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日本国家概况(第一篇日本地理)

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日本国家概况(第一篇日本地理)bbs.ribenyu.net日语论坛资料免费下载 NHK天声人语 日语猜谜 就来日本语家园 www.ribenyu.cn 日本の位置と面積 第一節 位置と国土 日本はアジア大陸の東側に南北3,000kmにわたって、弧状に位置している島国である。日本の東と南西には太平洋があり、アジア大陸と日本の間には、オホ―ツク海と日本海と東中国海がある。 日本は日本海と東中国海を隔てて、中国、韓国、北朝鮮と向い合い、東は広い太平洋を隔てて、アメリカ大陸と相対している。北にはオホ―ツク海を隔てて、ロシアのシベリアがあり、南には太平洋を...
日本国家概况(第一篇日本地理)
bbs.ribenyu.net日语论坛资料免费下载 NHK天声人语 日语猜谜 就来日本语家园 www.ribenyu.cn 日本の位置と面積 第一節 位置と国土 日本はアジア大陸の東側に南北3,000kmにわたって、弧状に位置している島国である。日本の東と南西には太平洋があり、アジア大陸と日本の間には、オホ―ツク海と日本海と東中国海がある。 日本は日本海と東中国海を隔てて、中国、韓国、北朝鮮と向い合い、東は広い太平洋を隔てて、アメリカ大陸と相対している。北にはオホ―ツク海を隔てて、ロシアのシベリアがあり、南には太平洋を隔てて、フィリピンやインドネシアなどの国々がある。特に、朝鮮半島とは対馬海峡で、また樺太(サハリン)とは宗谷海峡で接しており、大陸や近隣の島々と極めて近い位置にある。こうした地理的条件は、大陸からの人間や文化の移動を容易にし、日本という国家の形成に大きな役割を果たした。 日本と中国は「一衣帯水」の隣国であり、上海から九州の長崎まで約460海里、台湾省から日本の南西諸島の南端までは、約60海里しか離れていない。 日本は東経約123度(沖縄県の与那国島)から154度(東京都の南鳥島)、北緯約20度半(東京都の沖の鳥島)から45度半(北方領土の択捉島)の間にあり、首都東京は東経140度、北緯36度にある。 日本の国土は本州・北海道・九州・四国の四つの大きな島ほか、散在する4,000弱の島からなっている。これらは日本列島と総称されている。 国土の面積は約37万8,000km2である。北海道は本州の北にあり、九州は本州の南西にあって、四国は本州の南にある。その中で、本州の面積が一番大きく、全国面積の61%を占めている。ついで、北海道は22%、九州(沖縄県を含む)は12%、四国は5%をそれぞれ占めている。 日本の国土は、北から北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄の九つの地方に分けられる。これらの地方区分は地形などの自然的特性と地域の産業や歴史的変遷を基礎にして分けられたもので、行政上の地方区分ではない。 行政上では、日本は1都(東京都)、1道(北海道)、2府(大阪府、京都府)、43県に分けられている。東北地方と関東地方には県が十二あり、中部地方には九つの県があり、近畿地方と中国地方には県が十、四国地方には県が四つ、九州地方には県が七つある。沖縄地方は沖縄県一つである。日本の都、道、府、県にはそれぞれ都庁、道庁、府庁、県庁が設けられ、その下に 市、町、村、などの順序で行政機構が設けられている。 日本の47の行政区域の中で、面積が一番広いのは北海道で、東京都の37倍もあり、一番狭いのは大阪府で、北海道の45分の1しかない。 練習問題 次の質問に答えなさい。  1、日本海はどこにありますか。 2、日本はアジア大陸の東にありますか、西にありますか。 3、オホーツク海は日本海の南にありますか、北にありますか。 4、太平洋は日本の東にありますか、北にありますか。 5、沖縄はどこにありますか。 6、日本の広さはどのぐらいですか。 7、日本で一番大きい島はどこですか。 8、日本には二音の県がいくつありますか。  9、日本には大きな島がいくつありますか。 10、日本の国土は、北から南まで九つの地方に分けられ   ますが、その地方の名前を言いなさい。 二、次の文の(  )に当て嵌まる数字や言葉を書き入れなさい。   本州の面積が全国面積の(   )を占めており、北海道は  (  )、九州及び沖縄は(  )、四国は(  )をそれぞ  れ占めている。日本の都、道、府、県にはそれぞれ( )庁、  ( )庁、( )庁、( )庁が設けられ、その下に( )、( )、  ( )などの順序で行政機構が設けられている。 日本の人口と気候 第一節 総人口と大都市 日本の総人口は約1億2.692万人(2000年)であり、これは中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、ロシア、パキスタン、オランダに次いで世界第9位である。 日本の人口は、江戸時代のおよそ250年間は約3千万人で、大きな変化はなかった。明治維新以後、産業が発達し、人々の働く場所が増えるにつれて人口も増加した。第二次世界大戦で一時減少したが、戦後再び増加し、明治から100年ほどのうちに約3倍に増加した。そのうえ、毎年およそ100万人ほど増えている。近年は、医学などの進歩によって死亡率は低くなったが、家族計画の浸透、女性の晩婚化や出産に対する意識の変化などで出生率がそれ以上に低くなったので、人口全体としての増加率は下がっている。 人口の分布は、温暖で交通・産業の発達した太平洋側沿いの平野に多く、本州の南関東から北九州にかけて人口の70%が集まっている。 日本の総人口は2000年で世界第九位であり、最近の人口推計によると、日本の人口は2007年前後にピークに到達するが、その後は本格的に減少を開始するとされている。日本は人口の割に国土が狭いため、世界の中でも人口密度の高い国として知られる。人口密度は1km2に住んでいる人数のことで、日本全体の人口密度は337人(1995年)であるが、国土全体が山がちな地形のため、実質的にはかなり高密度な状態にあると言える。日本では、人口密度が一番高い所は東京都で、5,410人である。次は大阪府の4,614人、その次は神奈川県の3,377人である。 日本で一番人口密度が低い所は、北海道で72人である。次は、岩手県の93人、次は秋田県の105人、次は高知県と島根県の115人である。人口密度が高すぎる所を過密、低すぎる所を過疎という。工業の発展に伴って人口が都市に集中し、農村では著しく減少した。今、日本では過密と過疎が進んでいる。 今、日本では子供の数が少なくなって、年寄りの数が多くなっている。これを人口の高齢化という。日本はすでに1970年に高齢化社会に入っていたことになる。2000年に65歳以上の人の数は、総人口の13%であったが、予測では2010年に20%になって、人口の高齢化が今より進む。 日本人は世界で一番寿命が長い国民である。2000年に日本人の平均寿命は、男が77.6歳、女が84.6歳であった。高齢化が進む現在、2020年ごろには、4人に1人が老年人口になると予想されており、世界一の超高齢国になるとみられている。高齢化社会では、高年齢者の再就職の促進や労働能力の活用、心身の健康保持と体力の増加など、福祉の増進をはかる必要がある。また、寝たきり老人や1人暮らしの老人などのように、社会的な援助を必要とする老人の対策も不可欠である。 地形的な制約と経済活動の状況から、人口の分布は全国均一ではない。工業化に伴う人口移動の結果、とりわけ関東平野・大阪平野・濃尾平野を中心に人口が分布し、東京・大阪・名古屋の三大都市圏への人口集中が著しい。とくに東京圏への人口集中率は高く、1現在、東京圏の人口は3216万人で、東京50km圏内の人口だけで、全人口の1/4近くを占める。こうした人口の過密から大都市圏は地価の高騰、住宅の不足、交通事情の悪化、ごみ処理問題など、深刻な問題を抱えている。 現在、日本には人口100万以上の大都市が13ある。北から、札幌、仙台、埼玉、東京、横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡、北九州である。そのほか、5万人以上の市が約660ぐらいある。 横浜は日本で2番目に大きい都市であり、人口は327万人ぐらいである。3番目に大きい都市は大阪で、人口は248万人ぐらいである。名古屋は日本で4番目に大きい町で、本州の真中にある。札幌は北海道にあり、福岡と北九州市は九州にある。 東京は日本の首都である。人口は約1,100万であり、日本で一番大きな都市である。日本の人口の約十分の一の人が東京に住んでいる。東京都には23区と27の市がある。東京の周りには、大きい市が沢山ある。八王子市、立川市、横浜市、川崎市、大宮市、浦和市、千葉市、船橋市などであり、ここを首都圏という。首都圏というのは、首都とその周りの所という意味である。 東京は日本の政治、経済、文化の中心地であり、ここには金融・製造業などの大企業の本社や、政治・行政機関、全国的な団体や組織の本部や大学などが集中しており、それらに隣接してホテル・デパート・旅行代理店・飲食娯楽施設などが多数立地している。ここへ毎日沢山の人が電車やバスで通勤や通学をして、通勤や通学に1時間以上かかる人が多い。東京では、昼間は人口密度が多くなり、東京の中心の千代田区では昼間の人口が夜の人口の20倍になる。 最近では東京の住宅地はだんだん郊外に広がっている。郊外に移る人々が多くなり、都心の夜間人口の減少が目立ち、いわゆるドーナツ現象が起こってきた。東京の郊外で、多くの衛星都市や住宅団地が発達し、東京と強く結びついた大都市圏をつくっている。東京を日本の政治、経済、文化の中心として相応しいように整えるために、周りの地方を合せて、全体としての発展をはからなければならない。そのため、首都圏整備法という法律が作られ、それに基づいて東京を中心とする広い範囲の整備計画が進められている。それは東京、埼玉、千葉、神奈川、茨城、栃木、群馬、山梨の1都7県を含んだ地域を首都圏と定め、その中に、緑地帯、住宅都市、工業都市を指定し、中心部の人口や産業を分散させようとするもので、官庁や大学を都外へ移転することも考えられ、研究学園都市や都市開発地域の建設に重点が置かれている。 第二節 日本の気候 日本は中緯度地帯に位置するため、全体的に見ると気温が温暖で、四季の区別がはっきりしている。しかし、列島の北端から南端まで3000kmあるので、地域によって気温の差が大きい。例えば、北海道の稚内では年平均温度は6.2度であるのに、奄美大島の名瀬では年平均温度は21.1度である。 また、日本はアジア大陸の東岸にあって、季節風帯にあるうえ、周囲が海に囲まれているので、夏も冬も季節風が雨や雪を降らせる。このため日本の気候は多雨多湿である。年平均雨量は、九州が2050mm、四国が2030mm、本州が1700mm、北海道が1060mmで、雨量が最も多い紀伊半島のあたりは4000mmに達する地域もある。  春になると、移動性高気圧と温帯低気圧が交互に日本列島を通過する。大陸から日本海に発達した低気圧が進んでくると、激しい南風が吹き、日本海側ではフェ-ン現象が見られることがある。高温多湿な小笠原気団と、冷涼湿潤なオホ-ツク気団との間に、東西に伸びる梅雨前線が日本列島南岸に停滞すると、梅雨の季節である。夏至を含む季節であるにもかかわらず、とくに西日本を中心に降水をもたらすので、日照時間は短くなる。梅雨には高温多湿な日が続き、日本の特徴的な季節となっている。小笠原気団がほぼ日本全土を支配すると、梅雨明けである。晴天が続くが、湿度が高いので、熱帯地域以上に寝苦しい夜となることが多い。夏の終わりから秋にかけては、台風が到来する。この時期は台風の襲来だけでなく、発達しはじめた揚子江気団と、小笠原気団との間にできる秋雨前線により、比較的雨が続くことが多く、秋霖の季節と呼ばれている。この時期が過ぎると、移動性高気圧と温帯低気圧が交互に日本を通過し、比較的天気に恵まれ、秋晴れの季節となる。そして、寒冷なシベリア気団から季節風が吹き出すと、もう冬の訪れである。シベリア気団の勢力が衰えるまで、春は来ない。 このように、気温が温暖なこと、地域によって気温の差が大きいこと、雨量が多いこと、四季の移り変わりがはっきりしていることなどが日本の気候の主な特色である。 日本の気候は地域によってかなり違っている。その原因をまとめてみると、次のようである。 日本の国土は南北に細長いので、南と北では気候がかなり違っている。渡島半島を除いた北海道は亜寒帯性気候(月平均気温零度以下が四ヶ月以上)に属するが、奄美大島以南の南西諸島は亜熱帯性気候(年平均気温が20度以上)に属する。そして、その中間にある渡島半島、本州、四国、九州はみな温帯性気候(年平均気温が20度以下)に属する。このように、気温を中心にして分けると、日本の大部分の地方は温帯性気候であるが、南には亜熱帯性気候の所があり、また、北には亜寒帯性気候の所もある。 日本は季節風帯にあるため、季節風も日本の気候に大きな影響を与えている。冬は北西の冷たい季節風が強く吹き、夏は南東の季節風が吹いて、暖かい湿った空気を運んでくる。このため、太平洋岸では夏季に雨量が多く、日本海岸では冬季に深雪となる。 日本は高い山々が背骨のように列島の中央部を貫いている。このような地形も日本の気候に大きな影響を与えている。中央部の山地を境にして、太平洋側と日本海側とでは気候がずいぶん違う。太平洋側は夏に雨の日が多く、冬は乾いた風が吹き、晴れた寒い日が続く。これに対して、日本海側では夏にはわりあい晴天の日が続くが、冬は雪や雨の日が多く、曇った日が続く。 日本の気候はまた、大いに海流に影響されている。南方からの暖流は、北方からの寒流を弱めて日本を暖かくするし、また北方からの寒流は、日本の東北部を寒くする。その結果、海岸地帯と海から離れた内陸の盆地とでは気候が違っている。 以上のような原因によって、日本の気候は大きく太平洋式気候と日本海式気候に分けられる。この二大区分を前提として、日本をいくつかの気候区に分けることができる。 太平洋沿岸気候区は、夏は雨が多く、冬は乾燥する。日本海沿岸気候区は、一般に夏はわりあい雨が少なく、冬は雪が多い。北海道気候区は、冬が長く、日本海側に雪も多く、気温は低い。南西諸島気候区は、一年中気温が高く、しかも台風による雨が多い。瀬戸内気候区は、冬も温暖で年中雨が少なく、晴れた日が多い。中部高地気候区は、夏と冬の気温の差が大きく、降水量が少ない。 気候は産業や生活に大きな影響を与えている。夏は高温になるので、稲作が行われ、そのあとに、涼しい気候に適する小麦が作られる。東北では冷帯性のりんごやジャガイモが、西南では温帯性のみかんや茶が収穫される。日本人は複雑な気候の特色をよく知り、それぞれの土地の気候に応じて工夫をするなど、知恵と努力を積み重ねて、自分の生活を築いてきたのである。 第三節 季節風・梅雨・台風 日本では、夏には太平洋から南東の風が、冬にはアジア大陸から北西の風が吹く。これは毎年同じ季節に吹く風で、季節風(モンス-ン)という。 夏の季節風も冬の季節風も海から吹いてくるので、水分が多い。それで、夏は太平洋側で南東の季節風が吹いて蒸し暑く、雨が沢山降り、冬は日本海側で大陸方面からの北西の季節風によって雪が沢山降る。しかし、本州の中央に高い山があるので、日本海側で雪が降る時は、太平洋側では、乾燥した晴天が続く。 日本海側では冬、雪が沢山降り、新潟県のある所では、一晩中3-4mにも達する所がある。東京でも時々雪が降るが、大雪にはならない。 日本には、季節風の影響をあまり受けない地方もあり、瀬戸内海の沿岸の地方や、本州の中央の高地などである。 日本の気候に大きな変化を与えるものに、梅雨と台風がある。日本や朝鮮半島の南部、中国大陸の中部や南部・東南アジアなどでは、毎年六月上旬から七月中旬にかけて高温・多湿の雨季になる。日本では、このころを「つゆ」とか「梅雨」という。つゆには毎日雨が降る。雨が降らない日にもあまりいい天気にはならない。 梅雨は西南日本に強く、東北へ行くほど弱くなり、北海道には梅雨はほとんどない。梅雨の雨は田植えや水力発電に大変役立つ。しかし、西南日本では、梅雨の雨が少ないと、田植えに困り、多すぎると麦刈りに困る。また、東北地方では、梅雨の時に冷害が起こりやすい。梅雨になると、家の中は湿っぽくなり、かびが生えてうっとうしい。 梅雨の活動は、年によって大変違う。雨が降らない空梅雨の年もあるし、毎日毎日雨が降ることもある。また、集中豪雨になることもある。 日本では、毎年8月から10月にかけて台風が多く来る。台風は南の海で発生した熱帯性低気圧がだんだん発達したものである。 台風の進路は、たいてい決まっている。南の海で発生し、北に向かって進み、沖縄や南九州、南四国に上陸し、本州の上空に来る。台風は年によって大変違うが、平均一年に27個発生し、3個上陸する。 台風が通る時は、大風が吹いたり、大雨が降ったりする。台風は海上を発達しながら進んで来るので、上陸する時は大変力が強い。上陸した所では、大きい被害が出ることがある。また、台風が日本の近海を通る時にも、その影響で暴風雨になることもある。それによって、川が氾濫し、田畑が流されたり、橋や建築物が破壊されることもある。台風のころはちょうど稲の開花~結実期にあたるので、農家の心配も大きい。しかしながら、台風時の大雨は水資源を豊かにする。 自然災害 日本は地盤が不安定であり、気候の変化が激しいため、世界の中でも自然災害が多い国である。その自然災害の種類がいくつもある。 火山の爆発:日本は火山の多い国であるので、火山の爆発も多く、時には災害となる。1888年には東北地方の盤梯山の爆発は山北の部落を埋めて、500人の命を奪い取ったことがある。1965年には浅間山が400回も爆発して、多くの被害者が出てきた。1977年には北海道の有珠山が爆発し、周囲の農作物に大きな被害を与え、2000年3月31日再び噴火した。また、1979年の阿蘇山の爆発では死者三人を出した。 津波:地震や海底火山の爆発は、時には津波を起こして、被害を与えることもある。とくに、三陸のリアス式海岸では、たびたび津波の害を受ける。 風水害:台風による風水害は日本にとってとくに大きな災害である。中でも近畿地方を襲った室戸台風(1934)、関東地方を襲ったカスリン台風(1947)、愛知県を襲った伊勢湾台風(1959)などは多くの人命を奪い、耕地、家屋や交通路に大きな被害を与えた。 地震:日本は地震が多く、地震国として有名である。地震が起こる原因には、火山の爆発によるものと、地殻の変動によるものとがあるが、日本列島が環太平洋火山帯にあるので、火山活動も活発で、地殻の変動も多く、地震も多いのである。 日本では、地震は毎日のように起こっているが、その大部分は人間の身体に感じないものである。大地震は一般に太平洋側に多く、1923年の関東大震災、1946年の南海地震、1952年の十勝沖地震などはその例である。中でも、関東大震災の被害は大きく、死者9万人、負傷者10万人、破壊焼失家屋は68万戸におよんだ。 1995年1月17日の早朝、強い地震が阪神地方で起こった。震源地は淡路島の北で、神戸市、西宮市、芦屋市、淡路島が特に大きな被害を受けた。これは活断層の動きによって起きた都市直下型の地震であり、マグニチュード7.2、震度7という今までにない大きな揺れの地震であった。この地震で、電気・水道・ガスなどのライフラインもほとんど壊れ、高速道路や新幹線も使えなくなった。建物が地震で壊れただけでなく、その後で火事も発生したが、水道が壊れたり、道路が壊れたりして消火ができず、救助が遅れ、被害が広がった。この地震で死者は6,300人にもなった。 このように大きな地震では、災害地の役所や病院も被害を受け、そこで働く人も被害者であったり、情報システムも壊れたりして混乱し、政府に情報が届くのも遅れて、対応が遅くなってしまった。しかし、被害者は水や食糧を分け合って、落ち着いて行動し、大きな犯罪は起きなかった。 自然災害に対して、日本人は長い間に色々な努力を重ね、その被害を最小限に食い止めようとしてきた。防潮堤や防風林を造ったり、河道の改修や分流工事、ダム建設、稲の品種改良を行ったりするなど、様々な対策を立ててきた。さらに最近では、天気予報や洪水予報、地震や火山爆発の予知についても科学的な研究が進められ、災害の防止に大きく役立つようになった。また地震に対して強い建築材料や建築技術も開発されるようになったので、耐震性の強い高層建築も可能になった。   政府は毎年の9月1日を国の防災日を決め、この日には、全工区の公的機関によって防災訓練が行われる。 練習問題 次の質問に答えなさい。  1、日本の総人口はどれぐらいですか。 2、人口密度は何ですか。 3、日本全体の人口密度は何人ですか。 4、日本で一番人口密度が高いのはどこですか。 5、日本で一番人口密度が低いのはどこですか。 6、人口密度が高すぎる所を、低すぎる所を何と言いますか。 7、予測では、2010年に日本の65歳以上の人は人口の何パ-セントになりますか。 8、東京の人口はどのぐらいですか。 9、東京には区がいくつありますか。 10、日本には人口100万以上の大都市がいくつありますか。 11、横浜市や川崎市は何県にありますか。 12、首都とその周りの所を何と言いますか。 13、日本の気候の主な特色は何ですか。 14、日本の気候区はどのように分けられますか。 15、日本海側と太平洋側では気候がどう違いますか。 16、季節風というのは何ですか。 17、日本では降雪量の多い所はどこですか。 18、日本では雨季のことを何と言いますか。 19、梅雨のときには、どんな天気が続きますか。 20、梅雨のない所はどこですか。 21、台風というのは何ですか。 22、台風が何月から何月にかけて多く来ますか。 23、台風が通るとき、天気はどうなりますか。 第三章 日本列島 日本の地形 今から数十万年前には、日本列島はアジア大陸の一部であった。その後、太平洋の周りで火山活動が盛んになり、富士山やそのほかの山がたくさんできた。また、日本と朝鮮半島の間も海になり、日本は島になった。こうして日本列島は太平洋や日本海などの海に囲まれ、大陸とは浅い大陸棚で接している。日本と大陸との間にある日本海は深さが200m以下の浅い海である。しかし、太平洋側には非常に深い日本海溝や伊豆小笠原海溝があり、深さが6,000mから10,000mもある。 日本列島は、太平洋プレートが、大陸プレートの下に潜り込んでいるところに位置し、方向の異なった五つの島弧からなっている。また変動帯に位置するため、地殻変動が激しく、大地震や火山活動が盛んである。 日本列島は、中部地方を通るフォッサマグナによって東北日本と西南日本に分けられ、西南日本はさらに中央構造線(メディアンライン)によって内帯と外帯に分けられる。西南日本内帯は、一般に侵食の進んだ地形が見られ、準平原が隆起してできた隆起準平原が、吉備高原などに広がっている。また、近畿地方を中心に断層地形も多く、六甲山地(兵庫県)や生駒山地(奈良県・大阪府)などの断層山地や、京都盆地や奈良盆地などの断層盆地が見られる。 西南日本外帯には、内帯と対照的に、壮年期の険しい地形を示す紀伊・四国・九州の諸山地が広がる。これらの山地は一連の山地からなると考えられ、陥没した部分が紀伊水道や豊後水道となっている。そこでは大小のV字谷に海水が侵入したリアス式海岸が発達する。 東北日本は、東北本線が通る低地帯と、石狩―勇払平野を結ぶ低地帯を境に東西に分けられる。西側には奥羽山脈・出羽山地などが南北に連なり多数の火山が分布している。山間部には盆地が広がっている。東側では隆起準平原が見られ、西南日本内帯に似た性質を持っている。北海道では、壮年期の地形を示す日高山脈を除くと、氷河期の気候の影響を残す緩やかな地形の山地が多い。 日本は山が多い国であり、国土の3分の2近くは山地である。 日本列島の真中には背骨のように山が続いている。高い山が続いている所を山脈という。それで、日本列島全体は海の中にそびえている山脈のようである。 日本列島の中央には、3,000m以上の山が沢山そびえている。この山々はドイツとスイスの間にあるアルプスに似ているので、日本アルプスともいう。日本にはいくつかの火山脈が走っているため、地形は変化に富む。川は短く急流で、山あいでは深い峡谷をなし、海岸線は複雑には入り組んでいる。風光明媚な所が多く、温泉地も点在している。  日本の平野はほとんどが堆積平野であり、中でも河川が運搬・堆積して形成した沖積平野が多い。山間部では谷底平野が形成されるが、河岸段丘となっているところもある。川が山地から平坦なところに出ると、そこに扇状地が発達している。日本では山地が海に迫っているため、富山平野のように扇状地しか見られない平野もある。しかし、河川が海や湖に流入する河口では、三角州が見られることが多い。砂が堆積した浅海底には、海退により海岸平野ができる。 日本の山地 日本列島には山地や山脈が多く、日本の全国土面積の約75%を占めており、大きな平野はない。山地・山脈は東北日本では3列に、西南日本では2列に並び、日本列島の中央を背骨のようにつらなって、国土を太平洋側の日本と日本海側の裏日本とに二分している。 東北日本と西南日本の山地が出会う本州の中央部には海抜3000メートル前後の飛騨、木曽、赤石の三山脈が聳えて、日本の屋根(日本アルプス)と呼ばれる高山地帯を形成している。 西南日本を走っている2列の山脈の間には「中央構造線」と呼ばれる断層があり、これによって、西南日本は内帯(日本海側)と外帯(太平洋側)に分けられている。内帯を走る山脈は一般になだらかであるが、外帯を走る山脈は高くて険しい。このように、日本には飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈のように高くて険しい山脈もあれば、北上山地、阿武隈山地、中国山地のように、なだらかな高原状の山地もある。 日本には火山が多く、大小あわせて76もあり、活火山だけでも50あまりある。日本列島は七つの火山帯によってほとんど覆われている。七つの火山帯とは、千島、那須、鳥海、富士、乗鞍、白山、霧島である。火山の中には今でも噴火を続ける阿蘇山、三原山、浅間山などの火山がある。また、火山活動によってできた湖や温泉も沢山あるので、保養地や観光地として利用されている。 日本の山地はほとんど森林に覆われ、木材の産地として重要である。火山の裾野や高原地帯も広い面積を占め、麓には段々畑が開かれている所がある。また、火山の裾野や高原は水の便利さが悪いが、牧場として利用されている所もある。 富士山は日本で一番高い山で、高さが3,776mあり、典型的な円錐形活火山で、美しく広く裾野を持ち、冬には中腹まで雪に覆われ、一層美しさを増す。また、そばに山がないので麓から頂上まで見え、どちらから見ても、ほとんど同じ形である。昔、何度も噴火を繰り返していたが、今は活動を休んでいる。 富士山の北側には、美しい湖が五つあり、その湖を富士五湖という。富士五湖の近くは、林が続いているが、富士山の上には木も草も生えていない。一年中雪がある所もある。一般の人が富士山に登ることができるのは、七月の初めから八月の終わり頃までできる。 阿蘇山は二重式火山である。二重式火山というのは、一度噴火した所が陥没して火口原になり、その中に、また火口ができたものである。阿蘇山の旧火口は三、四万年前にできたものであり、東西18km、南北24kmもある世界で一番大きい火口である。今、この火口原で、多くの人々が農業や牧畜をして生活している。火口原の中をJR(鉄道)線も通っている。日本には国立公園が28あるが、阿蘇山もその中の一つである。 北海道には沢山火山もあるが、その中の一つの有珠山は、1977年に大爆発をした。それより33年前の1944年にも爆発し、その時、少し離れた所に昭和新山が生まれた。ある日、畑だった所が突然高くなり始め、一年の間に、407mの山ができ、これが昭和新山である。これは地の中の溶岩が持ち上がって山になったのであるが、昭和新山のように、山ができる時、はじめからよく見ることができたのは大変珍しいことである。 昭和新山のそばには洞爺湖という美しい湖がある。洞爺湖はカルデラ湖であり、カルデラ湖というのは昔噴火口だった所が湖になったものである。洞爺湖から少し離れた所に登別温泉がある。登別温泉は北海道で一番大きな温泉である。ここには昔噴火口だった所からお湯が噴き出している所がある。 第三節 日本の川と湖 日本は山が多く、海のそばまで山地の所が多いので、川は一般に短い。日本で一番長い川は信濃川であり、長さが367kmである。これは中国の揚子江の15分の1である。 川は中央の山脈を境にして、太平洋と日本海とへ流れている。このため、川は短く急流が多く、雨が降ると、川の水がすぐ溢れて洪水を起こしやすい。しかし、普段は川に水があまりない。                             山地から大量の土砂が河川に供給されるので、河川が小さい割りには運搬する土砂の量が多く、地形の変化が激しい。山地から削られた土砂や岩くずは河川に運ばれ、沖積平野をつくり、また三角州となって海岸を埋め立てている。沖積平野より高く、台地や段丘からなる洪積台地の中には、三角州や扇状地などが隆起してできたものもある。背後に高い山地を抱く大河川の下流域には平野が発達している。 落差の大きい急流は水力発電に適し、灌漑や工業用水や上水道などにもよく利用されて、とくに農業用水の優先的な利用が認められている。川の急流で美しい峡谷を造っているが、交通にはほとんど利用できない。長い川のない日本にはあまり広い平野もない。 湖は山間にあり、水が澄んでいて眺めの良いものが多い。湖の中で一番大きいのは琵琶湖であり、その面積が674km2である。琵琶湖は地盤運動によって断層が生まれ、それが落ち込んでできたものである。また、最も深い湖は田沢湖で、水深423mである。このほか、砂丘・砂州などによって外海と分離してできた潟として、霞ヶ浦168平方キロメートルがある。 日本の湖は主に水上交通、灌漑、発電、工業用水、養魚などに利用されており、景色の良い湖は観光地としても利用されている。 第四節 平地 日本では平地(平野、盆地、台地を含む)は狭く、しかも散在している。その面積は国土の約25%ほどにすぎない。川が海に流れ込むあたりには、たいてい平野ができている。関東平野、石狩平野、新潟平野、濃尾平野などが大きな平野であるが、世界的に見るとごく小さな平野にすぎない。また、平野のほかに山に囲まれた盆地や台地がある。盆地は中央高地や東北地方に多く、台地は関東地方や九州地方などに見られる。 平野や盆地は人々の生活にとって大切な所である。そのため、人口が集まり、農業や工業が行われ、また多くの都市が発達している。最近海岸には人工的平地である埋立地や干拓地が多く造られるようになった。 関東平野は利根川、相模川の流域に発達した日本で一番広い平野である。この平野は利根川の上流から運んできた土や砂でできた平地と少し高い所の台地からできている。この台地の所は火山灰地であり、ここにはあまり水がないので麦やさつまいもなどを作っている。利根川の下流には湖があって、水も豊富なので、ここでは米を作っている。 関東平野の中心の町は東京で、いま都心は官庁や会社のビルが立ち並ぶ所となり、人口が減少し、人々の生活場は、東京の郊外や神奈川、埼玉、千葉の三県に移った。これを人口のドーナツ化現象という。横浜・川崎・八王子・浦和・大宮・千葉などの町は、首都の周りの中核都市になっている。 東京の町は平野に向かって広がるだけでなく、海の方へも広がっている。大規模に東京湾が埋め立てられ、埋立地に公園やベッドタワンや様々な建物が建てられている。東京湾の埋め立ては、江戸時代から行われていたが、埋め立てに大都市のごみを使うようになってから、急速に進み、建設技術の進歩で大規模な臨海地区の開発の時代になった。関東平野の東部には東海村原子力発電所や筑波研究学園都市もある。 石狩平野は石狩川の流域にできた平野で、石狩川は北海道の中央部を曲がりくねって流れている。石狩平野は日本で二番目に広い平野であるが、火山灰地でできているので、農業にはあまり適しない。それで、ここでは牧畜や酪農が盛んである。 北海道ではアイヌ人が魚や動物を捕って生活していた。そこが明治時代の初めに開拓され、札幌はその時にできた町であり、札幌の町には今も開拓当時に建てた旧庁舎などが残っている。そのころできた札幌農学校が後に北海道大学になった。サッポロというのはアイヌ語のサトポロで「乾いた土地」という意味である。北海道にはアイヌ語の地名が沢山ある。 濃尾平野の西部は、木曽川、長良川などの三つの大きな川が合流している所で、梅雨や台風で川の水が多くなると、度々洪水になるが、近年は高い堤防を造って水害もだんだん少なくなった。 濃尾平野の南部の伊勢湾沿岸の地方は、1959年9月の伊勢湾台風の時、5メートルの高潮が堤防をこえて流れ込み、5000人もの人が死んだというひどい被害を受けた。その後、7メートルの堤防が造られ高潮や津波に備えている。 濃尾平野の東部は台地で、水が少なく農業はほとんどできなかった。1961年ここに木曽川から水を引いて長さ112キロメートルの愛知用水ができた。こうして、昔は荒れ地だった濃尾平野の東部も、今では、米作りのほか、野菜作りや養鶏などの盛んな地帯に変わっている。 第五節 海岸のまわり 日本は島国で海に囲まれているので、海岸線が長く、その全長は約3万2000kmもある。 日本の海岸線は出入りが多くて複雑である。特に太平洋岸には、東京湾、伊勢湾、大阪湾などがあり、半島も多く、各地に良港が造られている。 三陸海岸、紀伊半島、四国の西岸や九州の北西岸などは細かい入り江が多く、リアス式海岸となっている。リアス式海岸の入り江は波が静かで、水深も深く、漁港として利用されている所が多い。 日本海岸は太平洋岸に比べると出入りが少なく、鳥取、新潟、秋田付近などには砂丘の多い砂浜海岸が発達している。瀬戸内海や有明海のような内海や河口の三角州などでは、古くから干拓による新田の開発が行われてきた。そのほか、人工的な海岸が多く造られている。 日本の近海には、太平洋側を南から北へ日本海流(黒潮)と呼ばれる暖流が流れ、北から南へは千島海流(親潮)と呼ばれる寒流が流れている。この黒潮と親潮は東北地方の太平洋側の海、三陸沖で交わり、この三陸沖は暖流と寒流の魚が沢山捕れる大変良い漁場になっている。 また、日本海には、暖流の対馬海流と、寒流のリマン海流が流れている。 志摩半島の英虞湾には真珠の養殖場がある。これは御木本幸吉が作った養殖場であり、御木本幸吉は明治の中頃から真珠の養殖を研究し、とうとう養殖に成功した人である。志摩半島の海は暖かく、海水が奇麗で、波が静かなので、真珠の養殖に適して大変良い真珠がとれる。ここで養殖された真珠は世界各国へ輸出されている。 日本海岸には所々に砂丘があり、その中で、鳥取の砂丘は東西16km、南北24kmもある日本一の大砂丘である。 この砂丘は川の上流から海へ運ばれてきた土砂が、冬、海から吹いてくる風で岸に吹き上げられてできたものである。この砂丘は年々大きくなり、付近の田畑を埋めたり、家に損害を与えたりしている。そのため、人々は木を植えて防砂林などを造って砂を防いでいる。 近年、この砂丘は畑にされ、スプリンクラーで水をやって、西瓜、メロン、トマト、チューリップ、桃、梨、葡萄などが作られている。 第六節 植物と動物 日本の気候の地域差は顕著であるので、植物の生態は複雑で多極化している。日本にある約4,500種の植物のうち、約1,000種は日本固有種である。 北海道を含む日本北部には、トドマツなどの針葉樹など、シベリア地域と似通った植物が見られる。日本中央から九州にかけての平地には、クリなどの温帯落葉樹が多い。東北地方から中部山岳地帯ではブナ・カエデなどが広がる。これらの林は5月から6月には美しい新緑に覆われ、秋には山々は色とりどりの紅葉に彩られる。桜は日本人にはことのほか愛され、日本全土で植林されている。 日本は植物相が極めて複雑であるので、動物相も寒帯性動物から熱帯性動物まで極めて多様に発達している。 北海道にはヒグマなどシベリアの動物と同種のものがいる。本州には中国大陸・朝鮮半島と共通した動物が沢山いる。典型的なものはキツネ・タヌキである。また、本州にはシカ・キジなどの固有種がいる。このほかには、高山地帯の鳥で四季に応じて羽根の色を変えるライチョウがいる。かつて本州に生息していた日本オオカミは今は絶滅している。日本には北海道を除くどの地方にも、サルが一種だけ生息している。サルは本来熱帯性の動物で、寒帯には野生していない。しかし、日本ザルは青森県(北緯40度)にも生息しており、これはサルの北限になっている。雪の中で跳ね回る猿が見られるのは日本だけである。 練習問題 一、次の質問に答えなさい。 太平洋の周りには火山活動が盛んな所がありますか。 富士山は火山活動でできた山ですか。 日本海の深さはどのぐらいですか。 日本は国土の何パ-セントぐらいが山地ですか。 日本列島の中央にはどのぐらいの高さの山が続いていますか。 高い山が続いている所を何と言いますか。 日本アルプスはどこにありますか。 日本には温泉がたくさんありますか、それはなぜですか。 富士山の高さは何メ-トルですか。 10、日本には火山が大体いくつありますか。 11、普通の人が富士山に登ることができるのはいつですか。 12、二重式火山というのはどのような火山ですか。  13、昭和新山はいつ、どのようにできたのですか。 14、信濃川の長さはどのぐらいですか。 15、日本の川は短くて流れが急なのはなぜですか。 16、日本で一番大きい平野はどの平野ですか。 17、石狩平野は日本で何番目に広い平野ですか。 18、北海道はいつごろ開拓されましたか。 19、濃尾平野西部はなぜ水害が多かったのですか。 20、日本の海岸線の長さはどのぐらいですか。 21、日本の真珠の養殖場はどこですか。 22、鳥取砂丘はどのようにできたのですか。 23、日本には日本固有種の植物がどのぐらいありますか。 24、日本にはどんな動物がいますか。 第四章  日本の資源 地下資源とエネルギ- 資源とは、人間が生存と生活のために利用する自然の素材のことである。自然の中の何を、何のために資源として使うかは、技術と関係している。例えば、電気エネルギーは、自然には雷のような形で現れるが、その形では人間には利用できない。人間は人工的に電気エネルギーをつくり出す技術を発達させてきた。その結果、水力は、電力のための資源という新しい性格を持つようになった。また、最近のセラミック技術によって、砂は新素材の原料という新たな資源機能を持つようになっている。 資源は多用な内容を持っている。一つの区分として、自然の営みをそのまま利用するもの(空気、水、動植物など)、工業製品の原材料のように加高度を高くして利用するもの、人工的にエネルギーをつくり出し材料となるものに、分けられる。資源問題・エネルギー問題という言い方に見られるように、エネルギーは一応資源と区別される。そして、人工的にエネルギーをつくり出すには、資源が必要である。だから、エネルギーも資源にほかならない。 もう一つの区分は、循環的かどうかである。石油のように自然の長い歴史がつくってくれて大量に地中に蓄えられてきた資源も、使い切ってしまえばなくなる。このような資源を、非循環的資源という。石油のほかにも、石炭も天然ガスも、核燃料としてのウラン鉱も、もっぱら原材料として使用される多くの金属鉱物もそうである。 これに対して、太陽エネルギーに基づいて発生するエネルギー(太陽熱、太陽光、光合成、風力、水力、波力潮流)や、潮汐、地熱などは自然の営みが循環的に供給してくれるもので、循環的資源と呼ぶ。植物、魚類、動物も循環的資源であり、食糧や原材料として使われる。 現代の資源問題の代表は石油である。石油は資源として、工業原料として、またエネルギー源としてもそれぞれ多用な用途を持っている。また、現代生活のすみずみにまで利用されている最重要資源といえる。 日本の国土は地質が錯綜しているので、地下資源の種類が多い。主な鉱産物は、石炭、金、銅、石油、銀、亜鉛、硫黄、錫、鉄、鉛、硫化鉱、石灰石、粘土、陶土、そのほかの石材、砂利などである。しかし、石灰石、硫黄、石炭などを除くと、いずれも埋蔵量が少ない。今、日本は経済を発展するにつれて利潤の追求が第一に置かれるから、国内資源の開発に多くの金を使うよりも、外国産の地下資源を輸入した方がコストが安くつくということもあって、ほとんどの地下資源は輸入に頼っている。その中、原油と鉄鉱石は99%以上を外国から輸入している。 日本で使われているエネルギー資源には、石油、石炭、水力、原子力などがある。 石炭は、日本の地下資源の中では、わりあい多くとれるものの一つで、近代産業のエネルギー資源として早くから利用され、北九州、山口、常磐、北海道などの炭田が開発された。しかし、1960年代に入ってから、工場を始め、火力発電所や機関車の動力、家庭燃料にも石油が使われるようになり、石炭鉱業は急速に衰えて、今は、ほとんど閉山された。 これに対して、石油の使用料は非常に増えている。これは、石油が石炭にかわって動力や燃料として使われるようになったこと、さらに石油化学工業が盛んになったためである。日本の石油は日本海側の新潟県、秋田県、山形県などでわずかにとれるだけである。 日本は雨量が多く、川の流れが急なので、水力発電に適している。以前、東北地方や中央高地などの山地で電源開発が行われてきたが、近年はますます大規模なダムが建設されるようになった。しかし、工業の急速な発展に伴って、火力発電所も沢山建設されたので、今は、火力発電が多くなっている。 石炭、石油、水力のほかに、最近では原子力の利用が進められ、茨城県東海村の原子力発電所など九ヵ所で発電が行われているが、安全や廃棄物処理などの面で、なお研究を必要としている。計画によると、2000年には、日本のエネルギー消費量の15~20%は原子力発電によってまかなわれるようになると予想されている。 森林資源 日本では、森林の面積が一番広く、全国土面積の約三分の二を占めている。気候が温暖で、雨が多いので、木材の生育に適しており、世界でも指折りの森林国である。また国土が南北に長いため、杉、ひのき、松などの針葉樹から、なら、ぶな、くぬぎなどの広葉樹まで木の種類が多く、日本の山地には約22億m3におよぶ木材資源がある。中でも木曽(長野県)のひのき、吉野(奈良県)、秋田、天竜(長野県)の杉、青森のひばなどは美林として有名である。また、北海道の蝦夷松、椴松はパルプ材として有名である。 日本の森林はその所有者の違いによって、国有林、公有林、私有林に分けることができる。杉やひのきなどの美林やパルプ材を産出する大森林などは、国有林やパルプ会社、大山林地主の私有林になっている所が多い。こういうところでは伐採や運搬の機械化も進んでいる。しかし、私有林所有者の多くは1ヘクタール未満の小山林所有者である。近年、森林の面積は年々減っていたため、人工林を増やすことを重視している。 第三節 水産資源 日本のまわりには暖流と寒流が流れているので、魚の種類も量も大変多い。また、日本の領海の多くは大陸棚で、水深200mぐらいまでのゆるやかな海底で、海藻が生育し、陸地の河川から流れ込む栄養分も豊富なため、魚介類が沢山集まっている。日本はこのようによい条件に恵まれているので、世界でも屈指の豊漁地になっている。日本でとれる魚類にはにしん、鮭、鱒、鱈、たらば蟹などの寒海洋性のものもあれば、鰹、まぐろ、鯛、鰤、秋刀魚、いわしなどの暖海洋性のものもある。 日本は世界一の水産国で、1993年の水あげ量(813万t)は世界の第三位を占めている。日本の漁業のやり方には、遠洋漁業、沖合漁業、沿岸漁業などがある。最近、栽培漁業が盛んになってきた。栽培漁業には、川や湖で魚を育てる内水面養殖と浅い海で魚を育てる海面養殖とがある。 日本は世界でも漁業人口の多い国である。しかし、大部分の漁民は家族だけで漁をする。また、一部分の漁民は農業などほかの仕事を兼業しており、漁業だけで生活している専業漁民は少ない。日本は海岸の出入りが多いので、各地によい漁港ができているが、大きな漁港は太平洋岸に集まっている。特に水あげが多いのは釧路、稚内、八戸、石巻、銚子などである。 日本周辺の大陸棚では海洋開発の一環として石油、天然ガスなどの開発が進められている。また、大洋底でも鉄、コバルト、ニッケル、マンガンなど多種類の金属が発見され、その開発が研究されている。 第四節 公害 公害には、地盤沈下や大気汚染のようにたくさんの原因が重なって起こる都市公害と、ある特定の工場が住民に被害を与える産業公害とがある。日本は、明治維新以来120年余にわたる急速な経済成長の中で、深刻な環境問題を経験してきた。とくに、第二次世界大戦後、重化学工業を中心とする高度経済成長の過程で公害は全国規模で発生し、環境破壊はすさまじい勢いで進行した。 都市公害では、工場・自動車・家庭などによる大気汚染、工場・生活排水などによる河川や海・地下水などの水質汚濁、交通機関や工場・店・建設工事などによる騒音・振動、高層建築や家の建て込みによる日照の低下など、都市特有の公害現象である。また、沖積低地にある都市では、地下水の過剰揚水などにより地盤沈下が起きる。東京の江東区ではこれによって広いゼロメートル地帯ができた。東京・大阪などでは揚水規制をした結果、地盤沈下はほぼ止まったが、規制からもれた周辺の都市で沈下が始まり、東大阪・茨木・浦和・河口などで年間30cmも沈下するところがあった。 近年、大都市の緊急課題となっているものに廃棄物問題がある。事務所・工場・家庭などから出る産業廃棄物や一般廃棄物(ゴミ)は、産業の発展や生活水準の向上によって、大量に、また加速度的に増え続けている。東京都内で発生した廃棄物の約60%が他県で処理されているなど、「越境廃棄物」が地元との摩擦を引き起こしている。廃棄物の中には資源として回収できるものもあることから、福島県いわき市や千葉県松戸市などでは、住民の協力のもとに廃棄ゴミの減量運動を進めている。また、東京都目黒区や世田谷区など、市民が中心となって、ゴミのリサイクル運動を進めているところもある。廃棄物問題には、国政レベルでの抜本的な対策が必要であろう。 産業公害では、銅や亜鉛などの鉱山からの有毒な排水による河川の汚染や精錬に伴う排煙による大気汚染が、足尾(栃木県)、別子(愛媛県)、日立(茨城県)、神通川流域(富山県)などで農作物や住民の健康に著しい被害を与えた。また、水力発電に依存した化学工業の勃興とともに、有機水銀の流出によって水俣湾(熊本県)や阿賀野川(新潟県)を汚染し、そこでとれた魚を食べた人々の多くが健康を害し、死亡する水俣病が発生した。水俣病が発生するとき、手足が痺れ、酷い場合は気が狂って死んでしまう。長い間、病気の原因がはっきりわからず、被害者は苦しい生活を続けていた。その後、この病気は水俣市にある窒素の会社の工場廃水の中にメチル水銀が含まれており、それが魚や貝に入り、それを食べたために起こった水銀中毒だと分かった。 また、イタイイタイ病は、川の上流にある鉱山から出される廃液の中に含まれていたカドミウムが原因で、流域に住む人々の中に手足が痛くなり、骨が簡単に折れる病人が出た。この病気になった人は「痛い、痛い」と言いながら死ぬので、イタイイタイ病と言われるのである。 高度成長に伴う急速な重化学工業化のなかで、製鉄所、製油所、化学工場、火力発電所が集中するコンビナートで大気が汚染され、四日市(三重県)や川崎(神奈川県)で多くの人々が喘息におかされた。四日市には大きな石油コンビナートがあり、そこから出る亜硫酸ガスで空気が非常に汚れた。そのため、沢山の人が喘息になり、死んだり、苦しくて自殺する人も出た。また瀬戸内海や洞海湾(福岡県)などでは工場群からの排水によって海洋が汚染され、、漁業被害が続出した。 こうした地域の環境汚染に対して、各地で住民運動が起き、「公害裁判」が行われ、有害物質を排出した企業の責任が厳しく問われた。また、1967年に公害対策基本法が公布され、工場や自動車が排出する有害物質に対する規制が強化され、企業の公害防止技術も飛躍的に向上し、大気汚染や水質汚染は大幅に改善された。また、特定地域の環境を保全するため1972年には自然環境保全法が公布され、1997年に環境アセスメント法が成立した。 練習問題 一、次の質問に答えなさい。 日本には地下資源の埋蔵量が多いですか。 日本はなぜ外国産の地下資源をたくさん輸入しますか。 日本で使用されているエネルギ-資源にはだいたい何がありますか。 日本の石油は日本海側のどの辺で採れますか。 日本には原子力発電所が今何ヶ所ありますか。 日本では、森林の面積が全国土面積の何パーセントを占めていますか。 日本の漁業のやり方にはだいたい何種ですか。 日本では、水揚の多い漁港はどこですか。 水俣病とイタイイタイ病はどんな病気ですか。 10、水俣病の原因は何ですか。 11、公害には二種類がありますが、それは何と言いますか。 二、次の文の  に当て嵌まる数字や言葉を書き入れなさい。   日本は、ほとんどの地下資源は輸入に頼り、原油と鉄鉱石 は  %以上を外国から輸入している。2000年には、日本 のエネルギー消費量の   %は原子力発電によってまかな われるようになると予想されている。日本は   の水産国 で、大きな漁港は   に集まっている。公害には   公 害と   公害とがある。   病が発生するとき、手足が 痺れ、酷い場合は気が狂って死んでしまう。環境汚染の問題 に対して、1967年に    基本法が公布され、1972年に  は   保全法が公布され、1997年に環境アセスメント法 が成立した。 第五章  日本の交通 第一節 陸上交通 日本では、鉄道や道路には海岸に沿って走る線と日本列島を横切って走る線とがある。工業の発展に伴って、日本の交通輸送量は年々増加しており、その中で陸上交通は重要な役割を果たしている。 日本の鉄道は英国人技師の指導により、1872(明治5)年に東京の新橋と横浜の間に開通したのが最初である。現在、鉄道の全長は2万300kmである。鉄道には国鉄(日本国有鉄道)と私鉄(民営鉄道)があったが、今、国鉄はない。百年の間に組織が大きくなりすぎて経営状態が悪化し、1987年に民営化されてJR(Japan Railway company)になって、六つの旅客と貨物の会社に分割された。 1964年に開通した東海道新幹線は、時速220kmのスピードで、東京・大阪間を3時間で走っている。その後、東海道新幹線は、九州の博多まで行く山陽新幹線に接続した。また、東北新幹線が東京・盛岡間に、上越新幹線が東京・新潟間に開通している。なお、秋田新幹線は1997年3月開業し、北陸新幹線は同年10月開業し、東京・長野間を1時間19分で結んでいる。この35年間に新幹線が走った距離は、延べ地球を約2万周以上した計算になり、利用客も43億人(1995年)を超えており、乗客の死傷事故は一度もなく、世界で最も安全な鉄道と言われている。大雨や強風の時にはゆっくり走るか運転を止め、震度4以上の地震では、列車が止まるようになっている。これは列車にATSという列車自動制御装置がついているためである。また、列車が定められた速度を超えると、正しい速度に戻る装置や信号機・線路などにある色々な設備も一個所で管理するCTCという装置があり、それらによって安全に運転されている。 1988年、本州と北海道の間に青函トンネル(全長53.85kmで世界一長い)、本州と四国の間に瀬戸大橋が相次いで開通し、本州と九州の間の関門トンネルを加えて、日本の主要な四島が鉄道で直接結ばれた。そのほか、東京・大阪・福岡・神戸・京都・名古屋・横浜・仙台・札幌などの大都市では、都市と郊外を結ぶ通勤用鉄道や地下鉄網も整備されている。 日本の主要道路である国道及び都道府県道の全長は、約18万kmで、そのうち96%が舗装されている。高速道路は1958年に名神高速道路の建設が始まってから、だんだん東名、中央などができ、1987年には、北は青森から南は熊本まで、約3,000kmが高速道路で結ばれ、現在は青森と鹿児島間のほとんどが結ばれている。しかし、一般道路の整備は自動車の普及に比べると遅れている。現在、全国の自動車の登録台数は7500万台(2000年)で、世界で二番目に多くの自動車を持つ国になっている。 1997年に、世界最長の海底自動車トンネルと海上橋で神奈川県と千葉・房総半島を結ぶ東京湾横断道路は、全長15.1kmが構想から約35年にして完成した。 交通の発達により、人口稠密な日本では人や物の運搬が、世界でもことさら頻繁に行われている。高度経済成長期以降は、高速化を目指して、新幹線網や高速道路網の拡充が行われてきた。鉄道は新幹線を中心として旅客の長距離大量輸送や、地下鉄など大都市圏の交通手段として、依然としてその重要性を発揮している。都市の新しい交通システムとして、自動運転の軌道交通機関(AGT)の開発も進められている。旅客・貨物とも、自動車による輸送が半分以上を占め、交通や物流の中心となっている。輸送貨物が軽薄短小化したり、需要が個別化・多様化しているため、宅急便などのように自動車による輸送はますます需要が高まると考えられる。また、ほかの交通機関が未整備な農村などでは、自家用車が交通手段として広く普及している。しかし、こうした自動車輸送の役割の大きさに比べ、道路整備が遅れており、大都市圏や幹線道路での渋滞が一層激化している。 海上と空の交通 日本の海上交通には、瀬戸内海航路や沿岸航路があり、これらは古くから発達していた。 日本では、輸入・輸出を支えるのが海運業である。日本の船舶保有量は2,210万トンで、世界の4.6%を占めているが、ここ10年以上、下落傾向が続いている。主な港は神戸・千葉・名古屋・大阪・北九州・横浜・苫小牧などである。 日本の航空機による旅客と貨物の輸送量は多く、とても便利で、日本航空と全日空は主な航空会社である。国内線は、東京を中心にして、札幌、大阪、福岡などを結ぶ航空路が幹線となっており、大阪、福岡からさらに四国、中国の各県を結ぶ国内線がのびている。国際線は、日本は東アジアにおける国際航空路の一つの中心となっており、日本から、アメリカ、中国、東南アジア、ロシア、ヨーロッパなどに通じる航空路が開かれており、世界の多くの国々の航空機が日本の国際空港に出入りし、成田東京国際空港と関西国際空港などが日本の空の玄関になっている。 しかし、成田空港は24時間稼働できないことや、国内線との乗り継ぎが非常に不便なことから、国際ハブ空港として十分に機能していない。関西国際空港や新千歳空港などの機能分担の必要性が指摘されるとともに、三大都市圏でのハブ空港の拡充整備が重要課題とされている。また、2005年、中部国際空港(愛知県上常滑)ができているため、運輸が緩和されている。 実は、国内では旅客輸送手段で輸送量が最も多いのは自動車で、次は鉄道である。航空機・船舶の比率は少ない。1994年度には、自動車66.0%、鉄道29.1%、航空機4.5%、旅客船0.4%となっている。貨物輸送量では、自動車が最も多く、次は船舶である。鉄道輸送の比率はかなり少ない。1994年度には、自動車51.5%、船舶43.8%、鉄道4.5%、航空機0.2%となっている。 練習問題 次の質問に答えなさい。  1、日本で一番はじめにできた鉄道はどこからどこまでです    か、それはいつのことでしたか。 2、現在、日本鉄道の全長はどのぐらいですか。 3、日本の新幹線はいつできたのですか。 4、日本の新幹線の時速はどのぐらいですか。 5、青函トンネルはいつ開通したか、全長はどのぐらいですか、どこからどこまでですか。 6、日本には地下鉄のある都市はどの都市ですか。 7、名神高速道路はいつ建設されたのですか。 8、日本では主な港はどことどこですか。 9、日本では主な航空会社は何ですか。 10、日本の空の玄関はどの空港ですか。 二、次の文の(  )に適当な言葉を下から選んで記号を入      れなさい。    日本の鉄道は(  )技師の指導により、(  )年に   東京の(  )と横浜の間に開通したのが最初で、今、鉄   道の全長は2万300kmで、1987年に民営化されて(  )   になっている。(  )年に開通した東海道新幹線は時速   220kmのスピードで、東京・大阪間を3時間で走ってい   る。1988年、(  )と(  )の間に青函トンネルがで   きて、1997年に、世界最長の海底(  )と海上橋で神   奈川県と千葉・(  )半島を結ぶ東京湾横断道路は、全   長15.1kmが構想から約35年にして完成した。日本航空   と(  )は主な航空会社で、(  )東京国際空港と関   西国際空港などが日本の空の玄関になっている。   A、1964 B、北海道 C、房総 D、成田 E、英国人   F、全日空 G、新橋 H、自動車トンネル I、JR J、   1872 K、本州   第六章  日本の各地方 第一節 北海道地方 北海道は日本の北端を占めている地域で、ロシアのサハリンや千島列島に接している。面積は83.513平方キロメートルで、日本全国の約22%を占めているが、人口は約5%を占めて人口密度は日本で最も低い。 昔、蝦夷地と呼ばれ、アイヌ民族が住んでいた。それで、現在も北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多く、ほかの地方と異なっている。明治時代、北海道と呼ばれるようになり、本州からだんだん人々はやってきて、政府の手によって積極的に開発が進められるようになった。今は500万人を超えた。 北海道には本州に比べて雄大な山地や火山があり、火山灰に覆われた広い台地が多い。中央部では、北見山地と日高山脈が南北に走っており、北海道を東部と西部に分けている。東部には十勝平野・釧路平野・根釧台地などの大きな平地が広がっている。西部には南北に並ぶ名寄盆地・上川盆地・富良野盆地などの盆地を隔てて、天塩・夕張山地があり、夕張山地の西側を流れる石狩川に沿って、北海道第一の石狩平野が開けている。また、札幌の南西にある山地の西側には渡島半島が突き出ている。 なだらかな北見山地は、高さが1.000メートル前後で、峠も低い。この山地は針葉樹・広葉樹の森林に覆われ、北海道の木材の宝庫とも言われている。北見山地の南に続く日高山脈は高くて険しい峰と深い谷を持っている。この山脈の東側は急な崖となって、十勝平野に臨んでいる。高原のような天塩山地は高さが500~600メートルで、この山地の北側には、サロベツ原野が広がっている。天塩山地の南に続く夕張山地は天塩山地と反対に、尖った峰や、急な崖を持っている。この山地の東側は1.000メートルを超えるが、西側は次第に低くなって、山裾には石狩炭田が広がっている。 千島火山帯は、知床半島を通って南西に伸び、摩周湖や屈斜路湖のように火山の上部が落ち窪んでできた湖や、雌阿寒岳のように広い裾野をもつ火山をつくっている。また、胴体部の山地とぶつかる所には、北海道で一番高い旭岳(2.290m)をもつ大雪山や、十勝岳などをつくっている。大雪山から噴出した溶岩や火山灰の層は石狩川の上流に刻まれて、層雲峡という美しい峡谷をつくっている。渡島半島は、那須火山帯が伸びてきているので、多くの火山がある。また、火山によってつくられた湖があり、温泉が至るところに湧き出している。 北海道の胴体部の海岸線は、東に知床半島と根室半島、北に宗谷岬、南に襟裳岬が突き出しているだけで、後は弓なりの滑らかな海岸線になっている。一方、半島部の海岸線は出入りが多く、所々によい港がつくられている。 北海道は日本の北の端にあるため、夏は涼しく、冬は寒さが厳しい。年平均気温は九州地方より約10度も低く、寒い冬の期間が長く、春と秋は短い。日本海側では、冬の季節風の影響を受けて、雪がたくさん降り、天塩山地・渡島半島の西側、中央部の大雪山付近では、2~3mも積もるところがある。オホーツク海沿岸では、冬は流氷のため航海ができなくなる。内陸の盆地では、夏はかなり高温になる。東部の根釧台地では、春から夏にかけて、ガスと呼ばれる濃霧がかかり、気温の上がらないことが多い。 胴体部の山地に挟まれた、北から南に続く名寄盆地・上川盆地・富良野盆地はいずれも農業に適した土地である。大きな平野は石狩平野と十勝平野で、上川、名寄などの盆地とともに、重要な農業生産地となっている。北海道の耕地の約四分の三は畑で、機械力を利用した粗放的な農業が営まれている。冷涼な気候に適した作物(ジャガイモ、豆類、甜菜、玉ねぎ)を生産している。上川盆地と石狩平野の北東部には、北海道の水田のほぼ2/3があって、米作りの中心地となっている。十勝平野や網走地方の平野は、畑作中心の農業が行われている。とくに十勝平野は日本で一番農家の規模が大きい地域として知られている。 また、北海道で最も重要な作物は米で、一番広い作付け面積を持っている。北海道の稲作は単作であり、その中心地域は、夏高温の石狩平野や中央部の上川・富良野などの盆地である。自然の条件から考えると、北海道は稲作には不利なところである。しかし、農家の努力や日本政府の援助によって、稲作は次第に北進し、今では、北端部や海霧のかかる南東部を除いて、ほぼ全道に米が作られ、収穫も次第に安定してきた。稲作の成功は、寒さに強い品種を作り、耕作の方法にも保温折衷苗代などの工夫を凝らした結果である。政府の保護によって、米の値段が安定しているため、ほかの作物に比べて有利なことも、稲作の広がった大きな理由である。 北海道には牧場が多く、酪農が発達していることも北海道の特色で、乳牛頭数や乳製品生産額は日本一である。石狩平野と根釧台地は酪農の中心地域である。日本の家畜飼育頭数はアメリカやオーストラリアなどの国と比べれば、きわめて少ない。これは、日本の国土が山がちで牧場にあてられる土地が狭いこと、できるだけ多くの土地を米を主とする食糧の生産にあてたので、牧草地や草地ができなかったこと、日本人が動物性蛋白質を主に魚類に求めてきたことなどによる。しかし、近年は、食生活が変化し、肉牛・乳牛・豚・鶏の飼育が著しく増加している。日本は、農業の経営規模が小さく、家畜の飼料を自給することは難しいが、その中で、北海道には、約40万ヘクタールの牧草地があり、日本の牧草地全体のおよそ4分の3にあたる。しかも、その大部分は牧場になっており、牛や馬が放し飼いにされている。 北海道は、割合広い牧草地がある上に、気候が涼しいので、酪農に向いた土地である。酪農は、初めは石狩平野が中心であったが、今は根釧台地が中心地域となり、北海道庁の援助もあって、パイロットファ-ムやさらに規模の大きい酪農村の建設も進んでいる。農家は、夏は乳牛を放牧するが、冬は大きなサイロに貯えた飼料を与えて、家畜小屋の中で飼う。今では、北海道は、日本最大の酪農地域となり、乳牛の頭数は、日本全国の30%以上を占めている。とれた牛乳は森永・明治などの工場でバター・チーズ・練乳・粉ミルクなどに加工され、日本全国に送り出されている。一方、北海道の酪農の発展にも問題が多い。酪農は規模を大きくするほど多くの資金が必要で、そのため借金が増えやすい。また、乳製品は安い輸入品との競争が激しく、有利な生乳のままで大都市へ出荷するためには、輸送費が高くつくことや鮮度を保つうえでの問題も多い。 水産業は北海道で最も早く開けた産業であり、漁獲量が極めて多い。北洋漁業も発達を遂げているが、第二次世界大戦後、国際的な制約を受けている。旧ソ連が占領している千島列島には、日本固有の領土があるので、日本はその返還を主張している。北海道の近海は大陸棚が広く、世界の3大漁場の一つになっている。鱈・烏賊・鮭・鱒・蟹・昆布などがとれ、その漁獲量は、日本全体の30%以上を占めている。北海道には、およそ250の漁港がある。主な漁港には函館・釧路のような遠洋漁業の根拠地となる大きな漁港をはじめ、稚内・紋別・根室・小樽などがある。京浜などの大消費地に遠いので、水揚された魚の多くは、冷凍品や缶詰・干物などに加工され、各地に送り出される。 北海道の太平洋側の沖には、暖流の日本海流が流れ、また、西部の海岸沿いにも、暖流の対馬海流が流れている。寒流には、千島列島から南下してくる千島海流と、日本海側の沖を流れる、リマン海流とがある。潮境と呼ばれる暖流と寒流が触れ合う所には、魚の餌が多いので、魚が沢山集まる。世界で有名な漁場は、いずれもこのような所にある。遠洋漁業の中で最も盛んなのは、鮭・鱒漁業である。5月ごろ、大漁業会社の母船を中心に、独航船が30隻ぐらいで船団を組み、函館・釧路・根室の基地から出航し、アラスカやカムチャッカ半島の沖まで行き、8月ごろまで活動する。独航船には、東北地方などの漁業者も加わり、とった魚は契約に基づいて母船に売る。母船はこれを船内の工場で冷凍や塩漬けにするほか、缶詰にもする。 そのほか、北方四島(歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島)の周りには昆布・鱈・鮭・蟹・ほたて貝などの海産物があり、水産資源の宝庫である。 北海道は日本では最も重要な石炭産地である。石炭の質も良く、埋蔵量も多いので、生産量は日本全国の約6割を占めている。中でも石狩炭田は北海道で一番大きい炭田である。この炭田には、夕張新鉱・幌内・芦別などの大きな炭鉱があって、北海道の石炭工業の中心地になっている。しかし、外国から安い石油が大量に輸入され、石炭の需要が減っているため、北海道でも炭鉱があいつぎ閉山された。 北海道にはまだ大規模な工業地帯は成立していない。しかし、農産物を原料とするものには甜菜糖工場、乳製品工場、ビール工場、澱粉工場などがある。その中で、乳製品とビールの生産は全国に市場を独占的企業に発展している。また、豊かな木材を原料として、製紙、パルプ工業も盛んで、苫小牧は日本の代表的な製紙工業都市になって、釧路・旭川・江別にも大きな製紙工場があり、全国の新聞用紙の約半分は北海道で生産されている。その他、函館にはセメント工場、札幌や小樽にはゴム工場がある。重化学工業では、室蘭の製鉄、函館の造船、砂川の化学肥料などを除いては、全体に遅れている。近年、苫小牧に自動車工場もできている。また、函館・室蘭は北海道の造船工業の中心にもなっている。現在、北海道では札幌、室蘭、苫小牧を中心とする工業地帯を建設することを目指している。 札幌は北海道道庁所在地で、道の政治、経済、文化の中心地で、日本の十一大都市の一つで、現代の国際都市になって、有名な国立北海道大学(旧帝国大学)が札幌市の中心地に位置している。札幌のほかに函館、旭川、小樽、室蘭、釧路、網走、帯広などの中小都市がある。小樽、苫小牧、函館などは港町で本州の各地と結ぶフェリーが走っており、千歳は北海道の空の玄関である。北海道には国立公園が五つもあって、自然美を誇る観光地が多い。その中で、知床、阿寒、大雪山、支笏洞爺湖や登別温泉などが最も人気をひくものである。  北海道にはアイヌ民族がいる。アイヌはもともと狩猟や漁労を行う民族で、鮭・鹿・などの肉を食べて生活し、農耕はほとんど知らなかった。ところが、本州から人々が北海道へ渡るようになってから、こうしたアイヌの生活は、大きく変わっていたのである。現在、アイヌ人の暮らしは普通の日本人とほとんど同じである。 第二節 東北地方 東北地方は、本州の最北端にあり、南北に長く広がっている。奥羽山脈を境として、太平洋側と日本海側とに分けられるが、南と北とでは、気温の差や京浜への距離の差が大きく、南部と北部に分けることもある。東北地方には青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県がある。東北地方の面積は全国の五分の一近くを占めているが、人口はわずか全国の十分の一ほどであり、人口密度は北海道に次いで低い。工業人口が少なく、農業、特に米作りによって生活する人が多い。 東北地方は、本州の北部にあって、北は津軽海峡を隔てて北海道の渡島半島と向かい合い、南は関東地方、南西は中部地方の新潟県に続いている。東北地方は、昔「みちのく」と呼ばれていた。これは道の奥の行き止まりという意味で、早くから文化の開けた近畿地方から見て、遠くの国の果ての地方として名付けられたものである。江戸時代には、農林業の開発が進んで稲作が盛んになり、多くの鉱山も開かれた。第二次世界大戦後、食料生産と資源を開発することが急務となり、特に農業の改良に力が注がれたので、東北地方は日本でも有数の米の大産地となり、全国生産量の約4分の1以上を占めている。最近では、交通の整備や資源の開発が進み、南部では工場が増え、産業活動が活発になり、生活も近代的になってきた。 東北地方は中央を南北に連なる奥羽山脈によって、太平洋側と日本海側とに分けられ、太平洋側には起伏の緩やかな北上・阿武隈の2山地が並び、日本海側にはなだらかな出羽山地と、三国山脈に続く険しい越後山脈とがある。奥羽山脈には那須火山帯が、出羽山地と越後山脈には鳥海火山帯が重なっている。 奥羽山脈は日本一長い山脈で、500キロもあり、東北地方の中央に連なっているため、太平洋側と日本海側の分水嶺をなしている。この山脈には、八甲田山・岩手山・蔵王山・磐梯山などの火山が聳え、北にはカルデラ湖の十和田湖、南には火山の爆発によって塞き止められてできた猪苗代湖がある。また、温泉も数多く湧いており、火山や湖、原生林の景色が美しいので、国立公園・国定公園に指定されているところが沢山ある。 奥羽山脈の東側には、北上川や阿武隈川に沿って北上盆地・仙台平野・福島盆地などがあり、西側には、最上川・雄物川その他の川の流域に横手・山形・米沢・会津などの盆地や、津軽・秋田・庄内などの平野がそれぞれ南北に開けている。 北上川は奥羽山脈と北上山地の間を、北から南に流れ、下流部に仙台平野をつくっている、東北で一番長い川である。北上盆地はこの川に沿って南北に細長く開けている。阿武隈川は、奥羽山脈と阿武隈山地の間を、南から北に流れている川である。それに沿って郡山盆地や福島盆地がある。仙台平野は東北で一番広い。 海岸は、日本海側では大きな砂丘が長く続いており、出入りが少なく、太平洋側では三陸海岸の南部は鋸の歯のように、入り江と岬が入り込むリアス式海岸となっている。また東北地方の北端にある、下北半島と津軽半島に挟まれた陸奥湾は東北第一の湾である。 気候は、大きく太平洋式気候と日本海式気候とに分けられる。冬の北西季節風は奥羽山脈を越えるときに雪を降らせるので、太平洋側へ来たときは乾いた風になる。そのため、太平洋側は雪が少なく、晴れた日が続いている。日本海側は、冬になるとシベリア方面から吹き付けてきた冷たい北西の季節風が、雪を降らせるので、北陸に次ぐ深雪地帯である。冬の間は雪に閉じ込められ、農村では冬の仕事が少なくなるので、出稼ぎに行く人が沢山いる。 東北地方には米をはじめ、林業、水産などで、全国的な地位を占める特産物が多い。特に、農業は米作りが中心で、日本の重要な穀倉地帯である。日本海側の庄内、秋田などの平野、太平洋側の仙台平野の米が一番有名である。東北地方では、農業収入の大部分を稲作から得ている農家が多い。稲作以外は、山形盆地や仙台の南のほうでは紅花がつくられ、染物の原料として京都のほうへ送られていた。東北地方にある果物は、リンゴ・桃・梨・葡萄・サクランボなどが各地で作られるようになった。青森県は日本一のリンゴの産地であり、りんごの生産量は日本全国の70%を占めており、サクランボの生産は東北地方が日本全国の90%近くを占めており、山形盆地が生産の中心地である。 東北地方の山地には森林が良く茂り、日本の森林面積のおよそ1/5を占めている。青森県のひば、秋田県の杉、岩手県の赤松が有名で、東北の三大美林といわれている。東北の森林は多くが国有で、国が経営・管理しており、伐採や運搬にも機械が多く用いられる。 東北地方の三陸海岸の沖には、日本海流と呼ばれる暖流が北東に向かって流れ、千島海流と呼ばれる寒流が北から流れてくる。暖流と寒流が出会うところには、魚の餌になるプランクトンが多いので、魚類が豊かである。三陸沖では、暖流に乗ってくる鰹、鮪や、寒流に乗って南下してくる秋刀魚、鮭などの漁業が盛んで、漁期には各地から多くの漁船が集まってくる。青森県の八戸、岩手県の宮古・釜石・大船渡、宮城県の気仙沼・石巻・塩釜などは大漁場になっており、水産加工も行われている。 東北地方では、伝統的な在来工業のほか、釜石の製鉄や秋田の石油精製をはじめ、製材業・食品工業など、地元の資源を利用した工業が発達している。しかし、工業都市はいずれも分散しており、互いの結びつきは弱く、日本全国的に見ると工業生産高はきわめて低い。在来工業は、この地元の原料を利用して、家内工業の技術によって古くから発達し、今も各地に残っている。主な製品には、盛岡の鉄瓶、能代の春慶塗り・青森の津軽塗りなどの漆器、米沢の絹織物、山形県の平清水焼きなどの陶磁器がある。仙台、八戸、秋田などの都市に工業があるが、大きな工業地帯はない。仙台湾地区には石油精製・金属・電線・缶詰・造船・ゴム・印刷・食品・タイヤ・パルプ・電気機器・機械など、いろいろな種類の工場が集まっている。そのほか、自動車工業団地・鉄鋼団地・卸売団地・倉庫団地などが仙台の市街地と港の間にできている。仙台湾地区は、東北地方では最も発達した地区である。秋田湾地区では、天然ガスの産出も多く、石油を利用した火力発電所もつくられ、近代工業が発展する条件に恵まれている。この地区には、石油精製・化学肥料・金属精錬・パルプ・紙などの大きな工場がある。 仙台市は東北地方の文化、政治の中心地となっている。最近では、人口の増加とともに、住宅地が周辺に広がり、都市化が著しく進んでいる。今日では政府の出先機関が多く、また交通では東京との連絡が便利になったほか、仙台を始発とする特急・急行列車で東北地方の各地と結ばれている。 また、青函トンネルの開通によって、東北地方は北海道と直接つながるようになった。そのほか、各地に空港もある。 東北地方には高い火山や広い高原、美しい湖や海岸が沢山あり、温泉にも恵まれ、多くの観光地がある。この地区には十和田、八幡平、磐梯・日光などの国立公園があって、自然風光に誘われる遊覧客が多く、仙台の松島は日本三景の一つで、そこにある国宝瑞厳寺は最も人目をひき、夏はこんもりと茂る松柏で遊覧客をひき、秋は紅葉に満ち、冬は世にも名の知れた樹氷がその特色を飾るのである。 関東地方 関東地方は日本のほぼ中央部に位置している。この地方には東京都、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬の1都6県がある。面積は全国の約8%にすぎないが、人口は約30%も占め、人口密度も全国平均の3倍をこえる。人口の大部分は東京を中心とする南関東に集中している。 関東地方は日本列島の中央部の太平洋に面した部分を占め、北海道へも、九州へも、およそ1.000キロのところにあって、政治の中心地として適当な位置といえる。関東地方は、昔から中心地だったわけではない。日本は西のほうから開けてきたので、文化や政治の中心地は長い間、奈良や京都など近畿地方に置かれ、関東から北のほうは開発が遅れ、人口密度も低かった。鎌倉時代からその開発が始まり、江戸に幕府が置かれてから急速に開発が進められ、台地の開拓、沼地や海岸の干拓、利根川の治水工事などが行われて、多くの新田が開かれた。明治以後は、東京を中心に積極的に近代化が進められ、産業や人口が集中してきた。それによって関東地方は政治・経済・文化の中心地となった。 関東平野は南北約140キロ、東西約100キロもある日本一広い平野である。しかし、平野といっても台地と低地が入りみだれて、複雑な地形となっている。台地としては、北部に那須野原台地、南部には武蔵野台地・相模原台地、東部に常陸台地・下総台地などがあり、これらの台地は、火山灰からできている関東ローム層という赤土で厚くおおわれており、主に畑地として利用されている。低地は、利根川・荒川・那珂川などの支流の沿岸に広がっており、主に水田に利用されている。関東平野では低地より台地の面積が広いので、耕地の中でも水田より畑のほうが多くなっている。そのため、小麦の生産では日本全国第一の産地になっている。 関東平野の北から西にかけて三国山脈・関東山地が続き、富士火山帯や那須火山帯も交えて、2000メートルを超える山が多い。変化に富んだ地形は美しい風景をつくるので、秩父多摩国立公園・富士箱根伊豆国立公園というような観光・保養地が多い。東京湾を除いて海岸線の出入りは少なく、とくに東部の鹿島浦と九十九里浜、南西部の湘南海岸は、緩い弓なりの砂浜海岸になっている。丘陵の多い房総・三浦半島が突き出て、その南の海上には富士火山帯に属する伊豆諸島や小笠原諸島が続いている。 関東地方は太平洋式気候で、黒潮の影響を受けて、冬は雨が少なく、山地を除いては雪も余り降らない。夏は全体に蒸し暑く、雨もかなり多い。南ほど暖かく、とくに房総半島南部や相模湾に面する湘南の海岸では、冬も暖かく野菜や花の促成栽培が行われている。冬に日本海側から吹く季節風は、三国山脈を越えると、空風と呼ばれる乾燥した風になって、関東平野へ吹きおろしてくる。この風が強く吹き通るので、多くの農家は家の西と北に屋敷森をめぐらして家や作物を保護する。 東京は日本の政治、経済、文化などの中心地であり、東京を中心に、横浜を含む京浜地方は日本一の工業地帯である。東京には国会、中央官庁、最高裁判所、世界各国の大使館などが置かれ、大会社の本社、大きなデパート、問屋などが集まっている。その他、博物館、美術館、図書館、各種研究所など、水準の高い文化施設が東京にあり、大学だけでも192ヵ所が集まっている。 東京の住宅は年々郊外に広がっている。鉄道の沿線に多くの住宅団地やマンションが建設され、郊外に移る人々が多く、都心の人口の減少が目立ち、いわゆるドーナツ現象が起こってきた。東京の郊外で、鎌倉・藤沢・町田・立川・柏・船橋など多くの衛星都市や住宅団地が発達している。こうして、都心へ1時間半ぐらいで達する範囲は東京の通勤圏に入り、東京と強く結びついた大都市圏をつくっている。また、郊外に延びる鉄道と山手線とが接する新宿・渋谷・池袋などには、地下鉄やバス路線も集まり、都心に似た副都心が発達している。しかし、急激な人口増加に伴って、東京には多くの問題が起きている。住宅難や交通難がとくに深刻である。都心への通勤・通学する人口が多くなり、朝夕のラッシュアワーの混雑ぶりは激しい。道路の整備も進められているが、自動車台数の増加に追い付けず、交通麻痺の状態を引き起こし、交通事故も増えている。そのほか、地盤沈下・空気の汚染・水道用水の不足などがあげられる。これらの公害は大都市で生活する人々の深刻な悩みである。 東京都・神奈川県・千葉県西部・埼玉県南部に広がる範囲を京浜工業地帯と呼び、日本一の工業生産額を持つ総合工業地帯である。京浜工業地帯では、鉄鋼などを作る金属工業、自動車や船・電気機械などを作る機械工業、石油化学製品や薬品・肥料などを作る化学工業、いろいろな雑貨や食料品を製造する工業など、あらゆる種類の工業が盛んである。 東京から川崎・横浜にかけて工場が多く、京浜工業地帯の中心で、この辺りには鉄鋼、機械、造船、化学、石油精製などの大工場や火力発電所が立ち並んでいる。横浜、川崎、東京は貿易港で海運が盛んに国内外と往来している。 関東地方の主な水田地帯は、利根川・江戸川・荒川などの川沿いの低地や、九十九里浜・東京湾などの海沿いの平野に集まっている。群馬県や栃木県の水田には二毛作が多く、裏作には麦などが作られている。茨城県や千葉県の水田はほとんどが利根川の下流や湖の畔のような低地に集まって、主に早場米を作っている。大都市に近い農村では近郊農業が発達して、農家は二毛作、三毛作を行い、労力と資本をかけて米のほか、野菜、草花、様々な農産物を作り出し、収穫物をトラックで市場に運んでいる。また、関東北西部の高原では、夏の涼しい気候を利用してキャベツ・レタスなどを栽培して京浜に大量に出荷している。 関東地方の主な漁港は千葉県と神奈川県に集まっている。中でも有名なのは三崎と銚子である。神奈川県の三崎港は三浦半島の先にあり、その沖には鰹や鮪が泳いでくる黒潮が流れ、後には横浜・東京などの大都市が控えている。したがって、魚を捕るにも、捕った魚を売り捌くにも大変都合のよい場所である。そのため、三崎港遠洋漁業の大根拠地になり、とくに鮪の水揚量は多い。銚子の沖は暖流の黒潮と寒流の親潮とぶつかる所で、鰯・秋刀魚・鯖・鮪・鰹など、たくさんの種類の魚がとれる。東京湾の浅瀬では海苔、あさり、蛤の養殖があるが、近年は埋立地が増加したり、工場や都市からの廃水で海が汚されたりして、水産業は非常に衰えた。 関東地方は日本で最も交通の発達した地域である。京浜と阪神とは新幹線によって約三時間で結ばれ、日帰りができる。そのほか、東名高速道路や関越自動車道・東北自動車道も開通した。東京の市街地には、首都高速道路が放射状に通じ、第三京浜国道や京葉道路、新空港自動車道もある。東京から各方面への飛行機、電車、バスも多く、非常に便利である。 関東地方には有名な国立公園や史跡や温泉などがあり、歴史が古く風光明媚なところも多く、中でも日光や箱根や鎌倉などは国際観光地として知られ、観光客が多く訪れている。そのほか、スポーツ施設や近代的な博物館や美術館や劇場などの文化施設が整っている。 中部地方 中部地方は本州の中央部にあり、関東、近畿の二地方の中間にある。中部地方の日本海側には新潟、富山、石川、福井の4県があり、これを北陸地方と言い、太平洋側には静岡、愛知の2県があり、これを東海地方と言い、中央部には海に面しない山梨、長野、岐阜の3県があり、これを中央高地と言う。中部地方の面積は関東地方の約2倍あるが、人口の半分以上は太平洋側に集中している。 中部地方は、近畿地方と関東地方に挟まれ、関東方面が発達しはじめてから、ここを通る東海道と中山道の2街道は江戸と京都・大阪を結ぶ重要な交通路になり、都と東国を結ぶ廊下の役目を果たしてきた。関東方面の発達につれて、街道に沿った宿場町や城下町が栄え、沿道の開発も進んだ。北陸では、京都と東北地方を結ぶ北陸道のほか、東北地方の物資を京都・大阪へ運ぶ海上交通が盛んになり、新潟・敦賀などは当時の日本の重要な港であった。 現在、東海地方は、新幹線や名神・東名高速道路が整備されて、日本の大動脈となっている。それに沿った大小の都市が大きく発展し、ことに名古屋市は商工業が盛んで、東京・大阪に次ぐ大都市になっている。関東と関西の間にあるこの地方は京浜と阪神を結ぶ重要な工業地域に発展している。東海地方には、太平洋に注ぐ木曾川・天竜川・大井川・富士川などがある。海に近い所は、川が運んだ土や砂が積もって、平らな平野が並んでいる。木曾川は、木曾山脈と飛騨山脈の間を流れ、その下流には濃尾平野が開けている。濃尾平野には、早くから農業が発達しており、また交通の便が良く、日本の中心部にあるので、工業も発達し、名古屋や岐阜などたくさんの都市ができている。海岸線は、伊豆半島・駿河湾・伊勢湾など出入りが多い。伊勢湾は、波も静かで、港をつくったり、埋立地をつくったりするのが簡単なので、名古屋付近の工場はどんどん海岸に集まってくる。駿河湾の沿岸には、良い漁港が発達している。 中央高地には、ほぼ南北の方向に、高さ三千メートル前後の飛騨山脈・木曾山脈・赤石山脈が連なっている。これらは日本で一番高いところで、日本の屋根(アルプス)といわれている。中央高地は、日本でも指折りの温泉の多い地方になっている。山脈の間には、富士川の甲府盆地、信濃川の長野盆地・松本盆地、天竜川の諏訪盆地・伊那盆地があり、盆地の周りに緩やかな斜面になっているところがある。中央高地から太平洋に向かう川は木曾川・天竜川・富士川などであり、日本海に向かう川は信濃川・黒部川・神通川などである。これらの川が山地を流れ、両岸が険しく、流れも急であるため、中央高地は日本でも指折りの水力発電地帯になっている。 北陸地方には、新潟平野・富山平野・金沢平野・福井平野などが開け、海岸に沿って砂丘が発達している。日本海側は、冬の間北西の風が強く、若狭湾の海岸を除いては、海岸線の出入りが少ないので、良い港に恵まれていないが、能登半島が風を避けることもあって、富山湾の沿岸には良い港があり、工場も集まっている。また、若狭湾の海岸線は、出入りの多いリアス式海岸で景色も美しい。 中部地方の太平洋側、中央高地、日本海側の3地域では自然条件も産業の状況も大きな違いがあり、地域差も大きい。太平洋側の東海地方は、平野や台地が連なり、気候は温暖で、四季を通じて生産活動が活発で、工業も発達している。これに対して、日本海側の北陸地方は、平野に恵まれているが、日本一の多雪地帯で、冬の生活や交通は不便である。中央高地は、広い範囲にまたがる山岳地帯で、人口は小盆地に集まり、産業も山地特有の産業しかない。 近代工業は名古屋を中心に中京工業地帯で行われ、中京工業地帯とは、名古屋を中心として愛知・岐阜・三重の3県にまたがる、半径約40キロの範囲を指している。第二次世界大戦前の中京地方は、中心の名古屋をはじめ、一宮・津島の毛織物工業や、岡崎・岐阜・大垣の綿織物工業のような、繊維工業の都市がたくさんあった。また良質の陶土の多い瀬戸、多治見から名古屋・知多半島に及ぶ地域は、陶磁器の生産地であり、日本一の窯業地域であった。第二次世界大戦中から、急に重化学工業の割合も多くなってきた。近年は、名古屋に機械・航空機、刈谷に機械、豊田・鈴鹿に自動車、津に造船、東海市に鉄鋼、四日市に石油化学など、重化学工業が目覚しく発達しており、京浜・阪神とともに、日本の三大総合工業地帯となり、日本第三位の工業生産額を上げている。中京工業地帯が発達したのは、港・鉄道・道路など、便利な交通条件のほかに、中央高地からの豊かな電力や、周辺の農山漁村からの労働力などに恵まれ、また、昔からの工業の伝統があったからである。 愛知県の重化学工業の中心は、名古屋市南部と東海市などの海岸地帯と、内陸では豊田市・刈谷市・岡崎市などにある。名古屋港の周りの南部地区には重化学工業の大工場が集まっており、とくに航空機工業では日本全国の中心になっている。東海市は新日本製鉄名古屋製鉄所を中心とする製鋼・石油・造船・化学などの工場が建ち並び、「鉄の東海市」といわれている。 自動車工業は中京工業地帯の特色の一つになっており、その中心は岡崎平野の豊田市や刈谷市や岡崎市などにある。中でも豊田市は代表的な自動車工業都市であり、名古屋に次いで愛知県第二の工業生産額を上げている。 中京工業地帯の繊維工業は、日本全国で一番盛んなところである。愛知県の綿織物・毛織物の生産量は、ともに日本全国一である。中には、尾西・一宮・津島市などが愛知県の毛織物工業の中心地である。 陶磁器工業は瀬戸・多治見・常滑・碧南・四日市などの都市がその中心であり、和洋飲食器・タイル・玩具などを作っている。瀬戸市の陶磁器工業は盛んで、古い歴史を持っている。市内にたくさんの瀬戸物の工場が建ち並び、日本一の陶都といわれている。 東海工業地域は、中京と京浜の工業地帯の中間に位置し、愛知県の蒲郡・豊橋市あたりから、富士山の麓の沼津・三島あたりにかけての東海道本線の沿線地域を含む。近年の発展は目覚しく、工業生産額では、北九州工業地帯を凌いでいる。第二次世界大戦後は、機械・化学などの大工場が次々に建てられてきた。浜松を中心とした地区では綿織物工業のほか、楽器工業・オートバイ製造も盛んであり、日本一の生産をあげている。 東海地方は、京浜や阪神の大市場に近く、トラック輸送が便利なので、地形・気候や用水をうまく利用した、大都市向けの作物を作る集約的な農業や畜産が盛んである。濃尾平野の西部は、土地が低湿で豊かな米作地となっている。岡崎平野では米・麦のほか、乳牛・鶏、野菜などの多角経営が盛んになり、よい農業地帯になった。豊橋付近から渥美半島に続く台地でも、野菜栽培と温室園芸が盛んに行われるようになった。春から夏には西瓜・メロン瓜・煙草、秋から冬には大根・白菜・キャベツ・花などを作って東京・名古屋方面へ売り出している。静岡県の茶畑の面積は約2万ヘクタールで、製茶工場は静岡市に多く、日本一の茶の産地となっている。愛媛・静岡・和歌山などは蜜柑の産地として有名である。 中央高地は宝蔵水力に恵まれた川が多く、日本の水力発電の中心地域になっている。日本海側では信濃川・神通川・黒部川など、太平洋側では木曾川・天竜川などには大小の発電所が設けられ、その発電量は日本の水力発電量の半分以上を占めている。また、この地域は森林資源に富み、長野・岐阜・静岡の3県は木材の産出高が多い。景色の優れたところも多く、山と高原の観光地としても名高い。山間の盆地では、米作のほか野菜や果物などいろいろな商品作物が栽培され、自然の特色を生かし、工夫を凝らした農業が見られる。また、戦前に発達した製糸業は戦後、精密機械工業に切り替えられた。 北陸地方は、水田率が高く、とくに新潟県は日本第二位の米産県になっている。また、この地域は世界では有数の深雪地帯で、特色ある雪国の生活が見られる。北陸地方は豊かな電力を利用して各種の近代工業が起こってきた。新潟県は油田や天然ガスの産地である。とくに繊維工業と化学工業の発展は著しい。 名古屋市は京浜と阪神を結ぶ交通路に沿って発達した大都市であり、商工業都市として発展している。名古屋港は日本でも指折りの大貿易港であり、貿易額では横浜・神戸に次いで第三位である。名古屋空港から日本各地に定期便が頻繁に通い、東南アジア方面への国際航空路も開かれている。中部地方には富士山を始め、富士箱根伊豆国立公園などがあり、富士山は日本のシンボルと言われる世界で有名である。金沢の兼六園は日本三公園の一つで、北陸トンネルも観光客の目をひいている。 第五節 近畿地方 近畿地方は、中国・四国地方と中部地方との間にあって、古くから日本の政治・文化の中心地で、奈良や京都などには都が置かれていた。関東に対して関西とも呼ばれる。近畿地方には大阪、京都の2府、兵庫、滋賀、奈良、三重、和歌山の5県がある。人口密度は関東地方に次いで高く、人口の大部分は大阪、京都、神戸を中心とする中央低地に集中している。 近畿地方は地形から見て、南部山地、中央低地、北西部の山地と、大きく三つに分けられる。また、櫛田川・紀ノ川を結ぶ線より南の外帯地域と、北の内帯地域とに分けられる。外帯地域は紀伊半島の地域である。内帯地域はさらに中央低地と北部山地の二つに分けられる。近畿地方は本州の中央を占めているため、江戸時代には、米や各地の特産物が大阪に集まり、早くから商業が発達した。明治以後は、大阪・神戸を中心に近代工業が発達した。 紀伊山地は、中央部に大峰山、その東部に大台ケ原山などの高い山々が連なる、幅の広い山地である。紀ノ川・熊の川などの川の上流は、深い峡谷になっている。南部の紀伊山地は幅が広く、その大部分が海岸近くまで広がっているため、平野は少なく、大きな平野は、和歌山平野だけである。紀伊半島の北東部は、海岸線が複雑に入り組み、リアス式海岸になっている。 中央低地は南の紀伊山地と北部山地との間の地域である。ここは、南北に走る山と東西に走る山とがあって、典型的な網目状の断層運動による地形を示している。山地の間には、大阪平野・京都盆地、琵琶湖のある近江盆地のほか、奈良盆地・上野盆地、さらに姫路平野・伊勢平野などがあって、一つの低地帯になっている。日本の最大の湖である琵琶湖から流れる淀川は、京都盆地と大阪平野を結び、発電・飲料水・工業用水・灌漑用水などに利用されている。 北部山地は、中国山地とその東に連なる丹後山地・丹波山地からなっている。山地の間に川が入り組んで流れ、豊岡・亀岡などの盆地が開けている。北部の海岸は、若狭湾に含まれる舞鶴湾・宮津湾の大きな入り江のほかは出入りが少ない。 近畿地方の気候は、地形の影響を受けて、地域によって違う。太平洋に面した紀伊半島南部は、南四国と同じ太平洋側式気候で、夏の雨量が多く、暖帯林が生い茂っている。中央部の低地は、大阪湾沿岸は瀬戸内式気候であるが、京都盆地や奈良盆地などは内陸性の気候である。北部山地は、日本海側式気候であり、冬の降水量が多いので、快晴の日は非常に少ないのである。 近畿地方の人口は日本全国の約18%にあたる。大阪・神戸・京都を中心とする地域には、近畿地方の人口の半分以上が集まっている。それに対して、三重・滋賀・奈良・和歌山の4県は人口が比較的少ない。大阪府は日本の都道府県の中で面積は最小であるが、人口は東京都に次いで第二位である。 京阪神は日本の経済・文化・交通の2大中心の一つである。近畿地方は、日本の文化の源であって、歴史に関係の深いところがたくさんあり、都市や村にも古い文化の名残が見られる。この地方では伝統の手工業や家内工業が盛んで、その代表的なものは京都の西陣織をはじめ、清水焼や漆器や友禅染などである。 阪神工業地帯とは大阪市を中心として、西は播磨工業地域へ続き、南は和歌山県の海南・下津、北東は大阪市東部から京都を経て、琵琶湖の南岸に至る広い範囲にわたっている。この工業地帯は資本、港、水運、労働力、工業用水などに恵まれていたこと、原料や製品の輸送に便利であったこと、大消費地に近いことなどの条件に恵まれているため、日本第二の工業生産額を占めている。 大阪から尼崎・神戸にかけての臨海地帯は阪神工業地帯の中心で、鉄鋼をはじめとする金属工業、造船、車両などの機械工業、ゴムなどの化学工業が発達し、大工場が並んでいる。大阪南部から堺・泉大津・貝塚に至る地帯は繊維工業のほか、金属・化学工業が盛んである。大阪から京都にかけては電気機械器具や食料品工業などが発達している。この地帯には大工場のほか下請けの中小工場が多く、これらの工場は業種ごとにまとまって、狭い地区に集まっている。大阪市東部の雑貨・玩具、神戸市長田区のゴム製品、堺市の自動車部品などはそのような中小工場の集まった例である。 大阪市は阪神工業地帯の中心であり、工業都市であって東京に次ぐ日本第二の大都市である。大阪は、淀川などの三角州の上に発達したもので、いくつかの川のほかに運河も多く、その水運は大阪の発展を助けてきた。大阪は日本第一の商業都市になり、「天下の台所」といわれた。市の中心部には、古くからの伝統も持つ衣料や薬・雑貨などの問屋街が多い。蔵屋敷のあった中之島付近には事務所や官庁が集まって近代的高層ビルが建ち並び、商業地区をつくっている。心斎橋筋や道頓掘、東京の銀座や新宿に比べられる繁華街である。 大阪を中心に神戸・京都・奈良・和歌山などの方面にJRのほか、私鉄によって大阪とつながっている。また、自動車による交通運輸が著しく増えたので、名古屋や京都・大阪・神戸をつなぐ自動車専用道路がつくられ、さらに東海道新幹線の開通によって、大阪は東京と約3時間で結ばれるようになった。そのほか、大阪も航空路・航路の起点で、人や物資が活発に動き、西南日本一帯に強い影響を与えている。神戸港は、横浜港とともに日本を代表する貿易港で、近代的な港の施設が整い、大阪港とともに阪神工業地帯の玄関としても、重要な役割を果たしてきた。 京阪神は中央低地に位置し、土地が良く肥えているうえに、米を作るのに十分に人手を掛け、たくさんの肥料を注ぎ込むので、米の収穫量が多く、品質も優れている。大阪平野や京都・奈良の盆地の農村では、集約的な近郊農業が発達している。トマト・キュウリ・茄子・キャベツなどの野菜類が多毛作でつくられ、都市に出荷している。大阪平野南部の玉葱・葡萄、奈良盆地の大和西瓜、京都盆地の竹の子・宇治の茶などのような、特産物で知られている作物も少なくない。工業の発展に伴って耕地が減少し、農家から工場への通勤者が増え、兼業農家が増加している。 琵琶湖は滋賀県の真中にあり、約680平方キロメートルあり、日本最大の湖である。深さが場合によって違うので、水温にも変化があって、日本全国の湖や川に棲む魚の、ほとんどの種類が見られる。琵琶湖の周りの近江盆地では、耕地の約90%が水田である。琵琶湖の水は、発電・潅漑や工業用水などの重要な水源となり、京都や大阪の市民の上水道として、大切な飲料水の源となっている。このように琵琶湖の水は京阪神の人々の生活や産業にとって欠くことのできない、重要な働きをしている。 北部の山地では古くから牧牛が行われ、とくに但馬牛は有名である。そのほか、養鶏や養蚕なども行われている。南部山地では産業の発達が遅れているが、林業資源が豊かで海岸近くでは温暖な気候を利用して、蜜柑栽培など特色ある産業が行われている。紀伊山地は気候が暖かいうえに雨が多く、土も森林の成長に適している。日本でも指折りの森林地帯となっており、杉・ひのきなどの森林が茂っている。紀伊半島の沖には黒潮が流れ、良い漁場が広がっている。志摩半島の英虞湾では真珠の養殖が盛んに行われ、静かな入り江と適度な水温を利用して、真珠の養殖を営む会社がいくつもあり、養殖真珠は世界各地に輸出されている。 京浜と京阪神との間の交通は陸上交通の大動脈となっている。電車と新幹線は各方面へ運行しているほか、高速道路が伸びていて便利であり、大阪湾の海上に関西国際新空港はアジアの各国や日本各市との結びつきが強い。また、舞鶴港から北海道の小樽港へもフェリーが通じている。奈良と京都は日本で最も古い町で、市内には古い神社、寺院があり、国宝や重要文化財として世界的な価値を持つものが少なくない。こちらは周辺の美しい山地や丘陵地とよく調和して、国際的な観光都市になっている。近畿地方には伊勢志摩、吉野熊野、山陰海岸国立公園があり、景色の良い所が多く、琵琶湖や近江などが有名な観光地である。 第六節 中国と四国地方 中国・四国地方は、本州の南西部とその南の四国、瀬戸内海に浮かぶ大小多数の島々や日本海の沖合いにある隠岐などからなっている。中国地方と四国地方には岡山、広島、山口、鳥取、島根と香川、愛媛、徳島、高知の9県がある。面積では関東や近畿地方より広いが、東北や中部地方より狭く、日本全国の約14%を占めている。 中国、四国地方はなだらかな中国山地と険しい四国山地がともに東西に並行し、この山地を境にして、日本海に面する山陰、瀬戸内海に面する山陽と北四国を合せた瀬戸内、太平洋に面する南四国の3地域に分けられる。そのうち、瀬戸内地方は工業も発達し、人口の大部分がここに集中している。瀬戸内海の航運は昔から発達してきたところで、今尚大動脈の役割を担っている。 中国・四国地方は、山地が多く、小さな平野が散らばっている。中国山地の山々が東西に連なり、中国地方の背骨のように高くなっており、北側の山陰地方と、南側の山陽地方とに分けている。中国地方には山が多いので、川の下流につくられた小さな平野しかない。また、山陰地方に鳥取平野・倉吉平野があり、海水の流れによって運ばれた砂が平野に溜まり、その上に大きな砂丘ができている。鳥取砂丘はとくに有名である。山陽地方には岡山・広島などの平野がある。四国地方には、九州山地に続く高くて険しい四国山地が聳えている。その西端では出入りの多いリアス式海岸が見られる。四国には吉野川をはじめ、那賀川・仁淀川などの大きな川がある。吉野川は四国第一の長い川で、四国山地の南側から四国山地を横切り、東へ流れている。四国の川は水量が多いので、深い谷をつき止めて、各地にダムがつくられている。四国には讃岐平野、松山平野、徳島平野、高知平野がある。 瀬戸内海は、地盤が沈んでできた内海で、大小様々な島があちこちに浮かんでいる。その美しい景色は多くの人々に親しまれ、国立公園に指定されている。 中国・四国地方は、季節風と地形との関係によって中国地方と四国地方を境にして、日本海岸気候・瀬戸内気候・太平洋岸気候に分けられる。山陰地方は日本海岸気候で、瀬戸内地方は瀬戸内気候で、南四国地方は太平洋岸気候で、台風に襲われやすく、降水量も多い。 瀬戸内工業地域は古くから家内工業が栄えてきたが、西に北九州、東に阪神の工業地帯をひかえ、海陸の交通にも恵まれて、近代工業が目覚しく発展している。大企業は瀬戸内海の沿岸に多くの工場を建て、歴史の古い繊維工業や造船業のほか、金属工業、鉄鋼工業、セメントやソーダなどの化学工業および石油化学工業も大規模なものが進出している。 農業は多角農業に移り、米作は山陰と高知平野や岡山平野で作られている。山陰は古く開かれた地域であるため、近代産業の発展は遅れ、流出する人口も多い。鳥取県では米作のほか、野菜や果物も栽培し、とくに梨の栽培が盛んで、日本一の産地になっている。出雲平野の海岸地域を中心に果樹栽培が盛んになり、愛媛県は静岡県を抜いて日本一の蜜柑の生産量を上げるようになった。鳥取の丘陵地、高知の南向き斜面などでは、果樹と野菜の促成栽培が盛んに行われている。中国地方の山地では乳牛と肉牛が多く、酪農も盛んに行われている。高知県や愛媛県の産地では楮が栽培され、これを原料とする和紙の製造が行われている。井野町は製紙の町で日本全国でも有名な和紙の産地である。また、瀬戸内海の漁業は古くから発達してきたが、近年は減退している。その代わりに、製塩技術が以前より進歩して、坂出などに工場が設けられて電解による製塩が発達して塩田製塩は廃止された。 本州と九州の間の関門海峡には1958年に開通した関門トンネルや、1973年にできた関門橋があって、便利になっている。本州と四国の間には1988年に瀬戸大橋と呼ばれる道路と鉄道のダブルデッキ構造となっている併用橋が作られ、本州と四国との連絡橋として重要な役割を果たしている。航空路では国際線や国内幹線はこの地方を素通りしているが、四国地方と中国地方との主な都市には空港がある。 この地域の中心になる都市が広島で、1945年8月6日、史上最初の原子爆弾の投下によって一瞬のうちに廃虚となった。戦後、都市建設を復興して、いま、人口は100万を超えて大都市となり、特に自動車工業や造船業が発達している。この地域には瀬戸内海国立公園、山陰海岸国立公園、渦潮の鳴門海峡などがあり、風景はとても美しい。そのほか、松山の道後温泉、岡山の後楽園、山口の錦帯橋など、多くの史跡と名勝があり、阪神地方に近いので、四季を通して観光客が訪れる。 第七節 九州と沖縄地方 九州地方には福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島の7県があり、沖縄地方には沖縄県だけがある。この地域は面積、人口とともに日本全国の約12%を占めている。北は壱岐、対馬を隔てて朝鮮半島と、西は東中国海を挟んで中国大陸と向かい合い、南は南西諸島が飛び石のようにのびて、中国の台湾に続いている。 九州地方は、一般に山がちであるが、北と南では地形の特色が違っている。九州の北部には低く、なだらかな筑紫山地があり、その続きは北松浦半島などの半島となって、海岸線を複雑にしている。中央部には高くて険しい九州山地が北東から南西の方向に連なり、その東の端が、海に沈んでリアス式海岸となっている。山地の間にたくさんの火山や温泉がある。 筑後川は九州一の大きな川で、昔洪水を起こしていたため、筑紫平野ができたのである。九州地方は日本で最も温暖な地方で、特に冬が温和で凌ぎやすい。北九州は日本海式気候で、冬に曇りの日が多いが、降水量は少なく、雪はほとんど降らない。南九州は黒潮の影響を受け、夏には雨が多く、亜熱帯植物が自生している。九州地方は台風に襲われることが多く、毎年大きな被害を受ける。 北九州には北九州工業地帯があり、京浜、阪神、中京工業地帯と並んで日本の四大工業地帯の一つである。北九州工業地帯とは、普通、九州北部の企救半島から洞海湾沿岸に続いている、門司・小倉・八幡・戸畑・若松の5市が合併した北九州市の地域をいう。しかし、北九州市を中心として、これを取巻く福岡・佐賀・長崎・大分・山口などの工業地区を含める場合もある。北九州市は日本の工業地域の西の中心地であり、いろいろな工業の素材になる鉄鋼と化学製品を主に生産している。この工業地帯では鉄鋼や化学製品を主に生産している点や能率の高い大工場の多いことが特色である。このように、北九州工業地帯の工業の種類は6割近くが重化学工業部門に集中している。そのほか、金属、食料、セメント、ガラス工場が多い。また、久留米のゴム工業、大牟田の石油化学工業、長崎の造船業が栄えている。佐賀西部では古くから有田焼が有名である。しかし、現在は燃料や原料として石油や天然ガスがほとんど外国から輸入している。また、工業用水や用地の不足、公害の増加などの問題も現れてきた。このため、近年は京浜・阪神・中京の三大工業地帯や瀬戸内・東海などの新しい工業地域に比べて、工業生産が伸び悩み、日本全国に占める地位も年々低下している。 福岡市は、今では熊本・長崎に代わって、九州地方の政治・経済・文化の中心になっている。市の中心部には、大きなビルが建ち並び、政府の官庁や商社やデパートなどが集まっている。また、大学や新聞社も多い。博多駅は本州や九州各地への列車の発着駅であり、1975年には新幹線も開通した。郊外には九州の空の玄関福岡空港もある。 以前は、北九州は北海道とともに日本の石炭の二大産地の一つで、出炭量は全国の約40%に当たっている。しかし、今では石油の利用などによって、炭鉱が次々と閉山してしまった。 この地域の農業では、特に筑紫平野、熊本平野、宮崎平野を中心に米作りが盛んに行われている。そのほか、酪農、野菜、いぐさ、菜花などが生産され、シラス台地と山地ではさつまいも、煙草、果物などが生産されている。 九州の水産業では、長崎、福岡を基地にいわし、さば、烏賊などの沖合漁業が行われ、かつお、まぐろは鹿児島の近海でとれる。また、枕崎、日南などを基地とする遠洋漁業も行われている。漁港には製氷・冷凍工場、冷蔵倉庫、缶詰工場などあり、水産加工業も盛んである。長崎県の漁獲量は九州地方では最も多い。また、福岡・佐賀両県の沿岸では海苔の養殖が行われ、日本一の海苔産地になっている。 薩南諸島と沖縄諸島は亜熱帯性気候であり、一年中温暖であるため、蘇鉄・びろう・がじゅまるなどの亜熱帯植物が茂っている。沖縄県は日本国土の最南西部に位置し、九州の南西海上に浮かぶ60あまりの島々から成り立っている。面積は約2.246平方キロメートルで、人口は107万人あまりである。沖縄では、砂糖黍、パイナップル、二期作の稲、さつまいもなどを栽培し、近海でまぐろ、かつお、鯛などがとれ、水産物加工の工場もできている。しかし、沖縄には今でもアメリカ軍の軍事基地が多いため、工業開発や観光開発がうまく行かず、県民のほとんどはアメリカ人相手の商業やサービス業を営む。那覇市は沖縄県の政治・経済・文化の中心であるばかりでなく、国際航空路の要地でもある。 福岡市と北九州市はいずれも九州地方の大都市で、長崎は港町として歴史が古い。九州の鉄道や道路も海底トンネルや関門吊橋などで本州と結ばれ、阪神や京浜との行き来が大変便利になった。新幹線の新関門トンネルは長さが1万8713メートルもあり、日本一の長い鉄道トンネルである。 九州地方には雲仙天草、西表、阿蘇といった国立公園があって、いずれも大自然を競う風光の良い観光地である。火山や温泉などもたくさんある。西表には天然記念物のヤマネコ、コウモリなどが特に有名である。 練習問題 次ぎの問題を答えなさい。  1、北海道では一番広い平野は何という平野ですか。 2、北海道の乳牛頭数や乳製品生産額は日本一ですか。 3、北海道の近海は世界の3大漁場の一つになりますか、 4、北方領土の周りにはどんな海産物がありますか。 5、苫小牧はどのような工業都市ですか。 6、北海道にはどんな少数民族がいますか。 7、日本一長い山脈は何という山脈ですか。 8、東北で一番長い川は何ですか。 9、仙台平野は東北で一番広いですか。 10、陸奥湾は東北第一の湾ですか。 11、東北の気候について述べなさい。 12、日本一のリンゴの産地はどこですか。 13、東北の三大美林というのは何ですか。 14、日本一広い平野は何という平野ですか。 15、小麦の生産では日本全国第一の産地はどこですか。 16、東京には大学が大体いくつありますか。 17、東京から大阪まで新幹線でどれぐらいかかりますか。 18、名神・東名高速道路はそれぞれどこからどこまですか。 19、中京工業地帯のことについて、述べてみて下さい。 20、日本で代表的な自動車工業都市はどこですか。 21、中京工業地帯の繊維工業について、述べなさい。 22、日本一の茶の産地はどこですか。 23、日本第二の米産地はどこですか。 24、名古屋港は大貿易港で、貿易額では何位ですか。 25、日本第一の商業都市はどこですか、その都市は何と言   われますか。 26、奈良と京都はどのような町ですか。 27、鳥取砂丘はどのようにできたのですか。 28、四国第一の長い川は何という川ですか。 29、日本全国でも有名な和紙の産地はどこですか。 30、九州一の大きな川は何という川ですか。 31、九州と本州との新幹線はいつできたのですか。 32、日本一の海苔産地はどこですか。 33、沖縄県の農産物について、述べなさい。 34、九州には人口100万以上の大都市はいくつありますか。 35、日本一の長い鉄道トンネルは何というトンネルですか、   長さはどれぐらいですか。
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