですか,」と聞かれたら、私は「緑色」と答える。春は緑色が至る所にある。その中で一番美しいのは、早春の草木の色、即ち「新緑」だと思う。草木が芽生え、虫や動物は冬眠から目覚める。自然はこの時期、自身の生命力を示す。この生命の新しい始まりを象徴する「新緑」を見ることが、いつも私の励みになる。 私は「四季の中の春」だけでなく、「人生の春」も好きだ。「人生の春」とは青春だと思う。青春時代は人生で一番楽しく、そして同時に一番短い時代であるかもしれない。何の悩みもなく、毎日ただ夢に浸っていた。人は誰でも青春時代を懐かしむだろう。誰もが青春時代に戻りたい 2 と思うだろう。考えてみると、季節の春は毎年一度やってくるが、青春時代は二度とやってこない。「時間を大切にして、輝かしい人生を過ごす」自然は何気なく、人生の意味をも教えてくれる気がする。 一言で言うと、春は自然の美しさを感じると共に、自然から人生の知恵を感じ取れる。これが、私が春を好きな理由である。 篇三:日语作文范文30篇 私の梦 かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。 子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。私も梦がたくさんあります。 小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。みんなだいすきでした。彼女は数学を教えてくださったので、私は 一生悬命顽张りました。长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。心から数学の教师にならたいと思いました。両亲も喜んで応援 3 してくれました。 ,,歳、中学校に入りました。その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました(祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。时々、真似たり、一人で歌ったりしました。何时でも。何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。 いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。 时间がはやくたちました。瞬く间にもう大学生になりました。今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。その梦とは外资企业に勤めることです。通訳でも翻訳でもいい出です。 そうすると「将来はなにをする,数学を教える,それに俳优になる,あゆいわ日本语に関して仕事をやる,」といろいろな问题が思い出されました。あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。答えはなかなか出てきませんでした。 ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。梦は多ければ多 4 いほど実现する机会も増えると思います。一つの梦が破れても、また别の梦を追うチャンスがあるからです。 さっきも言いましたように、梦を持つと问题が出てくることは否定できません。ですが、やはり、私はこれからも梦のある美しい生活を大切にしていきます。 「私の梦」(日本人は理想よりも、梦と言う言叶を使っていると思いますので。) 私はまだ子供のころ、空を见上げることが大好きでした。青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを见て、心が愈されるような気がします。 ですから、私はそのとき、「将来パ?ロットになりたい」と心で决めました。飞行机にのって、鸟のように、空を、云の间を缝いでいくことを、すばらしく思っていました。头が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。 まだちっちゃいので、パ?ロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。その后、パ?ロットはみんな2.0以上の视力がなければならないと闻いて、近视眼である私はただ、空しく叹くしか、しようがありませんでした。 高校に入って、私はサッカーに兴味を持ち始めました。 5 サッカー选手たちが、竞い合っている姿に、私は惚れていました。あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。そして同时に、新たな梦が私の心に芽生えました。それは、「中国一のゴールキーパーになって、中国チームを世界の顶点に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。しかし、それには、身长が必要です。 1.80ちょうどの私には、中国一は无理だったのかもしれません。大学に入って、身长がほぼ固定された私の新たな梦は、无残にも破られてしまいました。 日语 大学では、日本语を専攻しました。正直、初めの顷は、梦なんて、まだ见つけていません。目の前の道をただ走るのみ、そこには私の梦とか、意志とか、ありませんでした。勉强していく中で、ちょっとした问题に気づきました。それは、必死に勉强している人ほど、成绩が低く、ということでした。そのとき私はこっそり考えました。実は彼らは努力が足りないってわけではありません。努力の方なら、私なんかより、ずっとたくさんしていると思います。残念なことに、彼らは勉强の仕组み、つまり勉强の方法を知らないだけに、こういう「空振り」の学习を缲り返しているです。そこで、私は「将来日本语の教师になって、知识だ 6 けではなく、勉强の仕组みを、御绍介させていただきたい」という、梦を持つようになり、そして今までに至っています 私の趣味はスポーツをやる事です。色んなスポーツ中にサッカーが大好きです。普段少なくとも周に1回やっ ていました。最近、勉强忙しいですから、なかなか暇な时间が取れなくなりますので、殆どやっていませんでした。でも、サッカーのことを関心しております。毎周必ずスポーツ新闻を読みます。ちょっと残念ながら、最近、中国のサッカーチームは国际试合で全灭になりそうだ。 我的兴趣1 我的兴趣是运动。在各种运动项目中,我最喜欢的是足球。平时至少一周打一次。最近学习比较忙的缘故,抽不出空余时间,几乎不打了。但是,很关心足球的新闻,每周的体育报肯定会去看的,有点可惜的是,最近中国队在国际比赛项目上好像全军覆没。 私の趣味2 仆の趣味は音楽鉴赏でございます。もちろんポピュラー音楽が大好きですけども、普段にクラシック音楽もよく聴きます。いつも部屋で音楽を聴きながら、文章を书きます。もし、何か悩んでいることがあれば、好きな音楽を聴いて気持ちが落ち着けます。 我的兴趣2 7 我的兴趣是音乐鉴赏。当然了,我最喜欢的是流行乐,但是平时我也经常听听古典音乐。平时都是在屋里一边听音乐,一边写文章。如果有什么烦心事的话,听听自己喜欢的歌,心情可以平静下来。 私の家庭 私の家は 三人の家庭です. お母さんとお父さんと私です. 私の母は 病院の看护妇です. 毎日 八时に 病院へ 行きます, 午后 六时に 家に 帰ります. 母は 中华料理が とても 上手です. 私の父は 大学の先生です. 化学の専门を 授业しています. 本を 読むことが好きで,テレビが 好きないです. 私は 大学の学生です. テレビを 见ることが 好きで, スポツが上手です. 私の家庭が 楽しい 家庭です. 私は 父と母と よく 一绪に 游びに 行ったり, 山を 登ったりします. 日语作文我的家乡 私は上海に生まれました。故郷は上海だと思います。上海は中国の中では、最も都会らしい都会です。上海には名所名迹が少ないが、中国最大の商业、工业、港湾地帯として特徴づけられている。 今、上海の人口がもうすでに1250万人を超え、世界一 8 のマンモス都市となった。改革开放によって、上海が大きく変わりつつある。毎年上海に帰省するたびに、その発展ぷりに惊き、上海の一员として、夸りと喜ぴを持っている。 上海は长江の南侧、支流の黄浦江の西侧に拓かれた街だ。今世纪の初めに黄浦江西侧のバンドと呼ばれる地区は、港湾设备が整备され、その周辺に各国の租界か集中されていた。上海はまた「冒険家の楽园」と呼ぱれ、このバンドは国内だけでなく海外でもよく知られており、観光客が必ず访れる所となっている。バンドは上海?シンポルとも言え、バンドの周辺に立ち并ぷ建物はそれぞれ风格を持ち、「万国の建筑物」と言われる。 バンドの近くから始まり、市中心まで伸びる世界でも有名な南京路がある。东京の银座より人がいっぱいで赈やかである。南京路にある第一百货店は毎日20万人ほどのお客さんを迎え、祝日になると30万人を超えるほどだ。 さらに、夜のバンドと南京路はまた格别だ。ネオンサ?ンがまぷしいほど辉き、日本人は上海の夜景を「五つ星」と绝賛している。 谁にも故郷がある。故郷を离れれぱ离れるほど故郷が恋しくなるのが人情だと思う。上海に帰る回数が増えれぱ増えるほど恋しくなる私の大好きな上海である 私の家族 9 私の家族はたくさんの上海の家族と同じ、幸せな3人家族です。 父、母とかわいい私です。 父は见るのがちょっと厳しいですが 実は日常の生活中に 时々人に笑われることをします。母はふだんにぶつぶつ言うことがありますが 私と父に対して母はいないと 生活ができない人です。 私は 幸せな家庭があって 未来 両亲は私に対して 最重要な人です。 私は父と母を爱しています。 十一黄金周 もう终わったこの十一の节句は私に対して いい休みを过ごしました。1日は亲戚のうちへ游びに行きました、2日は中学校の友达と一绪に歌を歌いました、3日は両亲と一绪に买い物に行きました、4日は日本语の授业をしました、5日の午前中大学のクラスメートと一绪に卓球をして 午后ゴルフをしました、6日はもっと多いクラスメートと一绪にスキーに行きました、8日の学校へ通うことを迎えるために 7日は一日中うちでゆっくり休みまして 本当に充実しました。 「泥雨」 今年の夏に南京では、不思議な「泥雨」は二回があった。不思議な「泥雨」というのは、普通の程度の灰雨ではなく 10 て、生まれて初めて見た、すごく多くの土砂を混じえた雨なのだ。 一回目は夜のことだった。朝、起きてから、ベランダでは、干された洗濯物はみんな斑になっていたのに、多くの南京人がびっくりした。 二回目は、午後のことだった。その日の午後、スーパーへ買い物に行った私は、帰りに、空は急に黄色くなったのに気がつくと、大雨が降り出した。私は道端の店へ急いで、雨宿りできたが、自転車にのる人たちはたいへんひどい目に会った。あっという間にほとんどの人は「縞馬」になってしまった。 翌日の新聞によると、「西部の内マンゴルのほうからの影響だ。」ということだった。なぜかそんなに多くの土砂はここまで運ばれてくることができたのか。ちょっと疑問を抱いた。 八月の末に、大学の「西部考察団」に参加して、西部環境を調べてきた友達にこう言われた。「西部は、もう人間の想像できる限り以上破壊された。」それで、いろいろな写真を見せてくれた。その中に、いくつの写真は土の色を背景として、二三本の木が混ざった広々としたばかりの空き地だった。「二十年前にここは森だったのに、」彼は言った。 11 私は無言だった。答えはここのだ。森林を無闇に乱伐して、砂漠化の拡大を招いたのだ。いや、もっと考えられるのは、その森林破壊は西部にあるだけではないだろう。そうではなければ、なぜかその土砂は遠く東にある南京にまで運ばれたことができたのだろう。それは、森林破壊からの砂漠化の拡大によって、多くのところは不毛の地になってしまい、土砂を混じえた大風は起こされ安くなって、また、一部分の土砂は気流運動に乗って、途中で余り阻止がなっかたから、大きな顔をして、都市まで来られて、「泥雨」に変わったわけだ。 森林破壊はこうした土砂を混じえた「泥雨」をもたらすのであるばかりではない。空気にある二酸化炭素の効率よく循環ができなくなって、地球温暖化をも招くのだ。 現在のような「泥雨」は、今度と来ないように、根本的な対策は森林の保護しかないといっても過言ではないだろう。 これは国を挙げた大問題だから、全国民の努力が必要であろう。いろいろな法律や規則やの制定などに取り組まなければならない。でも、少なくとも、みんなはできるだけ木の代わり品を使い、積極的に植樹運動に参加すれば、きっと、早く天然の「自然の雨」が迎えられるだろう。 中国の学校教育から、考えていくこと 12 「中国新聞社」によると、今年の,月、夕飯の後、ちょっとテレビを見たいが、母親に止められて?、又今学期ではクラスの前から,,番以内に入ってくれ、と強く要求された徐力という中学生は、母親との口論?中に、ハンマーを持ってきて、母親を殴り殺したそうだ。 又、,月、八歳の王(北京)という小学生は、宿題を済まさずに、うそついたという原因で、母親に何時間もたたかれて、腎臓衰弱になったそうだ。 このような問題にたいして、誰でも平気で見ていられない?だろう。もっと考えると、問題は「点数」を中心とする教育にあるではないだろうか。中国の教育制度について、反省しなければならないだろう。 というのは、中国の教育制度は、「試験制」を土台として作られて、ただ点数の高い人が大学に入れるというシステムだから、学生たちは、大学に入るために、子どもの時から、先生や親たちに「おまえ、死にもの狂いにがんばなきゃ、大学に入れないぞ。」など?、耳にたこができるほど、( よく )?言われたりして、勉強に厭きるのは当然だろう。 教育の問題は、現在、上は国家から、下は地方まで、たいへん重視され、多額の資金が導入されているのである。国家統計機構によると、現在から、,,,,年までに、我 13 が国の大学入学率は,,から,,,に上がる見 込みだそうだが、人口が,,億に超えた発展中の中国にとって、確かに、目立つ進歩と言えなければならない。 しかし、中国の国情に「お粥が少ないが、御坊さんが多い」?という点があるので、いくら国家?地方、社会から、教育に資金を投入しても、限度がある。また、多くの学生にとっては、大学なんて、ただ夢としか見えないだろう。 したがって、別の方法を考えなければならない。キャンパスが狭い、先生が足りないとか、学校の容量はもう満杯になっている。それは確かに今存在してしる?事実である。でも、もう二つの事実がある。それは、今年の統計によると、中国の都市における住民の電話所有率は,,,に超えたし、農村でも,,,に近いそうである。もう一つ、中国の?ンターネット使用料金はどんどん安くなっているし、?ンターネットのユーザーもぐんぐん伸びる一方だ。ということである、これらのことを考えると、中国で、?ンターネットで、ネット大学を実施するのが可能と言えるだろう、いや、必要があるのだろう。 政府と有名な大学によって、ネット大学を創立し、一定の点数を取った人に国家認可の学歴を配るのである。学生は自分の能力によって、自由に勉強する。E-mailとか、ICQとか、テレビ会議などで先生やほかの学生と交流する。も 14 ちろん、定期的に実際会って、コミニケーションしてもいい。 こんなことができたら、少なくとも、いまの「千軍万馬が丸木橋を渡る」?に圧力を緩めるということであろう。また、身体障害者に福音をもたらすといえるのであろう。 ネット大学のシステムの設定?管理のために、いろいろな方面も考えなければいけないことは言うまでもない。みんなで、一緒に努力すれば、できるであろう。 人間とは何か 東西の人間観 人間とは、一般には人界に住むもの、すなわち動物および神と区別する語である。??ヌ語で「??ヌ」とは人間のことであり、他民族との接触がないなかで、自らを「??ヌ,人間」と呼んだのも自然なことである。古今東西にわたり、「人間とは何か」については古来多くの思想家が論じた。そこでは、人間が動物の一種であり、直立二足歩行し、道具を操ることは自明の事実であり、それ以上の特性をもって「人間とは何か」を規定しようとしたのである。 東西の人間観 【 西洋の人間観 】 古代ギリシャでは人間の特徴を理性に求めたが、その代表者はソクラテス、プラトン、?リストテレスである。ス?? 15 ーデンの生物学者リンネ(1707,78)が人類をホモ-サピ?ンス(賢明な人間)と名付けたのも、ギリシャ思想を受け継いだヨーロッパでは、言葉を操り、論理的に思考する能力を持った存在としての人間という見方があったからである。 「知は力なり」と自然の因果関係を正しい知識でとらえるとき、技術を生み、自然を支配し人類の幸福が増進されると主張したベーコン(1561,1626)や、「人間は考える葦である」として、思考の優越性を説いたパスカル(1627,62)など、この人間が自然界の主人であるという対自然の考え方が、ルネサンスを経て産業革命というヨーロッパの近代につながっていったのである。 それ以外にも、道具を作り操ることに観点をおいた「工作人」、言葉に求めた「言語人」、宗教に求めた「宗教人」、根元的な生の営みを遊びにとらえた「遊戯人」などの緒論があるが、いずれも人間の特性の一面を物語っている。 しかし、人間は飢餓や戦争といった極限状態になると、人肉も食べ、殺戮も平気で行う利己的な存在であり、「人間ほど残忍な動物はいない」とも言われる。人間は「食肉類の特性をもつ霊長類」とも言えるのである。 【 ?ンドの人間観 】 古代文明の発祥の地、?ンド、中国でも、「人間とは何か」 16 について多くの思索が行われた。古代?ンドのバラモン教の聖典を「ベーダ」と言うが、その解釈の中から自然と人間の考察が深められ、「?パニシャッド(奥義書)」が作り出された。「?パニシャッド」で確立された業?輪廻転生?解脱の思想は、?ンドの思想?文化の中核となったばかりか、仏教とともに?ジ?諸民族に深く広い影響を与えている。?ンドのヒンド?ー教もバラモン教の教義に土着の民間信仰を吸収して大きく変貌したものを指している。そして、ベーダの神々の中には、帝釈天や弁才天のように日本で今日でも崇拝されているものもある。 古代?ンドの考え方は、「人間は苦なる存在」ととらえる点にあり、それを前世で行った行為(,カルマ、業)ととらえるバラモン教、いろいろな欲望に執着する心(,煩悩)と考える仏教という違いがあるが、宇宙 の普遍的な真理,バラモン教では「ブラフマン(梵)」、仏教では「ダルマ(法)」,を悟ることで苦から解放されるとする点は共通である。 つまり、人間を「知情意」を持つ存在と言うなら、「人間とは何か」について「知,理性」に求め、自然の因果関係を知り技術の発展させることに人間の幸せを求めた西洋と、「情意」の世界に求め、「知」ではなく自然の因果関係を悟り(,解脱)、自然と一体化すること(,梵我一如) 17 で人間の幸せを求めた?ンドという違いが浮き上がってくる。 【 中国の人間観 】 古代中国についてみれば、それは「天」の思想に行き着く。この「天」 とは自然界の秩序や法則であり、やがて人の心に内在する道徳を意味するようになる。これをはっきりさせたのは孔子である。その後、孟子の性善説、荀子の性悪説という議論を生むが、人間の心に備わる善への可能性を否定したものではない。孔子後で言えば、無差別平等の兼愛を説いた墨子、無為自然、この世のものは差別なくすべて等しい価値を持つ(,万物斉同)と説いた老子?荘子であろう。 しかし、共通するのは、「天,大自然の秩序?法則」ととらえ、その「天命」に従うことが人間の幸せになるとする点にある。それは、個人の「仁」や「礼」の実践と、民を救う道(,経世済民)を君主による徳治政治に求めた孔子にも、我欲を捨て、自然と一体化した生き方(,道)を追求した老子?荘子(道家)にも共通していたのである。この老荘思想は仏教の思想と共通した発想があり、それが中国人が仏教を受け入れる精神的土壌を作ったとも言える。それ以外にも春秋?戦国時代(繕,世紀,前世紀)には、法家(韓非子)、兵家(孫子)など諸子百家と言われる様 18 々な思想家を生む。 ?ンドに比べて現実を見つめる現世主義が濃厚である。祖先の霊は子孫が供養すれば、子孫に幸福を与えるという信仰はあったが、前世?来世という考えは仏教伝来まで生まれていない。なお、中国の「礼」の思想は祖先のWww.CSpeNgbO.com 蓬勃范文网:我喜欢的季节日语作文)霊を供養する儀式から生まれたと言われている。 人間とヒューマニズム 【 社会的動物としての人間 】 個体としての人間は弱い。しかし、実際の人間は決してか弱い存在ではなく、武器や火の使用や集団で獲物を追いつめる知恵や罠など、人間は多くの動物たちにとって脅威であった。 それは、人間は家族を基本単位としながらも、他者と共同して社会を作り、集団として行動する習性を備えていたからである。また、共同行動のための言語を発達させ、人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果、すなわち文化を次世代に受け継がせることができる唯一の種だったからである。これが、「人間は社会的動物である」と言われる由縁である。 文字の有無によって人間の社会は未開と文明に分けられてきたが、文字もまた、口承では伝えきれない多くの情 19 報を次世代に伝える道具の一つである。人間は人間の作った社会のなかで育ち、生きるための言語や技能を習得し、その社会特有の形で教育を受ける。人間は一定の社会に適応する価値観をもつように期待され、生活も社会の文化の影響を受け、着衣も強制される。つまり、社会とは、そこを離れて人間は生きていけない「人間的自然」なのである。 【 人間とヒューマニズム 】 人間ほど残忍で利己的な動物はいないといわれながらも、他方で、社会的動物である人間は、日常的に他人に尽くし、弱者を扶助し愛護するなど利他的にも行動することができる唯一の動物である。多くの動物では老いて生殖能力のないものは死んでいくが、子供や老人は社会の庇護により生存し、老人の知恵と経験をその社会に十分に生かすこともできる。そこにヒューマニズムの根源の姿をみいだすことができる。 ヒューマニズムは個体としての人間が生まれながらに備えた資質ではなく、人間社会がもつ相互扶助の本質から生まれたものなのである。ヒューマニズムを一言で言えば、「認め合い?助け合い?分け合う」心であり、人間の共同社会が生み出したかけがえのない文化である。?ンドの狼に育てられた少女の例を挙げるまでもなく、狼の育てられた人間の子は、狼の野生のまま育つのである。 20 ところが、私たちが住む現代社会よりも、現代人が「未開部族」とさげすむ部族社会の方が、今でもはるかに助け合い、分け合う社会であり、病者をいたわり、老人を尊敬し、また感情豊かに、自然と共生しながら生活している事実は何を意味しているのだろうか。私たちが豊かな消費生活を手に入れる反面で、また多くの心の豊かさを失ったことを、今もう一度、思い起こす必要があるだろう。文化の豊かさは、物質面の豊かさからだけ測ることはできないのである。 例えば、日本には、古来、神社のお祭りに使われる「ひょっとこ」の面があるが、面の顔かたちでわかるように知恵遅れの男を表している。この「ひょっとこ」の語源は「ひおとこ(火男)」であり、当時の原始社会 21
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